仮面としての衣服について。
「アルベルチーヌが欲しがった部屋着の出来あがりを待つあいだ、私がときどき何着かの部屋着を、ときには生地だけを貸してもらい、それをアルベルチーヌに着せたりその身体に掛けたりすると、アルベルチーヌはまるで総督夫人やファッションモデルのように厳かに私の部屋のなかを歩きまわった」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.410」岩波文庫 二〇一七年)
そのようなとき衣服はある種の「名前」として作用する。次のように。
「かくして称号と名前とは同一であるから、なおもゲルマント大公妃なる人は現存するが、その人は私をあれほど魅了した人とはなんの関係もなく、いまや亡き人は、称号と名前を盗まれてもどうするすべもない死者であることは、私にとって、その城館をはじめエドヴィージュ大公女が所有していたものをことごとくほかの女が享受しているのを見ることと同じくらい辛いことだった。名前の継承は、すべての継承と同じで、またすべての所有権の簒奪と同じで、悲しいものである。かくしてつねに、つぎからつぎへと途絶えることなく新たなゲルマント大公妃が、いや、より正確に言えば、千年以上にわたり、その時代ごとに、つぎからつぎへと相異なる女性によって演じられるただひとりのゲルマント大公妃があらわれ、この大公妃は死を知らず、移り変わるもの、われわれの心を傷つけるものなどには関心を示さないだろう。同じひとつの名前が、つぎつぎと崩壊してゆく女たちを、大昔からつねに変わらぬ平静さで覆い尽くすからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.98~99」岩波文庫 二〇一九年)
アルベルチーヌは変幻自在に生成変化していくことができる。ではなぜ、こんなにも長く「囚われの身」なのか。
「たしかにアルベルチーヌは、私以上に囚われの身である。人間を変えてしまう運命が、どのように牢獄の四囲の壁を通ってはいりこみ、アルベルチーヌをその本質から一変させ、バルベックの娘を退屈で従順な囚われ人にしたのかを考えると、なんとも不思議である。いかにもそのとおりで、牢獄の壁といえども、運命というこの影響力がはいりこむのを妨げることはできなかったのだ。いや、もしかすると牢獄の壁がこの影響力を生み出したのかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.410」岩波文庫 二〇一七年)
とはいえこの「壁」は常に監視されているということが監視されている側にもよく見える、という点で目に見える壁だ。かつて「収容所群島」もそうだった。監視監禁はいずれ壊れる。というより、始めから逆説的なものだ。ドストエフスキーはいう。
「フランス人が、いまから二世紀ほど前に、自分の国の最初の気違い病院を建てたとき、『あの連中は自分たちこそ利口な人間であると自分に納得させるために、その国の馬鹿な人間をひとり残らず特別な建物に閉じ込めてしまったのだ』と言ったという、スペイン人がフランス人を皮肉った言葉が思い出される。まさにそのとおりで、いくらほかの人間を気違い病院に閉じ込めたところで、自分の賢さを証明することにはならないのである。『Kが気違いになった、するとつまり、いまではわれわれは賢い人間ということになる』。どういたしまして、すぐにそういうことにはならないのである」(ドストエフスキー「作家の日記1・一八七三年・P.124」ちくま学芸文庫 一九九七年)
パスカルもまた。
「人間はもし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである」(パスカル「パンセ・四一四・P.255」中公文庫 一九七三年)
ところが今の日本の<監視・管理>というのは大変目に見えにくい。空気のように浸透している。さしずめ「収容所列島」といえるかもしれない。トップのすげ換えだけならほとんど意味がないからである。
「《囚人たち》。ーーーある朝、囚人たちは作業庭のなかへ入っていった。そのとき牢番はいなかった。彼らのうちの或る連中は彼らなりにすぐに仕事にとりかかったが、ほかの連中は働かずに突っ立って、反抗的にあたりを見まわしていた。そこへ一人の男が現われて、大声でこう言った、『好きなだけ働けばいい、でなかったら何もしないがいい。どちらにしても同じことだ。お前たちの秘密の陰謀が露顕したのだ。牢番は最近お前たちの話を盗み聞きした。そして近日中にお前たちを恐ろしい審判にかけようとしている。お前たちの知ってのとおり、彼は峻烈だし、執念深い心の持ち主だ。だが、よく聴け、お前たちはいままでおれを誤解していた。おれは見かけ以上の者なのだ。おれは牢番の息子で、おれの言うことは彼に何でも通るのだ。おれはお前たちを救うことができるし、また救ってやるつもりだ。だが、よく聴くがいい、お前たちのなかでおれが牢番の息子であることを《信ずる》者たちだけだぞ。そうでない者たちは、自分の不信仰の実を刈りいれるがいいのだ』。しかも父親を思いどおり動かすことができるのだ。私はおまえたちを救うことができるし、救いたいとも考えている。ただし、むろんのこと、救ってやるのは、おまえたちのうちで私が看守の息子であることを<信じる>者だけだ。信じようとしない者たちは、その不信心の報いを受ければよい』。『だが』としばらくの沈黙のあとをうけてひとりの年配の囚人が言った、『われわれがお前さんのことを信じようと信じまいと、それがお前さんにどれだけ大切だというのだい?お前さんが本当に息子で、お前の言うとおりのことができるのなら、おれたちみんなのために取りなしをしてくれ。それこそお前さんのほんとうの思いやりというものだ。だが、信ずるとか信じないとかのお談義はよししてくれ!』『そして』とひとりの若い男が口をはさんで叫んだ、『おれもあいつを信じないよ。あいつは何か妙な空想をしているだけなんだ。おれは賭けてもいい、一週間たったっておれたちは今日とまったく同じにここにいるのさ、そして牢番は《何も》知っては《いない》のだ』。『いままでは何か知っていたにしても、いまはもう何も知ってはいない』と、いま庭へ出てきたばかりの最後の囚人が言った、『牢番はたったいま急に死んだのだ』。ーーー『おーい』と幾人かの者がごっちゃに叫んだ、『おーい!息子さん、息子さん、遺産のほうはどうなんだね?われわれは、どうやらいまは《お前さん》の囚人なんだね?』ーーー『おれがお前たちに言ったとおりだ』と、呼びかけられた男は穏やかに答えた。『おれはおれを信ずるすべての者たちを解放するだろう、おれの父がまだ生きているのと同じ確実さで』。ーーー囚人たちは笑わなかった、しかし肩をすくめてから、立ちどまる彼を残して、立ち去った」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・八四・P.337~338」ちくま学芸文庫 一九九四年)
ニーチェの言葉だと「おーい!息子さん」。実際は「息子」だけでなく「孫」、「愛人」、「従兄弟」、とヴァラエティに富んでいる。そこへさらにテレビが追い打ちをかける。ニーチェは「聞き上手」な相手に気を付けるよう注意をうながす。
「次のことに気を付けよ。彼が語るのは、ただ、後で聞くことを許されんがためにすぎないのだ、ーーーそして君が聞くのは、もともとただ、絶えまなく語るわけにはいかないがゆえにすぎないのだ、言いかえれば、君の聞き方は下手(へた)であり、そして彼の聞き方は上手(じょうず)すぎるくらいだ」(ニーチェ「生成の無垢・上・七九一・P.462」ちくま学芸文庫 一九九四年)
テレビはとても聞き上手だ。そのために自分から最初に「語る」ことを演じる。盛大に「語る」ことを演じて見せる。しばらくすると聞き手(視聴者)はもう答えたくて答えたくてたまらなくなっている。そこで番組宛にメールをばんばん送りつける。だが聞き手(視聴者)は何一つ知らないのだ。このような方法で自分たちが思想調査の対象として詳細に区別・分類され<監視・管理>されていることを。