白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルーストの探求「方言」という<ずれ>(差異)/コモンズについて

2022年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
ゲルマント公爵夫妻と別れて帰宅した<私>。フランソワーズにアルベルチーヌが来ているかどうかと訊ねる。ところが誰一人来ていないという。<私>はたちまち動揺する。なぜなら「アルベルチーヌの訪問が確かなものでなくなると、それが今やことさら欲望をそそるものに思われたからである」。

「『アルベルチーヌさんは来ているかい?』。『どなたもいらしてませんけど』。なんだと、これはだれも来るはずがないという意味なのか?私はひどく動揺した。アルベルチーヌの訪問が確かなものでなくなると、それが今やことさら欲望をそそるものに思われたからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.284」岩波文庫 二〇一五年)

プルースト作品ではいつものように出現するテーマ。愛するとはどういうことか。愛される相手を完全に<所有>してしまうまでは油断がならないという<所有欲>を「愛」という言葉に置き換えたに過ぎないと述べたニーチェのアフォリズムが思い出される。

「《すべて愛と呼ばれるもの》。ーーー所有欲と愛、これらの言葉のそれぞれが何と違った感じをわれわれにあたえることだろう!ーーーだがしかしそれらは同一の衝動なのに呼び方が二様になっているものかもしれぬ。つまり、一方のは、すでに所有している者ーーーこの衝動がどうやら鎮まって今や自分の『所有物』が気がかりになっている者ーーーの立場からの、誹謗された呼び名であるし、他方のは、不満足な者・渇望している者の立場からして、それゆえそれが『善』として賛美された呼び名であるかもしれない。われわれの隣人愛ーーーそれは新しい《所有権》への衝迫ではないか?知への愛、真理への愛も、同様そうでないのか?およそ目新しいものごとへのあの衝迫の一切が、そうでないのか?われわれは古いもの、確実に所有しているものに次第に飽き飽きし、ふたたび外へ手を出す。われわれがそこで三ヶ月も生活していると、この上なく美しい風光でさえ、もはやわれわれの愛をつなぎとめるわけにゆかない。そしてどこか遠くの海浜がわれわれの所有欲をそそのかす。ともあれ所有物は、所有されることによって大抵つまらないものとなる。自分自身について覚えるわれわれの快楽は、くりかえし何か新しいものを《われわれ自身のなかへ》取り入れ変化させることによって、それみずからを維持しようとする、ーーー所有するとはまさにそういうことだ。ある所有物に飽きてくるとは、われわれ自身に飽きてくることをいうのだ。(われわれは悩み過ぎることもありうる、ーーー投げ棄てたい、分け与えたい、という熱望も、『愛』という名誉な呼び名をもらいうけることができる。)われわれは、誰かが悩むのを見るといつでも、彼の所有物をうばい取るのに好都合な今しも提供された機会を、よろこんで利用する。こうしたことは、たとえば、慈善家や同情家がやっている。彼も自分の内に目覚めた新しい所有物への熱望を『愛』と名づけ、そしてその際にも、彼を手招いている新しい征服に乗りだすように、快楽をおぼえる。だが、所有への衝迫としての正体を最も明瞭にあらわすのは性愛である。愛する者は、じぶんの思い焦(こが)れている人を無条件に独占しようと欲する。彼は相手の身も心をも支配する無条件の主権を得ようと欲する。彼は自分ひとりだけ愛されていることを願うし、また自分が相手の心のなかに最高のもの最も好ましいものとして住みつき支配しようと望む。このことが高価な財宝や幸福や快楽から世間のひとびと全部を《閉め出す》以外の何ものをも意味しないということを考えると、また、愛する者は他の一切の恋敵の零落や失望を狙い、あらゆる『征服者』や搾取者のなかでの最も傍若無人な利己的な者として自分の黄金の宝物を守る竜たろうと願うのを考えると、また最後に、愛する者自身には他の世界がことごとくどうでもいいもの、色あせたもの、無価値なものに見え、それだから彼はどんな犠牲をも意に介せず、どんな秩序もみだし、どんな利害をも無視し去ろうとする気構えでいることを考え合わせると、われわれは全くのところ次のような事実に驚くしかない、ーーーつまり性愛のこういう荒々しい所有欲と不正が、あらゆる時代におこったと同様に賛美され神聖視されている事実、また実に、ひとびとがこの性愛からエゴイズムの反対物とされる愛の概念を引き出したーーー愛とはおそらくエゴイズムの最も端的率直な表現である筈なのにーーーという事実に、である。ここで明らかなのは、所有しないでいて渇望している者たちがこういう言語用法をつくりだしたということだ、ーーー確かにこういう連中はいつも多すぎるほどいたのだ。この分野において多くの所有と飽満とに恵まれておった者たちは、あらゆるアテナイ人中で最も愛すべくまた最も愛されもしたあのソフォクレスのように、多分ときおりは『荒れ狂うデーモン』について何か一言洩らしもしたであろう。しかしエロスはいつもそういう冒瀆者(ぼうとくしゃ)たちを笑いとばしたーーー彼らこそつねづねエロスの最大の寵児(ちょうじ)だったのだ。ーーーだがときどきはたしかに地上にも次のような愛の継承がある、つまりその際には二人の者相互のあの所有欲的要求がある新しい熱望と所有欲に、彼らを超えてかなたにある理想へと向けられた一つの《共同の》高次の渇望に、道をゆずる、といった風の愛の継承である。そうはいっても誰がこの愛を知っているだろうか?誰がこの愛を体験したろうか?この愛の本当の名は《友情》である」(ニーチェ「悦ばしき知識・十四・P.78~81」ちくま学芸文庫 一九九三年)

ここでフランソワーズの二人の姪がどれほど頑固かというエピソードが挿入される。人口五百人に満たない小さな村の住民たちがその村の内部だけで育った場合、往々にしてそうなるような性格についてである。地形も作物も方言も他の村とは異なる。異なるけれどもその地域内部に限っては安定している。その安定感についてプルーストは「バッハのフーガのような揺るぎなき安定性」と述べる。ヴィヴァルディやバッハなどのバロック音楽は今なお世界中で人気だが、建築物もまたバロック建築と総称されこれまた愛好家が多い。ヨーロッパ資本主義の黎明期に出現したバロック調の文化がどれも大変似た構造を持っているのは近代ヨーロッパがどこでもほぼ同様の条件のもとで空間的広がりをもって成立したためかも知れない。

一方、フランソワーズの娘は姪たちと違っている。むしろ「正反対というべきで、頑迷固陋(がんめいころう)な田舎の畦道(あぜみち)から抜け出してきた現代女性を自任し、パリの隠語を使い、それにまつわる冗談をひとつ残らず口にした」。フランソワーズの娘は「現代女性」たるべく覚えたての「パリの隠語を使」い、気の利いた冗談を口にできる機会ならことごとく逃さない。アルベルチーヌの到着が遅いことに関していう。「もしかするとえんえん待たされるかもしれませんよ。もう来ないでしょう。やれやれ!今どきのはすっぱ娘(ジゴレット)ときたら!」。

「フランソワーズの娘は、これとは正反対というべきで、頑迷固陋(がんめいころう)な田舎の畦道(あぜみち)から抜け出してきた現代女性を自任し、パリの隠語を使い、それにまつわる冗談をひとつ残らず口にした。フランソワーズから私が『さる大公妃邸からお帰りだ』と聞くと、『あら!きっとココナッツ(いい加減な)の大公妃でしょう』と言う。私が来客を待っているのを見ると、私の名前がシャルルだと信じているふりをする。私がばか正直にそんな名前ではないと言うと、娘はここぞとばかりに言い返す、『あら!そうだと想いこんでいましたわ!シャルル待つ(アタン)=<いかさま師(シャルラタン)>だと思っていました』。これはあまりいい趣味ではなかった。しかしこの娘がアルベルチーヌの到着の遅いのを慰めるかのようにこう言ったとき、私はさきのことばほどに無関心ではいられなかった。『もしかするとえんえん待たされるかもしれませんよ。もう来ないでしょう。やれやれ!今どきのはすっぱ娘(ジゴレット)ときたら!』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.288~289」岩波文庫 二〇一五年)

フランソワーズとその娘との言葉遣いが違っているのはわかる。「しかしもっと奇妙なのは、娘の母親の話しかたがその祖母の話しかたと違っていたことである」。娘の祖母の生まれは「フランソワーズの故郷にごく近い」ところ。にもかかわらず両者の「土地の方言には、双方の景色と同じく、わずかな違いがあった」。ところが或る時、「この地とはまるで無縁のはるか遠方のフランスの一地方に、メゼグリーズとほとんど同じ方言を話すところがあった」と気づく。

「このように娘の話しかたは母親の話しかたとは違っていた。しかしもっと奇妙なのは、娘の母親の話しかたがその祖母の話しかたと違っていたことである。この祖母が生まれたのは、フランソワーズの故郷にごく近いバイヨー=ル=パンだったからだ。もっとも双方の土地の方言には、双方の景色と同じく、わずかな違いがあった。フランソワーズの母親の故郷は、傾斜して谷へとくだる土地で、よくヤナギの木を見かけた。ところがこの地とはまるで無縁のはるか遠方のフランスの一地方に、メゼグリーズとほとんど同じ方言を話すところがあったのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.289~290」岩波文庫 二〇一五年)

なぜならメゼグリーズとは「まるで無縁のはるか遠方のフランスの一地方」出身の「わが家の小間使いと」フランソワーズとが「無我夢中で話しているのに出くわしたことがあ」ったからだ。その光景は「遠く離れた土地で生まれたにもかかわらず同郷の人である」という錯覚を介した仲間意識を発生させる。これにもし失業や貧困問題が加わっていたら事情はまた違った展開を見せたかもしれないが、<私>の家ではそんな労使交渉が必要となるような下賎な待遇を用いてはいなかった。それよりプルーストの関心は方言の「ずれ」(差異)に集中しており、逆に同一性を見出した場合、「私はそれになんの喜びも感じなかった」。作品タイトル「失われた時を求めて」にわざわざ「求めて」とあるように、同一的な<価値体系>には何ら「求める」に値する探究心をそそられず、<或る価値体系>と<別の価値体系>との「ずれ」(差異)にこそただならぬ関心を持っていた。

「私はそのことを発見したとき、同時にそのことに悩まされた。というのも、あるときフランソワーズがこの地方の出身でそこの方言を話すわが家の小間使いと無我夢中で話しているのに出くわしたことがあるからで、ふたりにはほぼ相手の言うことが通じるのに、私にはふたりの話がさっぱり理解できず、ふたりはそれがわかっていながら、遠く離れた土地で生まれたにもかかわらず同郷の人であるという喜びゆえに許されるとでも思うのか、まるで他人に知られたくない話をするときのように私の前でその外国語を話すのをやめなかった。この言語地理学と女中の仲間意識をめぐる風変わりな学習は、毎週、台所でつづけられたのだが、私はそれになんの喜びも感じなかった」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.290」岩波文庫 二〇一五年)

さらに狭い意味での言葉以上にプルーストの興味をかき立てたのは身振りである。その点でフランソワーズは大いに信頼されている。「真実は公言されなくても顕在化することであり、ことばを待つまでもなく、ことばをなんら考慮しなくても、外にあらわれた無数の兆候から、いや、自然界における大気の変動に相当する人間の性格という領域における目には見えないある種の現象からでも、真実をもっと確実に入手できるかもしれないことである。これは私が自分で気づいてもよかったことかもしれない。なぜなら当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」からだ。

「フランソワーズに話を戻すと、私が人生で屈辱を味わうたびに、フランソワーズの顔にはあらかじめご愁傷さまとでも言いたげな表情がうかぶのに気づいた。召使いごときに同情されて腹を立てた私は、そうではなくて首尾は上々だったと言い張ろうとしたが、そんな嘘があえなく潰(つい)えるのは、フランソワーズがうやうやしく対応はするものの見るからに信用できないという顔をして自分の判断の無謬(むびゅう)を確信しているからである。フランソワーズは真実を知っていたのだ。しかしそれを口には出さず、おいしいものでまだ口がいっぱいのときにそうするように、ただ口をもごもごさせるだけだった。フランソワーズが真実を口に出さなかったと言ったのは、私が長いことそう信じていたからである。この時期の私は、真実はことばをつうじて他人に伝わるものだと、まだそう想いこんでいた。他人の発することばでさえ私の感じやすい精神に変わりようのない意味を伝えていたから、私を愛していると言った人が私を愛していないことなどありえないと考えていたのである。たとえば郵便で依頼さえすれば、司祭なり紳士なりが、あらゆる病気に効く万能薬なり、こちらの収入を何倍にもする手立てなりを無料で送ってくれると書いてある新聞を見たフランソワーズが、そのことばに疑いを差し挟めないようなものである(ところがそれとは正反対に、わが家のかかりつけの医者から鼻風邪に効くごく単純な軟膏をもらった場合は、どんなにひどい苦痛にも耐えるフランソワーズが、鼻をぐずぐずいわせて息をしなければならないのを嘆き、これでは『鼻がむしられて』どうしたらいいのかわからない、という始末である)。しかしフランソワーズがはじめて範を示して教えてくれたのは(私がそれを想い知るのはずっと後のことで、この書物の最後の数巻で見られるように、私にとってさらに大切な人物からずっと苦痛にみちた新たな範が示されるときである)、真実は公言されなくても顕在化することであり、ことばを待つまでもなく、ことばをなんら考慮しなくても、外にあらわれた無数の兆候から、いや、自然界における大気の変動に相当する人間の性格という領域における目には見えないある種の現象からでも、真実をもっと確実に入手できるかもしれないことである。これは私が自分で気づいてもよかったことかもしれない。なぜなら当時の私は、なんら真実を含まないことばをしばしば口にする一方、むしろ真実を自分の身体や行為によって無意識のうちに告白することが多かったからだ(そんな告白をフランソワーズはじつに正しく理解した)」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.143~144」岩波文庫 二〇一三年)

ところでアルベルチーヌがもう到着しているのではないかと心配な気持ちで帰宅した<私>は、フランソワーズが自分の娘に「たっぷりご馳走を食べさせて」いるところを目撃した。だからといって<私>は何一つフランソワーズを非難したわけではない。しかしフランソワーズはまるで悪事を働いていたかのように、求められてもいず、する必要もない言い訳を繰り返した。この身振りはシャルリュスが同性愛疑惑を否定すればするほど逆に肯定することになるというパラドックスと同じ構造を取っている。

「氏は、みずから巧妙と信じるこんなことばで、うわさが流れているとはつゆ知らぬ人たちにはそのうわさを否定し(というか、本当らしく見せたいという嗜好や措置や配慮ゆえに、些細なことにすぎないとみずから判断して真実の一端をつい漏らしてしまい)、一部の人たちからは最後の疑念をとりのぞき、いまだなんの疑念もいだいていない人たちには最初の疑念を植えつけたのである。というのも、あらゆる隠匿でいちばん危険なのは、過ちを犯した当人が自分の心中でその過ち自体を隠匿しようとすることである。当人がその過ちをたえず意識するせいで、ふつう他人はそんな過ちには気づかず真っ赤な嘘のほうをたやすく信じてしまうことにはもはや想い至らず、それどころか、自分ではなんの危険もないと信じることばのなかにどの程度の真実をこめれば他人には告白と受けとられるのか見当もつかないのだ」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.264」岩波文庫 二〇一五年)

この点はプルーストが同一性よりも遥かに差異性に関心を示しているように、別々の人物に固有で動的な「星雲」や「法則」を見出そうとする過程で発覚することなのではと思われる。始めてアルベルチーヌたちの一団と出会った時のことをプルーストはこう書いていた。

「のちに一枚の写真を見て、そのわけが腑に落ちた。この娘たちは、見違えるほど完全に容姿を変えてしまう年頃をようやくわずかに越えたばかりで、そんな娘たちのなかに、ほんの数年前、砂浜のテントのまわりに輪になって座っていた、かわいらしいがだれがだれかも分からぬ子供っぽい少女の一団を、どうして認めることができたであろう?そんな一団は曖昧模糊とした白い星座のようなもので、そこにほかの子よりきらきら光るふたつの目とか、いたずらっ子のような顔とか、ブロンドの髪とかを見わけたとしても、それらはたちまち見失われ、すぐにぼんやりした乳白色の星雲のなかに溶けこんでしまうのだ」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.395」岩波文庫 二〇一二年)

なお、昨今ますます横暴乱脈を極めつつある国際政治について。今日的な管理社会における「コモンズ」とはどうあるべきか。ジジェクはいう。

「わたしたちは生活が漸進的にデジタル化される渦中にいる。わたしたちの能動的な活動(と受動的な状態)のほとんどが何らかのデジタルクラウドに記録されており、それがわたしたちの行動だけでなく感情の状態をも追跡することで、わたしたちを常に評価してもいる。(何もかもが利用可能なネットでサーフィンしながら)自分を最大限に自由な存在として経験するとき、わたしたちは完全に『外在化』されており巧妙に操作されている。デジタルネットワークは『個人的なものは政治的なもの』という古いスローガンに新たな意味を付与するのだ。さらに、問題になっているのは私的な生活の管理だけではない。移動から健康、電気から水まで、今日すべてが何らかのデジタルネットワークによって統御されているのだ。だからこそウェブは今日もっとも重要なわたしたちのコモンズであり、その管理をめぐる闘争が、今日の主たる闘争なのである。敵は私有化されたコモンズと国家が管理するコモンズ、企業(グーグル、フェイスブック)と国家の治安当局(米国国家安全保障局)の組み合わせである。社会の運用とそれを管理するメカニズムをささえるデジタルネットワークは、権力を維持する技術的なグリッドの究極の形象であり、だからこそその管理を取り戻すことはわれわれの最初の責務なのだ」(ジジェク「あえて左翼と名乗ろう・16・P.203~204」青土社 二〇二二年)

国家主義的ナショナリズムを「取り戻す」必要などどこにもない。一方的な権力闘争ばかりが幅を利かせる管理社会を出現させ、そしてますます出現させていくデジタルネットワークの中で、人間にできることは、デジタルネットワークを通して「その管理を取り戻すこと」であるに違いない。

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