文学がなし得ないことを音楽はなし得るとプルーストはいう。
(1)「感じたものを文学的に、つまり知的に翻訳しても、それを報告し、説明し、分析することはできるが、音楽のようにそれを再構成することはできない」。
(2)「音楽では、さまざまな音が人間存在の屈折をとらえ、さまざまな感覚の内的な尖端を再現する」。
「傑作が最初にひきおこす幻滅にこのような反動が生じるのは、じつは、当初の印象が弱まったせいとも考えられるし、真実をひきだすには努力を必要とするからとも考えられる。このふたつの仮説は、あらゆる重要な問題、つまり『芸術』の現代性とか、魂の『現実性』や『不滅』とかの問題について提起されるもので、ふたつの仮説のどちらかを選ばなければならない。ヴァントゥイユの音楽の場合、この選択は、あらゆる瞬間に、さまざまな形で提起されていた。たとえばこの音楽は、私の知るいかなる書物よりもはるかに真正なものに思われた。ときに私はその原因は、人生においてわれわれが感じるものは想念という形をとることはないので、その感じたものを文学的に、つまり知的に翻訳しても、それを報告し、説明し、分析することはできるが、音楽のようにそれを再構成することはできないのにたいして、音楽では、さまざまな音が人間存在の屈折をとらえ、さまざまな感覚の内的な尖端を再現するように思われる点にあると考えた。この感覚の内的な尖端こそ、われわれがときどき覚える特殊な陶酔感を与えてくれる部分であるが、そばにいる人に『なんていい天気だろう!なんてすばらしい日の光だろう!』などと言ってみたところで、その陶酔感をなんら知らしめることにならないのは、同じ天気や同じ日の光が、相手にはまるで異なる心の震えを呼びおこしているからである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.418~419」岩波文庫 二〇一七年)
だからといってヴァントゥイユの音楽を聴いたすべての人間が<私>と同じように反応するわけではまるでない。<私>以外の人々の間では、音楽によりけり、文学によりけりで、いつもヴァントゥイユの音楽を上位に据えるとは必ずしも限らない。だから、<私>にとってのヴァントゥイユ、という条件つきで始めてそう言うことができるし、その限りで<私>に嘘はない。
また「同じ天気や同じ日の光」、要するにある同じ条件が<私>に与える衝撃は、同じであるにもかかわらず、「相手にはまるで異なる心の震えを呼びおこ」すことはよくある。それでいいのだ。主観を一つに固定する必要性は全然ないからである。
「《主観を一つだけ》想定する必要はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じくさしつかえあるまい。それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権をにぎっている『諸細胞』の一種の《貴族政治》?もちろん、互いに統治することに馴れていて、命令することをこころえている同類のものの間での貴族政治?
肉体を信ずることは『霊魂』を信ずることよりもいっそう基本的である。すなわち後者は、肉体の断末魔を非科学的に考察することから発生したものである。
《肉体》と生理学とに出発点をとること。なぜか?ーーー私たちは、私たちの主観という統一がいかなる種類のものであるか、つまり、それは一つの共同体の頂点をしめる統治者である(『霊魂』や『生命力』ではなく)ということを、同じく、この統治者が、被統治者に、また、個々のものと同時に全体を可能ならしめる階序や分業の諸条件に依存しているということを、正しく表象することができるからである。生ける統一は不断に生滅するということ、『主観』は永遠的なものではないということに関しても同様である。また、闘争は命令と服従のうちにもあらわれており、権力の限界規定が流動的であることは生に属しているということに関しても同様である。共同体の個々の作業や混乱すらに関して統治者がおちいっている或る《無知》は、統治がおこなわれる諸条件のうちの一つである。要するに、私たちは、《知識の欠如》、大まかな見方、単純化し偽るはたらき、遠近法的なものに対しても、一つの評価を獲得する。しかし最も重要なのは、私たちが、支配者とその被支配者とは《同種のもの》であり、すべて感情し、意欲し、思考すると解するということーーーまた、私たちが肉体のうちに運動をみとめたり推測したりするいたるところで、その運動に属する主体的な、不可視的な生命を推論しくわえることを学んでいるということである。運動は肉眼にみえる一つの象徴的記号であり、それは、何ものかが感情され、意欲され、思考されているということを暗示する」(ニーチェ「権力への意志・下・四九〇~四九二・P.34~36」ちくま学芸文庫 一九九三年)
前に「連合」の場所移動について述べた。シニフィアン(代表するもの)とシニフィエ(代表されるもの)とはいついかなる時にでも置き換え可能だという現実の好例として上げた。そんな「連合」だが、「連合」加入者とその家族のすべてが救済されるわけではまるでない。第二次日本開戦は今すぐにでも可能だからだ。今すぐでなくとも、労働者としての最初の危機の時期はもう始まっている。グローバルネットワークで繋がっているすべての労働者は、いつも街頭に投げ出されていることができる。いつも街頭に投げ出された状態のまま仕事の到来を待つことができるようになった。<釜ヶ崎の世界化>あるいは<世界の釜ヶ崎化>というのはそういうことだ。
三時間、三週間、三ヶ月、といった短期間労働。あるいは逆に後何年つづくかわからないような職場もある。例えば友人の一人はもう五年くらい前から福島原発除染作業員として一日一万五〇〇〇円程度の日給を得ている。スマートフォン一台あれば事足りる。驚くほどの高学歴ではなくキャリア官僚でもない一般労働者の場合、路上へ投げ出された状態がいつまでも続く。だが、ただ単に仕事が欲しければいつどこにいても手に入れることはできる。
<釜ヶ崎の世界化>あるいは<世界の釜ヶ崎化>という就労状況の永続化はどのようにして可能になるか。マルクスから三箇所。
(1)「資本主義的生産過程はそれ自身の進行によって労働力と労働条件との分離を再生産する。したがって、それは労働者の搾取条件を再生産し永久化する。それは、労働者には自分の労働力を売って生きてゆくことを絶えず強要し、資本家にはそれを買って富をなすことを絶えず可能にする。資本家と労働者とを商品市場で買い手と売り手として向かい合わせるものは、もはや偶然ではない。一方の人を絶えず自分の労働力の売り手として商品市場に投げ返し、また彼自身の生産物を絶えず他方の人の購買手段に転化させるものは、過程そのものの必至の成り行きである。じっさい、労働者は、彼が自分を資本家に売る前に、すでに資本家に属しているのである。彼の経済的隷属は、彼の自己販売の周期的更新や彼の個々の雇い主の入れ替わりや労働の市場価格の変動によって媒介されていると同時におおい隠されているのである」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十一章・P.127」国民文庫 一九七二年)
(2)「競争戦は商品を安くすることによって戦われる。商品の安さは、他の事情が同じならば、労働の生産性によって定まり、この生産性はまた生産規模によって定まる。したがって、より大きい資本はより小さい資本を打ち倒す。さらに思い出されるのは、資本主義的生産様式の発展につれて、ある一つの事業をその正常な条件のもとで営むために必要な個別資本の最少量も大きくなるということである。そこで、より小さい資本は、大工業がまだまばらにしか、または不完全にしか征服していない生産部面に押し寄せる。ここでは競争の激しさは、敵対し合う諸資本の数に正比例し、それらの資本の大きさに反比例する。競争は多数の小資本家の没落で終わるのが常であり、彼らの資本は一部は勝利者の手にはいり、一部は破滅する。このようなことは別としても、資本主義的生産の発展につれて、一つのまったく新しい力である信用制度が形成されるのであって、それは当初は蓄積の控えめな助手としてこっそりはいってきて、社会の表面に大小さまざまな量でちらばっている貨幣手段を目に見えない糸で個別資本家や結合資本家の手に引き入れるのであるが、やがて競争戦での新しい恐ろしい武器になり、そしてついには諸資本の集中のための一つの巨大な社会的機構に転化するのである。資本主義的生産と資本主義的蓄積とが発展するにつれて、それと同じ度合いで競争と信用とが、この二つの最も強力な集中の槓杆(てこ)が、発展する。それと並んで、蓄積の進展は集中されうる素材すなわち個別資本を増加させ、他方、資本主義的生産の拡大は、一方では社会的欲望をつくりだし、他方では過去の資本集中がなければ実現されないような巨大な産業企業の技術的な手段をつくりだす。だから、こんにちでは、個別資本の相互吸引力や集中への傾向は、以前のいつよりも強いのである。しかし、集中運動の相対的な広さと強さとは、ある程度まで、資本主義的な富の既成の大きさと経済的機構の優越とによって規定されているとはいえ、集中の発展はけっして社会的資本の大きさの絶対的増大には依存しないのである。そして、このことは特に集中を、ただ拡大された規模での再生産の別の表現でしかない集積から区別するのである。集中は、既存の諸資本の単なる配分の変化によって、社会的資本の諸成分の単なる量的編成の変化によって、起きることができる。一方で資本が一つの手のなかで巨大なかたまりに膨張することができるのは、他方で資本が多数の個々の手から取り上げられるからである。かりにある一つの事業部門で集中が極限に達することがあるとすれば、それは、その部門に投ぜられているすべての資本が単一の資本に融合してしまう場合であろう。与えられた一つの社会では、この限界は、社会的総資本が単一の資本家なり単一の資本家会社なりの手に合一された瞬間に、はじめて到達されるであろう。
集中は蓄積の仕事を補う。というのは、それによって産業資本家たちは自分の活動の規模を広げることができるからである。この規模拡大が蓄積の結果であろうと、集中の結果であろうと、集中が合併という手荒なやり方で行なわれようとーーーこの場合にはいくつかの資本が他の諸資本にたいして優勢な引力中心となり、他の諸資本の個別的凝集をこわして、次にばらばらになった破片を自分のほうに引き寄せるーーー、または多くの既成または形成中の資本の融合が株式会社の設立という比較的円滑な方法によって行なわれようと、経済的な結果はいつでも同じである。産業施設の規模の拡大は、どの場合にも、多数人の総労働をいっそう包括的に組織するための、この物質的推進力をいっそう広く発展させるための、すなわち、個々ばらばらに習慣に従って営まれる生産過程を、社会的に結合され科学的に処理される生産過程にますます転化させて行くための、出発点になるのである。
しかし、蓄積、すなわち再生産が円形から螺旋形に移って行くことによる資本の漸時的増加は、ただ社会的資本を構成する諸部分の量的編成を変えさえすればよい集中に比べて、まったく緩慢なやり方だということは、明らかである。もしも蓄積によって少数の個別資本が鉄道を敷設できるほどに大きくなるまで待たなければならなかったとすれば、世界はまだ鉄道なしでいたであろう。ところが、集中は、株式会社を媒介として、たちまちそれをやってしまったのである。また、集中は、このように蓄積の作用を強くし速くすると同時に、資本の技術的構成の変革を、すなわちその可変部分の犠牲においてその不変部分を大きくし、したがって労働にたいする相対的な需要を減らすような変革を、拡大し促進するのである。
集中によって一夜で溶接される資本塊も、他の資本塊と同様に、といってもいっそう速く、再生産され増殖され、こうして社会的蓄積の新しい強力な槓杆(てこ)になる。だから、社会的蓄積の進展という場合には、そこにはーーー今日ではーーー集中の作用が暗黙のうちに含まれているのである。
正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は、特に、新しい発明や発見、一般に産業上の諸改良を利用するための媒体として役立つ。しかし、古い資本も、いつかはその全身を新しくする時期に達するのであって、その時には古い皮を脱ぎ捨てると同時に技術的に改良された姿で生き返るのであり、その姿では前よりも多くの機械や原料を動かすのに前よりも少ない労働量で足りるようになるのである。このことから必然的に起きてくる労働需要の絶対的な減少は、言うまでもないことながら、この更新過程を通る資本が集中運動によってすでに大量に集積されていればいるほど、ますます大きくなるのである。
要するに、一方では、蓄積の進行中に形成される追加資本は、その大きさに比べればますます少ない労働者を引き寄せるようになる。他方では、周期的に新たな構成で再生産される古い資本は、それまで使用していた労働者をますます多くはじき出すようになるのである」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十三章・P.210~214」国民文庫 一九七二年)
(3)「一方の極に労働条件が資本として現われ、他方の極に自分の労働力のほかには売るものがないという人間が現われるということだけでは、まだ十分ではない。このような人間が自発的に自分を売らざるをえないようにすることだけでも、まだ十分ではない。資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統や慣習によってこの生産様式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。完成した資本主義的生産様式の組織はいっさいの抵抗をくじき、相対的過剰人口の不断の生産は労働の需要供給の法則を、したがってまた労賃を、資本の増殖欲求に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は労働者にたいする資本家の支配を確定する。経済外的な直接的な強力も相変わらず用いられはするが、しかし例外的でしかない。事態が普通に進行するかぎり、労働者は『生産の自然法則』に任されたままでよい。すなわち、生産条件そのものから生じてそれによって保証され永久化されているところの資本への労働者の従属に任されたままでよい。資本主義的生産の歴史的生成期にはそうではなかった。興起しつつあるブルジョアジーは、労賃を『調節する』ために、すなわち利殖に好都合な枠のなかに労賃を押しこんでおくために、労働日を延長して労働者自身を正常な従属度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十四章・P.397」国民文庫 一九七二年)
「街頭」(ストリート)への放置。ところが、この「街頭」(ストリート)という場はとても逆説的な場だ。欧米はずっと先を行っている。「街頭」(ストリート)から生まれる抵抗運動の歴史が脈々と受け継がれている。フランスのイエロー・ベスト運動。アメリカのブラック・ライヴズ・マター。とりわけ諸外国の若年層の間で繰り広げられ次々と新しい展開を見せているヒップホップ。それらはどれも「街頭」(ストリート)から生じた。さらに南米がそれに次いでいる。そのような状況は世界中へ一挙に発信される。日本は救いようのないほど立ち遅れているわけだが。