時間的錯覚だけでなく空間的錯覚も同様に起こるとプルーストはいう。
「地上の距離がスピードによって今のように短縮されていなかったころには、二キロ先を走る汽車の汽笛が備えていたかもしれぬ美を、われわれは今や、さらになお当分のあいだも、二千メートル先の飛行機のぶんぶんいう音に認めて心を動かされる」。
例えば仮に、次のゴールデンウイーク、どこかへ旅するとして、鉄道がいいか、自動車がいいか、飛行機がいいか、ということとは関係がない。
「地上の距離がスピードによって今のように短縮されていなかったころには、二キロ先を走る汽車の汽笛が備えていたかもしれぬ美を、われわれは今や、さらになお当分のあいだも、二千メートル先の飛行機のぶんぶんいう音に認めて心を動かされるのだ。考えてみれば、この垂直の旅によって踏破された距離は地上における距離と同じであっても、方向が違えばそちらへはたどり着けないと感じるがゆえに測定の尺度も異なるように思われるのに、二千メートル先の飛行機が二キロ先の汽車ほどには遠くなく、もっと近いとさえ感じられるのは、同じ距離の移動がはるかに純粋な空間でおこなわれ、旅する人とその出発点とのあいだになにひとつさえぎるものがないからで、この点、なにもない海上や平原で天気が穏やかだと、すでに遠ざかった一艘の船や、野をわたる一陣のよそ風が、一面の大海原や麦畑にひとつの筋をつけるのと似ている」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.496」岩波文庫 二〇一七年)
速度というのは速いほどいいというわけではなく、遅いほどいいというわけでもない。そもそも良し悪しなどてんで問題でない。そうではなくて、速度というのは、一定不変なものではまるでなく、<速さ・遅さ>のどちらへ向かうにせよ、ある閾を越えると世界が異なって見えるばかりか、すでに異なった世界へ移動したのだ、ということについて述べられている。
空間的な別の価値体系への移動がもたらす世界の転倒については二度に渡るバルベック滞在で大いに語られた。その都度触れてきたが、この箇所での時間的な移動に伴う錯覚について、同じケースは何度か引用しているように次の文章に要約されている。二箇所。
(1)「ある新進作家が発表しはじめた作品では、ものとものとの関係が、私がそれを結びつける関係とはあまりにも異なるせいか、私には書いていることがほとんど理解できなかった。たとえばその作家はこう書く、『撒水管はみごとに手入れされたもろもろの街道に感嘆していた』(これはさして難しくないので、その街道沿いにすいすい進んでゆくと)『それらの街道は五分ごとにブリアンやクローデルから出てきた』。こうなるともはや私には理解できなかった。町の名が出てくるはずだと思っていたのに、人名が出てきたからである。ただし私は、出来の悪いのはこの文ではなく、私のほうに最後までゆき着くだけの体力も敏捷さも備わっていない気がした。そこでもう一度はずみをつけて、手脚も駆使して、ものとものとの新たな関係が見える地点にまで到達しようとした。そのたびに私は、文の中ほどまで来ると、のちに軍隊で梁木(りょうぼく)と呼ばれる訓練をしたときのように、ふたたび落伍した。それでもやはり私は、その新進作家にたいして、体操の成績にゼロをもらう不器用な子がずっと上手(じょうず)な子に向けるような賞賛の念をいだいた。そのころから私はベルゴットにさほど関心しなくなった。その明快さがもの足りなく思えたのだ。その昔には、フロマンタンが描くありとあらゆるものがだれにもそれとわかり、ルノワールの筆になるとなにを描いたものかわからない、といった時代もあったのである。趣味のいい人たちは、現在、ルノワールは十八世紀の大画家だと言う。しかしそう言うとき、人びとは『時間』の介在を忘れている。ルノワールが、十九世紀のさかなでさえ、大画家として認められるのにどれほど多くの時間を要したかを忘れているのである。そのように認められるのに、独創的な画家や芸術家は、眼科医と同じ方法をとる。絵画や散文によるその療法は、かならずしも快くはないが、治療が終わると、それを施した者は『さあ見てごらんなさい』と言う。すると世界は(一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家があらわれるたびに何度も創造し直される)、昔の世界とはまるで異なるすがたであらわれ、すっかり明瞭に見える。通りを歩く女たちも昔の女とは違って見えるが、それはルノワールの描く女だからであり、昔はそんなものは女ではないと言われていたルノワールの描いた女だからにほかならない。馬車もルノワールの描いたものだし、水も空も同様である。われわれは、その画を最初に見たときには、どうしても森にだけは思えず、たとえばさまざまな色合いを含んではいるが森に固有の色合いだけは欠いたタピスリーに思えたものだが、そんな森と今やそっくりの森を散歩したい欲求に駆られる。創造されたばかりの新たな世界、しかしやがて滅びる世界とは、このようなものである。この世界は、さらに独創的な新しい画家や作家がつぎの地殻の大変動をひきおこすまでつづくだろう」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・二・一・P.339~342」岩波文庫 二〇一三年)
(2)「実際、すぎ去った時の長さを計るうえで、困難が伴うのは最初だけである。最初はそれほど膨大な時がすぎ去ったことを想い描くのにずいぶん苦労するが、つぎにはそれほど時がすぎ去ったわけではないことを想い描くのに相当の困難を覚える。最初は十三世紀がそれほど遠い昔だとはとうてい考えられなかったのに、つぎには十三世紀の教会がなおも残存しうること、現にフランスにそれが数えきれないほど存在することが容易に信じられなくなる」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.53~54」岩波文庫 二〇一九年)
またプルーストの文章の中に「われわれは今や、さらになお当分のあいだも」とある。時間的にも空間的にも、いずれの場合にも、理解し納得するまで、「当分のあいだ」、時間がかかる。ところが理解し納得してしまうと今度はたちまち「慣れ」が生じる。もはや誰一人驚かなくなるという事態が起こってくる。謎の解明のヒントとしてニーチェの命題。
「《命令する喜びと服従する喜び》。ーーー命令することは、服従することとともに、喜びの種(たね)である。ただ前者の場合は、命令することがまだ習慣になっていないときの話であるのに対し、後者の場合は、服従することが習慣になっているときの話である。だから、新しい命令者とその下に働く古い召使いたちは、互いに輪をかけて喜びの種となりあう」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・三一一・P.211」ちくま学芸文庫 一九九四年)
ニーチェは「新しい命令者とその下に働く古い召使いたち」の場合に<限って>という条件付きで語っている。「命令する喜びと服従する喜び」の有効性はそれが「まだ習慣になっていないとき」に<限って>通用する話でしかない。
なんのことかというと、欧米では立派に通用するが日本を含む東アジアではほとんど通用しない、という決定的違いに目配りする必要性があるというわけだ。
実際、日本がそうだし中国もそうだ。いつまで経っても日本は「国際社会」のコバンザメ状態、中国もこれまた全体主義体制から解放されようとしない。もっとも、中国は世界市場として常に「国際社会」の中で「国際社会」との巨大な交流交換関係を維持しているのに対し、日本は情けないくらいほど遠い。ますます突き放されていきつつある。台湾有事という言葉が流通してはいるけれども、今や東南アジアの大工場となった台湾を戦場にするのは米中いずれの大国にとっても避けたいし避けるだろう。中国や台湾から出荷される機械部品なしに諸大国の多くの消費者層の生活様式を現状維持していくことはとてもではないが困難。
ではウクライナに換わる「戦争-経済」代替地はどこか。今の日本列島が最適化されつつある。安倍元首相銃撃事件以前から約十年間も日本列島軍事基地化に向けて会食をともにしてきた「維新」勢力もずっと最適化を支援してきた。もっとも、最適化されたと言うのは気が早すぎる。さらに。
まだたくさんの消費者層を抱える日本全土を一度に戦場化することは、日本の政治家は許しても、前提として資本主義が許さない。今の与党と「維新」勢力とテレビ放送とがどれほど泣こうが喚こうが、世界中を覆い尽くした資本主義は、ただ単なる日本の政治家と政治政党とテレビ放送とが押し進めてきた、ちっぽけな「ひとりよがり」を許さない。
資本主義は「ひとりよがり」を大変嫌がる。まだかなりの消費者が生活しており利潤が上ってもいる地帯をなぜ戦場化する必要があるのかと。抵抗勢力があれば、それが与党側(今の与党と「維新」勢力とテレビ放送と)であってもなお、ただちに叩き潰せばいいではないかと。ウクライナ戦争についてエマニュエル・トッドは一つの見方を提示している。
「私がたまたまテレビで見たのは、マリウポリから逃げることができた子連れのフランス人男性とウクライナ人女性のカップルに対する取材です。どの組織が彼らを脱出させたのかは分かりませんが、明らかに民間人である彼らは脱出に成功し、生中継でインタヴューを受けていました。そこでフランス人男性が驚くべき発言をしたのです。彼はこう言いました。『私たちは最初、マリウポリから脱出しようとしました。しかし、ウクライナ軍が私たちを阻止したのです』。この証言が正しいとすれば、ウクライナ軍が民間人を《人間の盾》として利用している証拠が生中継で流れたことを意味します。普通に考えれば、無視できない証言です。ところが、誰も彼の証言の意味をそれ以上、追求しようとはしなかったのです。とはいえ、こう指摘するだけでは、おそらく私は『親ロシア派』とみなされてしまうでしょう。ですから状況はとにかく複雑です。こうしたことも含めて、私は《一歩引いた歴史家》という立場から物事を見る方がよいと考えています」(エマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている・P.200~201』文春新書 二〇二二年)
しかしウクライナ戦争は膠着状態に入った。日本はどのような位置を取っているか。
「国家はもはや戦争機械を所有するのではなく、国家自身が戦争機械の一部分にすぎぬような戦争機械を再構成したのだ」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・13・捕獲装置・P.234」河出文庫 二〇一〇年)
国民国家という概念自体がすでに古い。世界の側から見れば、四半世紀以前すでに日本は日本国まるごと「戦争機械の一部分にすぎぬ」。グローバルな観点に立ってみれば、日増しにリゾーム化していく多国籍社会の側こそが多数派なのであって、日本単独で何か一つでもできると思っている人間がもしいるとすれば、それこそ大いなる勘違いなのだ。大いなる。リチャード・フラナガンから二箇所引いておこう。日本政府がどれほど記憶喪失を装おうとしても「国際社会」の側は決してこの記録を抹消することはできない。
(1)「天皇陛下の鉄道建設を助けにここまでの長旅、ご苦労だった。捕虜であることは大いなる恥である。大いなる!天皇陛下のために鉄道を建設することで名誉を挽回せよ。大いなる名誉である。大いなる!」(リチャード・フラナガン「奥のほそ道・P.48」白水社 二〇一八年)
(2)「もうすぐ自分たちの鉄道で毎日ビルマまで走る日本人の精神、ビルマからインドへと向かうだろう日本人の精神、そこから世界を征服することになるだろう日本人の精神。ナカムラは思った。このように、日本人の精神はいまそれ自体が鉄道であり、鉄道は日本人の精神であり、北の奥地へと続くわれらの細き道は、芭蕉の美と叡智をより広い世界へと届ける一助となるだろう」(リチャード・フラナガン「奥のほそ道・P.132」白水社 二〇一八年)
日本はもっと小さくなる。遥かに小さくなる。諸条件が今のまま推移していくとすれば、かつて日本の植民地だった場所が、とりわけ東南アジア各地の側が、欧・米・中から輸入される様々な先端技術の導入とともに日本を転倒させる日は限りなく近づく。