<私>は<私>の側が転倒していたことにようやく気づく。アルベルチーヌが「『時』の女神」である以上、<私>はこう認めないわけにはいかない。「私がその囚われ人で自分の住まいを美しく飾ったつもりになり、私に会いに来た人たちでさえ廊下の端の隣の部屋にそんな囚われ人がいるとは夢にも想わないほどその存在を完璧に隠していた点で私は、だれにも知られずシナのお姫さまを瓶のなかに閉じこめていたあの人物とそっくりであった」。
「ときに私は、アルベルチーヌの目のなかや、いきなり紅潮する顔色のなかという、私にとっては空よりも近づきがたい地帯に、つまり私の知るよしもないアルベルチーヌの回想がめぐりゆく地帯に、遠い稲妻のようなものがよぎるのを感じた。そんなとき、バルベックの浜辺にせよパリにせよアルベルチーヌを順々に知ってきたこの数年を想いかえし、しばらく前から私がアルベルチーヌに見出していた美しさは、すなわちわが恋人がさまざまな面で成長し、すぎ去った多くの日々を含んでいることに由来する美しさは、胸がはり裂けるほどの悲嘆をさそった。そんなときには、このバラ色に染まる顔の下に、いまだアルベルチーヌを知らなかったころの幾多の夜のつくる汲み尽くせぬ空間が、まるで深淵のように保存されているのを感じたからである。もちろん私はアルベルチーヌを愛撫し、その身体に長いこと私の両手を這わせることもできたが、それはまるで太古の大海原の塩分や星の光を含んだ石を撫でているにも等しく、自分が触れているのは、その内部が無限へと通じる存在の閉ざされた外皮にすぎない気がした。そもそも自然が人間の肉体と肉体を分離すると決めたとき、心と心の相互浸透を可能にすることに想い至らなかったせいで人間が追いやられた今の立場に、私はどれほど苦しんだことだろう!それゆえ私は、アルベルチーヌは私自身にとってさえ(その肉体は私の肉体の支配下にあっても、その思考は私の思考の掌握をすり抜けるのだから)すばらしい囚われ人などではないことに気がついた。私がその囚われ人で自分の住まいを美しく飾ったつもりになり、私に会いに来た人たちでさえ廊下の端の隣の部屋にそんな囚われ人がいるとは夢にも想わないほどその存在を完璧に隠していた点で私は、だれにも知られずシナのお姫さまを瓶のなかに閉じこめていたあの人物とそっくりであったが、解決なき過去の探求へと残忍にも私を駆り立てる点でアルベルチーヌは、むしろ偉大な『時』の女神かと思われた」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.454~456」岩波文庫 二〇一七年)
さらにアルベルチーヌは<私>を「解決なき過去の探求へと残忍にも私を駆り立てる」とある。探究しても探究してもきりがない。可視化されたときすでにそれは表層であり、無限に引き続く表層の探究ばかりどこまでも「駆り立て」られていくしかない。途中で止めることができない。
「超越論的探求の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう」(ドゥルーズ「ザッヘル=マゾッホ紹介・P.173」河出文庫 二〇一八年)
<私>は不可能を宣言された後もなお、常にその背中ばかり追いかけ続けていくほか知らない<幼稚園児>に等しい。
ところで、「その肉体は私の肉体の支配下にあっても、その思考は私の思考の掌握をすり抜ける」、とある。むずかしい話ではなく、例えばアメリカの黒人たちはもう何百年に渡る長い監視管理下に置かれつつも、ニヒリズムに陥ってお手上げだと喚くばかりでは何にもならないことを学んできた。
とりわけ黒人たちとその音楽の変化の歴史は、支配しようとする側の「思考の掌握をすり抜ける」仕方を何度も繰り返し学びつつ常に意表を突きながら変化してきた歴史でもある。支配しようとしてぐいと手で掴んだと思い、その手を開いてみたら、手の中にはもう人っ子一人いない。そんな存在だ。そしてそういう人々は肌の色が白かろうが黒かろうがはたまた黄色かろうが、世界中にわんさといる。
黒人たちとその音楽とは、今後ますます、大いに参考になる態度のことを指してもいるといえる。