ニッシム・ベルナールはグランドホテルに勤務する一人の「若いボーイ」を愛人として囲っていたわけだが、ただそれだけのことを述べるためにのみ登場した人物ではない。それだけのことなら作品のあちこちに散りばめられたシャルリュスの言動を見れば十分だろう。プルーストがわざわざベルナールを登場させ、その動向を描いている理由はソドム(男性同性愛)の現実だけでなくシャルリュスとの相違点を示すことにもある。シャルリュスの言説のほとんどは社交界の中で大いに語られているが、しかし同性愛者という点では同じでも、ベルナールの欲望は「迷宮のように入り組んだ、バルベックのホテル全体を好んでいた」。ベルナールが「多くの廊下、秘密の小部屋、サロン、クローク、食料貯蔵室、回廊など」を「探検する」のはグランドホテルの構造がそうなっていて始めて可能になる。
「そのうえ氏は、多くの廊下、秘密の小部屋、サロン、クローク、食料貯蔵室、回廊などを備えて、迷宮のように入り組んだ、バルベックのホテル全体を好んでいた。オリエント人の遺伝なのか、後宮が好きで、夜になると外出してその隅々をこっそり探検する氏のすがたが見られた」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.545」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストはグランドホテルの構造について大変細かく分割して描いて見せている。とともにそれはカルパッチョが描いたヴェネツィアの絵画の構造に極めて類似していないだろうか。画家エルスチールが<私>に述べたように。「ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があ」るだけでなく、「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかない」こと。ベルナールにとってバルベックのグランドホテルは、画家にとって十五世紀末のヴェネツィアに相当する。
「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮説橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
当時のヴェネツィア。「ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観」。さらに「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかない」。これらは十五世紀末のヴェネツィアだけでなく一九〇〇年頃のヨーロッパのリゾート地バルベックだけでもなく、ほかならぬ二十一世紀の世界的大都市、なかでも<東京>にさえ通じる共通点ではないだろうか。同時に読者は十五世紀末のヴェネツィアと一九〇〇年頃のヨーロッパのリゾート地バルベックと現在の<東京>とを置き換えて読むことができるのではないだろうか。そして、あえて、この三者を置き換えて読んでみるとしよう。すると読者はその置き換えに何らの齟齬も生じないことを発見して衝撃を受ける。画家エルスチールの創作技法についてプルーストはこう述べていた。
「ほかでもないエルスチールの努力は、ものごとを頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに提示するところにあった。画家はこのような遠近法の法則のいくつかを明るみに出したが、それが当時はるかに衝撃的なことだったのは、芸術がそれをはじめてあらわにしたからである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.424~425」岩波文庫 二〇一二年)
プルーストが「ものごとを頭で理解するように示すのではなく」と言っているのは普段の<習慣・因習>に捉われない態度を指して言われている。作家の場合ならこうなる。
「私に必要なのは、自分をとり巻くどれほど些細な表徴にも(ゲルマント、アルベルチーヌ、ジルベルト、サン=ルー、バルベックといった表徴にも)、習慣のせいで失われてしまったその表徴のもつ意味をとり戻してやることだ。そうして現実を捉えることができたら、その現実を表現しそれを保持するために、その現実とは異なるもの、つまり素早さを身につけた習慣がたえず届けてくれるものは遠ざけなければならない」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.494~495」岩波文庫 二〇一八年)
世界中どこへ行っても人々は自分の身に付いた生活様式に基づいて行動している。或る地域に特有の<或る価値体系>に基づいて行動している。その範囲でしか考えることができない。しかし世界にはまた<別の価値体系>に基づいて行動している人々もいる。この<或る価値体系>に属する人々の言動と<別の価値体系>に属する人々の言動との違い(差異)が、一方の人々にもう一方の人々の実在を突きつけると同時に世界の多元性を承認させる重大な契機をなす。エルスチールの絵画やヴァントゥイユの音楽といった芸術が<私>に教えてくれたことはこの<別の価値体系>の存在だ。いつも見ているのに見えていなかったバルベックの断崖。それはエルスチールの言葉が、ではなく、エルスチールの絵画が、<私>に始めて教えてくれたものだった。その意味で文学の歩みは絵画や音楽など芸術に比べればいつも随分遅いのである。例えば、日本でようやく村上春樹がデビューした頃、YMOはすでに世界の音楽シーンに芸術的とも言える衝撃を与えていた、というふうに。
さてニッシム・ベルナールは一人の「若いボーイ」だけでは明らかに不満足なのだろう、何食わぬ顔でグランドホテルの中をうろつき「危険を顧みず地下にまで潜入して若きレヴィ族を探し求め」ていた。なお「レヴィ族」というのはユダヤ教で祭司の助手を務めた部族のこと。だからここでは、ベルナールにとって、グランドホテルに勤める若く美しい男性スタッフのことを意味する。
「危険を顧みず地下にまで潜入して若きレヴィ族を探し求め、それでも人に見られてスキャンダルになるのを避けようとするニッシム・ベルナール氏は、『ユダヤ女』のこんな詩句を想わせた。
<ああ、われらが父祖の神よ、
われらのもとに降りて、
われらが秘密をお隠しください、
悪人どもの目から!>」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.545」岩波文庫 二〇一五年)
アルベルチーヌ、シャルリュス、そしてニッシム・ベルナールと、それぞれに違った欲望が出揃った上で、「革命の欲望」ではなく「欲望という名の革命」について。ドゥルーズ=ガタリから。
「いくたの革命家がどう考えているにしろ、欲望はその本質において革命的なのである。ーーー革命的であるのは欲望であって、左翼の祭典なのではない。ーーーいかなる社会といえども、真に欲望の定立を許すときには、搾取、隷属、位階秩序の諸構造は必ず危険にさらされることになるのだ。(愉快な仮定であるが)、ひとつの社会がこれらの諸構造と一体をなすものであれば、そのときには、そうだ、欲望は本質的にこの社会を脅かすことになるのだ。だから、欲望を抑制し、さらにはこの抑制よりももっと有効なるものをさえ見つけだして、ついには抑制、位階秩序、搾取、隷属といったものそのものをも欲望させるようにすることが、社会にとってはその死活にかかわる重大事となるのである。次のような初歩的なことまでも語らなければならないとは、全く腹立たしいことである。欲望が社会を脅かすのは、それが母と寝ることを欲するからではなくて、それが革命的であるからである、といったことまでも語らなければならないとは。このことが意味していることは、欲望が性欲とは別のものであるということではなくて、性欲と愛とがオイディプスの寝室の中では生きていないということである。むしろ、この両者は、もっと広い外海を夢みて、規制秩序の中にはストック〔貯蔵〕されない異質な種々の流れを移動させるものなのである。欲望は革命を『欲する』のではない。欲望は、それ自身において、いわば意識することなく、自分の欲するものを欲することによって革命的なのである」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.146~147」河出書房新社 一九八六年)
とはいえプルーストはただ単に記憶や愛と嫉妬の力にばかり頼って創造しているわけでもまたない。記号論という学問はまだなかった頃にもかかわらず、なぜか記号について深く思索する作家である。ニッシム・ベルナールがグランドホテルを秘密の花園に見立てて、しかし紳士の態度を保ちつつ注意深く徘徊していた頃、<私>はマリー・ジネストとセレスト・アルバレという二人の姉妹に欲望を向けていた。またグランドホテルでは、三十年も昔に「『あれは外交便の共回り(クーリエ)』と歌われていた時代の慣わしをとどめていた」。プルーストは衣装や言葉遣いの変化に極めて敏感だったので、もはや古くなった習慣と新しく登場してきた習慣との間にきまって出現する横断性に並々ならぬ関心を寄せていた。
「その一方で私は、氏とは正反対に、小間使いとして外国の老夫人につき従ってバルベックにやって来たふたりの姉妹の部屋へあがって行った。ホテルの用語ではお供(クーリエール)と呼ばれ、クーリエやクーリエールは使い走り(クールス)をする人だと想いこんでいたフランソワーズの用語では、『使い走りの人(クールシエール)』と呼ばれる人たちである。ホテルの用語は、ずっと気高く、『あれは外交便の共回り(クーリエ)』と歌われていた時代の慣わしをとどめていたのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.546」岩波文庫 二〇一五年)
次にプルーストが記しているのはセレストによる発言集。<私>はセレストの巧みな言葉遣いの中で「鳥・ヘビ・リス」へと変身する。
(1)「『あら!この子ったら、カケスみたいな髪をした黒い小悪魔さんだわ、きっと深い企みなのよ!あなたをこしらえたとき、お母さんがなにを考えていたのか知れたもんじゃないわ、だって、あなた、鳥にそっくりだもの。ごらん、マリー、ほら、まるで羽づくろいをしているみたい、首だってくるっと回すでしょ?ずいぶん身軽そうで、飛びたつ稽古をしてるみたい。まあ、あなたも運がいいわね、あなたをつくった人たちがお金持の家に生んでくれたんだもの、そうでなけりゃ、あなたのような浪費家はどうなっていたか』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.548」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「『マリー、ほら見てごらん、があーん!ほら、首をまっすぐ立てたでしょ、ヘビみたいに。ほんと、ヘビそっくり』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.548」岩波文庫 二〇一五年)
(3)「『ほら、マリー、うちの田舎でよく見かけるでしょ、とってもすばしっこくて目では追いきれないリスを』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.549」岩波文庫 二〇一五年)
これらはどれも<私>がクロワッサンをミルクに浸している時にセレストが<私>を評して述べた言葉である。<私>はこれらの言葉に詩人の才能を見た。二人の姉妹は学校に通ったことは通ったのだがろくに学ばなかった。しかしその「ことば遣い」は「非常に文学的」だとプルーストはいう。「現代の最高傑作かもしれない作品が、全国学力コンクールやブロイ流の型にはまった模範的教育から生まれたのではな」い、と述べるのと同様である。
「ヴァントゥイユの知られざる作品をよみがえらせた敬愛の情がモンジュヴァンの乱脈をきわめた環境から生まれたとすれば、現代の最高傑作かもしれない作品が、全国学力コンクールやブロイ流の型にはまった模範的教育から生まれたのではなく、競馬場の『パドック』や大きなバーへ通いつめる暮らしから生まれたのだと考えると、私はこれにもやはり驚かずにはいられなかった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.417~418」岩波文庫 二〇一七年)
プルーストは学校に行くなと言っているわけではなく遊ぶなと言っているわけでもない。「驚き」のないところからは立ち去ることが重要だというわけだ。エルスチールやヴァントゥイユがそうであるように、もちろん孤独を伴う生活様式ではあるが。
ところで「驚く」とはどういうことだろう。「驚く」ことは「見出す」ことでもある。その点で芸術家ほど秀でた人々はいない。言い換えれば、芸術家ほど記号論に秀でた人々はいない。ただしかし芸術家が今の学術的記号論者と決定的に異なる点は、逆説的に、記号論からのさらなる脱コード化を目指し、感性のレベルで極めて横断的なスタイル、トランス記号論の地平を切り開いて止まないところにあるのだろう。
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「そのうえ氏は、多くの廊下、秘密の小部屋、サロン、クローク、食料貯蔵室、回廊などを備えて、迷宮のように入り組んだ、バルベックのホテル全体を好んでいた。オリエント人の遺伝なのか、後宮が好きで、夜になると外出してその隅々をこっそり探検する氏のすがたが見られた」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.545」岩波文庫 二〇一五年)
プルーストはグランドホテルの構造について大変細かく分割して描いて見せている。とともにそれはカルパッチョが描いたヴェネツィアの絵画の構造に極めて類似していないだろうか。画家エルスチールが<私>に述べたように。「ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があ」るだけでなく、「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかない」こと。ベルナールにとってバルベックのグランドホテルは、画家にとって十五世紀末のヴェネツィアに相当する。
「『なにしろその画家たちが制作をした町が町だけに、描かれた祝宴も一部は海上でくり広げられましたからね。ただし当時の帆船の美しさは、多くの場合、その重々しく複雑な造りにありました。こちらで見られるような水上槍競技もありましたが、ふつうはカルパッチョが<聖女ウルスラ伝>で描いたようになんらかの使節団の歓迎行事として開催されたものでした。どの船もどっしりと巨大な御殿を想わせる建造物で、深紅のサテンとペルシャの絨毯とにおおわれた仮説橋で岸につながれていて、船のうえでは婦人たちがサクランボ色のブロケード織りや緑色のダマスク織りの衣装を身にまとい、すぐそばの極彩色の大理石を嵌めこんだバルコニーから身を乗り出して眺めているべつの婦人たちが真珠やギピュールレースを縫いつけ白のスリットを入れた黒い袖のドレスを着ているときには、船はほとんど水陸両用かと思えて、ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観があります。どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかないありさまです』」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.544~545」岩波文庫 二〇一二年)
当時のヴェネツィア。「ヴェネツィアのなかにいくつもの小さなヴェネツィアが出現した観」。さらに「どこで陸が終わり、どこから水面が始まるのか、どこがまだ宮殿なのか、それともすでに船で、キャラベル船や、ガレアス船や、ブチントロ船にいるのか、見当もつかない」。これらは十五世紀末のヴェネツィアだけでなく一九〇〇年頃のヨーロッパのリゾート地バルベックだけでもなく、ほかならぬ二十一世紀の世界的大都市、なかでも<東京>にさえ通じる共通点ではないだろうか。同時に読者は十五世紀末のヴェネツィアと一九〇〇年頃のヨーロッパのリゾート地バルベックと現在の<東京>とを置き換えて読むことができるのではないだろうか。そして、あえて、この三者を置き換えて読んでみるとしよう。すると読者はその置き換えに何らの齟齬も生じないことを発見して衝撃を受ける。画家エルスチールの創作技法についてプルーストはこう述べていた。
「ほかでもないエルスチールの努力は、ものごとを頭で理解するように示すのではなく、われわれの最初のヴィジョンがつくられる錯覚のままに提示するところにあった。画家はこのような遠近法の法則のいくつかを明るみに出したが、それが当時はるかに衝撃的なことだったのは、芸術がそれをはじめてあらわにしたからである」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.424~425」岩波文庫 二〇一二年)
プルーストが「ものごとを頭で理解するように示すのではなく」と言っているのは普段の<習慣・因習>に捉われない態度を指して言われている。作家の場合ならこうなる。
「私に必要なのは、自分をとり巻くどれほど些細な表徴にも(ゲルマント、アルベルチーヌ、ジルベルト、サン=ルー、バルベックといった表徴にも)、習慣のせいで失われてしまったその表徴のもつ意味をとり戻してやることだ。そうして現実を捉えることができたら、その現実を表現しそれを保持するために、その現実とは異なるもの、つまり素早さを身につけた習慣がたえず届けてくれるものは遠ざけなければならない」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.494~495」岩波文庫 二〇一八年)
世界中どこへ行っても人々は自分の身に付いた生活様式に基づいて行動している。或る地域に特有の<或る価値体系>に基づいて行動している。その範囲でしか考えることができない。しかし世界にはまた<別の価値体系>に基づいて行動している人々もいる。この<或る価値体系>に属する人々の言動と<別の価値体系>に属する人々の言動との違い(差異)が、一方の人々にもう一方の人々の実在を突きつけると同時に世界の多元性を承認させる重大な契機をなす。エルスチールの絵画やヴァントゥイユの音楽といった芸術が<私>に教えてくれたことはこの<別の価値体系>の存在だ。いつも見ているのに見えていなかったバルベックの断崖。それはエルスチールの言葉が、ではなく、エルスチールの絵画が、<私>に始めて教えてくれたものだった。その意味で文学の歩みは絵画や音楽など芸術に比べればいつも随分遅いのである。例えば、日本でようやく村上春樹がデビューした頃、YMOはすでに世界の音楽シーンに芸術的とも言える衝撃を与えていた、というふうに。
さてニッシム・ベルナールは一人の「若いボーイ」だけでは明らかに不満足なのだろう、何食わぬ顔でグランドホテルの中をうろつき「危険を顧みず地下にまで潜入して若きレヴィ族を探し求め」ていた。なお「レヴィ族」というのはユダヤ教で祭司の助手を務めた部族のこと。だからここでは、ベルナールにとって、グランドホテルに勤める若く美しい男性スタッフのことを意味する。
「危険を顧みず地下にまで潜入して若きレヴィ族を探し求め、それでも人に見られてスキャンダルになるのを避けようとするニッシム・ベルナール氏は、『ユダヤ女』のこんな詩句を想わせた。
<ああ、われらが父祖の神よ、
われらのもとに降りて、
われらが秘密をお隠しください、
悪人どもの目から!>」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.545」岩波文庫 二〇一五年)
アルベルチーヌ、シャルリュス、そしてニッシム・ベルナールと、それぞれに違った欲望が出揃った上で、「革命の欲望」ではなく「欲望という名の革命」について。ドゥルーズ=ガタリから。
「いくたの革命家がどう考えているにしろ、欲望はその本質において革命的なのである。ーーー革命的であるのは欲望であって、左翼の祭典なのではない。ーーーいかなる社会といえども、真に欲望の定立を許すときには、搾取、隷属、位階秩序の諸構造は必ず危険にさらされることになるのだ。(愉快な仮定であるが)、ひとつの社会がこれらの諸構造と一体をなすものであれば、そのときには、そうだ、欲望は本質的にこの社会を脅かすことになるのだ。だから、欲望を抑制し、さらにはこの抑制よりももっと有効なるものをさえ見つけだして、ついには抑制、位階秩序、搾取、隷属といったものそのものをも欲望させるようにすることが、社会にとってはその死活にかかわる重大事となるのである。次のような初歩的なことまでも語らなければならないとは、全く腹立たしいことである。欲望が社会を脅かすのは、それが母と寝ることを欲するからではなくて、それが革命的であるからである、といったことまでも語らなければならないとは。このことが意味していることは、欲望が性欲とは別のものであるということではなくて、性欲と愛とがオイディプスの寝室の中では生きていないということである。むしろ、この両者は、もっと広い外海を夢みて、規制秩序の中にはストック〔貯蔵〕されない異質な種々の流れを移動させるものなのである。欲望は革命を『欲する』のではない。欲望は、それ自身において、いわば意識することなく、自分の欲するものを欲することによって革命的なのである」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.146~147」河出書房新社 一九八六年)
とはいえプルーストはただ単に記憶や愛と嫉妬の力にばかり頼って創造しているわけでもまたない。記号論という学問はまだなかった頃にもかかわらず、なぜか記号について深く思索する作家である。ニッシム・ベルナールがグランドホテルを秘密の花園に見立てて、しかし紳士の態度を保ちつつ注意深く徘徊していた頃、<私>はマリー・ジネストとセレスト・アルバレという二人の姉妹に欲望を向けていた。またグランドホテルでは、三十年も昔に「『あれは外交便の共回り(クーリエ)』と歌われていた時代の慣わしをとどめていた」。プルーストは衣装や言葉遣いの変化に極めて敏感だったので、もはや古くなった習慣と新しく登場してきた習慣との間にきまって出現する横断性に並々ならぬ関心を寄せていた。
「その一方で私は、氏とは正反対に、小間使いとして外国の老夫人につき従ってバルベックにやって来たふたりの姉妹の部屋へあがって行った。ホテルの用語ではお供(クーリエール)と呼ばれ、クーリエやクーリエールは使い走り(クールス)をする人だと想いこんでいたフランソワーズの用語では、『使い走りの人(クールシエール)』と呼ばれる人たちである。ホテルの用語は、ずっと気高く、『あれは外交便の共回り(クーリエ)』と歌われていた時代の慣わしをとどめていたのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.546」岩波文庫 二〇一五年)
次にプルーストが記しているのはセレストによる発言集。<私>はセレストの巧みな言葉遣いの中で「鳥・ヘビ・リス」へと変身する。
(1)「『あら!この子ったら、カケスみたいな髪をした黒い小悪魔さんだわ、きっと深い企みなのよ!あなたをこしらえたとき、お母さんがなにを考えていたのか知れたもんじゃないわ、だって、あなた、鳥にそっくりだもの。ごらん、マリー、ほら、まるで羽づくろいをしているみたい、首だってくるっと回すでしょ?ずいぶん身軽そうで、飛びたつ稽古をしてるみたい。まあ、あなたも運がいいわね、あなたをつくった人たちがお金持の家に生んでくれたんだもの、そうでなけりゃ、あなたのような浪費家はどうなっていたか』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.548」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「『マリー、ほら見てごらん、があーん!ほら、首をまっすぐ立てたでしょ、ヘビみたいに。ほんと、ヘビそっくり』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.548」岩波文庫 二〇一五年)
(3)「『ほら、マリー、うちの田舎でよく見かけるでしょ、とってもすばしっこくて目では追いきれないリスを』」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.549」岩波文庫 二〇一五年)
これらはどれも<私>がクロワッサンをミルクに浸している時にセレストが<私>を評して述べた言葉である。<私>はこれらの言葉に詩人の才能を見た。二人の姉妹は学校に通ったことは通ったのだがろくに学ばなかった。しかしその「ことば遣い」は「非常に文学的」だとプルーストはいう。「現代の最高傑作かもしれない作品が、全国学力コンクールやブロイ流の型にはまった模範的教育から生まれたのではな」い、と述べるのと同様である。
「ヴァントゥイユの知られざる作品をよみがえらせた敬愛の情がモンジュヴァンの乱脈をきわめた環境から生まれたとすれば、現代の最高傑作かもしれない作品が、全国学力コンクールやブロイ流の型にはまった模範的教育から生まれたのではなく、競馬場の『パドック』や大きなバーへ通いつめる暮らしから生まれたのだと考えると、私はこれにもやはり驚かずにはいられなかった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.417~418」岩波文庫 二〇一七年)
プルーストは学校に行くなと言っているわけではなく遊ぶなと言っているわけでもない。「驚き」のないところからは立ち去ることが重要だというわけだ。エルスチールやヴァントゥイユがそうであるように、もちろん孤独を伴う生活様式ではあるが。
ところで「驚く」とはどういうことだろう。「驚く」ことは「見出す」ことでもある。その点で芸術家ほど秀でた人々はいない。言い換えれば、芸術家ほど記号論に秀でた人々はいない。ただしかし芸術家が今の学術的記号論者と決定的に異なる点は、逆説的に、記号論からのさらなる脱コード化を目指し、感性のレベルで極めて横断的なスタイル、トランス記号論の地平を切り開いて止まないところにあるのだろう。
BGM1
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