白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて328

2023年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。曇りでした。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

日の入時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

二〇二三年三月二十五日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて327

2023年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。日の出時刻頃の大津市の気象予報は雨、湿度は77パーセントのようです。湖東方向も雨。鈴鹿峠も雨のようです。

 

午前五時四十分頃浜辺へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.3.25)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

日の出時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.3.25)

 

二〇二三年三月二十五日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

 


Blog21・「まなざし」へ変身するアルベルチーヌ/延期された香港民主化と次の日本の統一地方選

2023年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

菓子屋の店内でアルベルチーヌは「まなざし」へも変身する。

 

「きわめて背の高い女主人は立って私たちに給仕し、アルベルチーヌは私の横に座っていたから、女主人の注意を惹くために、その都度、金色に輝くまなざしをそちらへ垂直に上げるはめになり、しかも女主人は私たちのそばに寄っているから、アルベルチーヌはまなざしを斜めにしてその傾斜をゆるめることもできず、それだけに瞳をいっそう吊り上げざるをえなくなった。顔をあまり上げすぎないようにしながら、自分のまなざしを女主人の目の位置する途方もない高さにまで持ち上げるほかないのだ」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.497」岩波文庫 二〇一七年)

 

「まなざし」としてのアルベルチーヌ。バルベック滞在時、「まるで目を灯台にしてアルベルチーヌに合図を送っているふう」の「すらりとした若い色白の美人」がいた。それは「まなざしそのもの」とでもいうべきものと化していた。

 

「私は浜辺で、すらりとした若い色白の美人を見かけた。その目の中央からは幾何学的な明るい光が放射され、そのまなざしを前にすると、なにやら星座を見ている気になる。私はこの若い女のほうがアルベルチーヌよりずっと美人ではないか、アルベルチーヌを諦めたほうが賢明ではないかと考えた。ただしこの若い美人は、ひどく下品な暮らしのなかでたえず姑息な策を弄してきたらしく、顔にはそんな暮らしの目には見えぬ鉋(かんな)がかけられていたせいか、顔のほかの部分よりもずっと高貴なその目からは、ただものほしげな欲望の光だけが放たれていた。ところが私はその翌日、カジノで私たちから非常に遠く離れた席にいたこの若い婦人が、あたりをくるくるかわるがわる照らすまなざしの光をたえまなくアルベルチーヌに注いでいるのに気づいた。まるで目を灯台にしてアルベルチーヌに合図を送っているふうである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.556~557」岩波文庫 二〇一五年)

 

今度は逆にアルベルチーヌが「まるで目を灯台にして」女主人に「合図を送っている」。この時、<私>もまたもう一つの「まなざし」と化している。なぜだろう。「恋する男」は「変動」すると前提されている。

 

「小説家は、主人公の生涯を語るさい、つぎつぎと生じる恋愛をほぼそっくりに描くことによって、自作の模倣ではなく新たな創造をしている印象を与えることができる。というのも奇をてらうより、反復のなかに斬新な真実を示唆するほうが力づよいからである。さらに小説家は、恋する男の性格のなかに、人が人生の新たな地帯、べつの地点に到達するにつれて目立つようになる変動指標をも示すべきであろう」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.537」岩波文庫 二〇一二年)

 

小説家はそれをどのように描くのだろう、と読者は考える。どのようにでも描けるし気が向けば解体することもできる。解体できるということは改竄することもできるということだ。それゆえ、何をどのように描いてもいいとは必ずしも限らない。小説家の作業というのはいつも自由を目指して自縛=自爆へ至る危機をおそるおそる生きていくほかなく、そのことを知る、何度も繰り返し徹底的に知るという、いつまで経っても終わりの見えないある種の苦行にも似て見える。

 

「アルベルチーヌは、私への気遣いから、そのまなざしをさっと伏せるが、女主人がぜんぜん自分に注意してくれないので、また同じことをやりはじめる。それはまるで近寄ることのできない女神に空しい愛願の聖体奉挙を何度も捧げる格好であった。やがて女主人の残る仕事は、隣の大きなテーブルを片づけるだけになった。そうなると、アルベルチーヌのまなざしは横を向きさえすればいいのだ」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.497」岩波文庫 二〇一七年)

 

アルベルチーヌは「まなざし」だ。「まなざし」として縦移動、横移動、斜め移動する。だからといって「目玉おやじ」(水木しげる)とは違うのだ。

 

「目玉おやじ」は際立ってアニミズム的な産物である。男親が目玉一つ、もう一つの目玉は息子=鬼太郎にある。認識装置の相続は、親から娘へでは決してなく、親から息子への相続でなければならなかった。とりわけ男から男へ、でなければならない、にもかかわらず、どこにも根拠一つ見当たらない原始信仰。

 

もっとも、水木しげるがいいとかよくないとかは問題外だ。少なくとも戦時中、日本から東アジアへの侵略戦争に加担した人々の中にはあちこちに残る原始的アニミズムが生き生きと躍動しているのを目にしたことは間違いない。その風景を目にした人々の少なくない部分が、東アジア、わけても東南アジア各地に残されている原風景と日本各地に残されている郷土の様々な祭祀との共通性を目の当たりにしたことは疑問の余地がない。

 

水木しげるの遺産の一つは大日本帝国各地に息づいているアニミズムが、東南アジア各地にも同時に息づいているという事実を記録したことだ。とはいえしかし、そのようなアニミズムは本当にあるのか?ある。もっと前にフレーザーが世界に向けて報告している。世界中にあると。フロイトの仕事もまたフレーザー報告に多くを負っている。

 

(1)「彼(ミカド)は、自分の足を地面につけることが、自らの権威と聖性を大いに侵害するものであると考えている。このため、どこへ外出するにも、男たちの肩に乗せて運ばれなければならない。ましてや、戸外の空気にこの聖なる人間を曝すなどもってのほかであり、日の光はその頭に降り注ぐ価値などないと考えられている。身体のあらゆる部分に聖性が宿ると考えられているため、あえて髪を切ることも髭を剃ることも爪を切ることもしない。しかしながら、あまりに不潔にならないよう、彼は夜眠っている間に体を洗われる。なぜなら、眠っている間に身体から取り去られたものは、盗まれたものであって、そのような盗みは、その聖性や権威を害することにはならないからである。太古の時代には、彼は毎朝数時間玉座についていなければならなかった。皇帝の冠をかぶり、ただ像のようにじっと座っている。手足も頭も目も、それどころか身体のいかなる部分も動かすことはない。これは、自らの領土の平和と安定を保つことができるのは彼自身と考えられたからで、不運にも体の向きをどちらかに向けたりすれば、あるいはまた領地のいずこかの方角を長時間眺めていたりすれば、国を滅ぼすほどの不作や大火もしくはなんらかの大きな災いが間近に迫っている、と解釈されたからである」(フレイザー「金枝篇・上・第二章・第一節・P.165~166」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

 

(2)「早くから日本のミカドたちは、至上の権力という栄誉と重荷を自分の幼い子どもに譲り渡すという、便宜的な手段に訴えていたらしい。この国で長く俗世の権力を握ることになる大君〔将軍〕が登場したのも、あるミカドが三歳の息子のために自ら退位したことが原因である。ひとりの簒奪者が、ミカドとなった幼い皇子からその主権をもぎ取った。そこでミカドの大義を擁護したのは、気骨と実行力に富む男、〔源〕頼朝であった。頼朝はその簒奪者を倒し、ミカドにその『影』を回復してやった。つまりは権力という『実体』を、頼朝自身が確保したのである。頼朝は自らが勝ち取った権威を子孫に譲り、こうして代々に亘る大君の創始者となった。十六世紀後半にもなると、大君は実行力のある有能な統治者となった。だが大君たちも、ミカドのそれと同じ運命に見舞われる。大君が、同様に慣習と法の入り組んだ網の目に捕らえられ、単なる傀儡に堕し、城から動くこともなくなり、永遠に続くかのごとき空虚な宴に明け暮れる一方で、実質的な行政は、国策会議によって執り行われたのである」(フレイザー「金枝篇・上・第二章・第一節・P.173~174」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

 

(3)「ミカドの食べ物が毎日新しい鍋で調理され、新しい皿に盛られたことは、先に述べたとおりである。鍋も皿も、一度使われただけで割られるか捨てられるため、平凡な陶器であった。大概の場合は割られたが、これはもし他のだれかがこの聖なる皿で食事をすれば、その口と喉は膨れ上がり燃え上がる、と信じられていたからであった。ミカドの衣類も、その許可なくして袖を通した者には、同様の悪しき結果が及ぶと考えられていた。体じゅうが膨れ上がり痛みだすというのである。このような、ミカドの器や衣類を用いることで降りかかると考えられた忌まわしい結果を考えると、われわれには、これまで注目してきた神なる王もしくは人間神としての性質について、もうひとつ別の側面が見えてくる。神なる人間は、祝福の源であると同時に、危険の源でもあるのだ。つまり、それは守られなければならない存在であるのみならず、避けられるべき存在でもある。あまりに繊細であるため触れられただけで変調をきたしてしまうその聖なる有機体は、強い霊力によって充電されている存在でもあるから、それに触れたものはなんであれ、放出される霊力によって致命的な結果に晒される。したがって人間神の隔離は、それ自身のためであると同時に、他の人々の安全にとっても、是非とも必要なことなのである。その神性は火と同じく、適度に抑制されている限りは絶え間ない祝福を与えてくれるものの、軽はずみに触れるものや境界を踏み越えるものがあれば、なんでも焼き尽くし破壊してしまう。それゆえ、タブーを破れば悲惨な結果が待っていると考えられることになる。違反者とは、聖なる火に手を突き出してしまった者なのであり、火は違反者をその場で縮みあがらせ、焼き尽くすのである」(フレイザー「金枝篇・上・第二章・第三節・P.233~234」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

 

(4)「《文明の最初の命題》。ーーー野蛮な民族にあっては、その意図するところが要するに風習であるように思われる一種の風習がある。綿密すぎる、そして根本において余計な規定がある(たとえばカムチャッカ人の間では、決して雪を靴から小刀で落とさず、決して炭を小刀でつき刺さず、決して鉄を火の中に入れない、という規定があるーーーそのような点に違反する者は、死ぬことになる!)。しかしこれらの規定は、風習が絶えず身近にあることや、風習に従えという不断の強制などを、絶え間なく意識させ、どんな風習でも風習がないよりはよい、という文明のはじまりの偉大な命題を強化するにいたる」(ニーチェ「曙光・十六・P.34」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

しかしアニミズムをそのまま残しておいていいのかという問いはすでに提起されていて、よくない、という答えも出ていた。そこで。

 

世界は余りにも不合理かつ不効率なアニミズムを合理化しようとする。祭祀・祭儀として形式化することに成功した。どうなったか。祭祀・祭儀として形式化されたアニミズムは今度は観光産業の「目玉」へと姿を置き換えた。置き換えを可能にしたのはニーチェやプルーストが示唆して止まないように、十九世紀後半から、欧米帝国主義列強が指導する植民地化によってであり、近代という制度のもとで<言語=貨幣>による交換経済の輸出入があって始めて可能になった。

 

逆説もまたある。アニミズムというものは合理化することはできても打倒することは決してできないという逆説がそうだ。アニミズムの産業社会への編成。それは人間が学んだというより、資本主義が学び覚えたことの一つである。

 

「軍事秩序は、消尽が大饗宴(オルギア)さながらに頻繁に繰り返される情況に応じていたあの漠然たる不安感や不満の感情に終止符を打った。それは諸力を合理的に用いるよう命じ、そうすることで権力の絶え間ない増大を計ったのである。征服という方法的な精神は、供儀の精神とは正反対なものであり、そもそも初めから軍事社会の王たちは供儀に捧げられるのを拒むのである。軍事秩序の原則は、暴力性を方法的なやり方で外部へと方向転換することである。もし暴力性が内部で猛威をふるっているとすると、軍事秩序は可能な限りそれに対立しようとする。そして暴力の方向を外へとずらしながら、ある現実的な目標へとそれを服従させる。このようにして軍事秩序は一般的に暴力を服従させるのである。だから軍事秩序は派手に人目をひく戦闘の諸形態とは、つまりそういう戦闘は有効性を合理的に計算することよりも狂熱の堰を切ったような爆発によりよく応じているのだけれども、そのような戦闘形態とは正反対のものなのである。軍事秩序はもはや、かつて原始的な社会体制が戦闘や祝祭においてそうしたように、諸力の最も大きな濫費を狙うことはない。諸力を蕩尽する活動は残っているけれども、ある効率的生産性の原則に最大限に服従しているのである。力が濫費されるとしても、それはもっと大きな力を獲得する目的でそうされるのである。原始的な社会は、戦争においても、奴隷を掠奪することに限定していた。そしてその社会の原則に応じて、こうした獲得物を祭礼において虐殺することでその埋め合せをしていたのである。ところが軍事秩序は戦争から得た収益を奴隷へと編成し、奴隷という収益を労働へと編成する。征服という活動をある方法的な操作、つまり帝国の拡大を目ざした操作とするのである」(バタイユ「宗教の理論・第二部・一・軍事秩序・P.85~86」ちくま学芸文庫 二〇〇二年)

 

資本主義が学び覚えたことは一つではない。

 

「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・P.303~304」河出書房新社 一九八六年)

 

さらに現在進行形を取りつつ今やAIが押し進めようとしているのは他でもない「多極化」であって、方法的制覇の再利用再々利用である。かつてヴァレリーが述べた「ドイツ、イタリア、日本」による方法的制覇は完全な失敗に終わった。世界はそれを確認した。もう見た。今後の「ドイツ、イタリア、日本」は凋落するか、目一杯ねばったとしても現状維持に留まる。ドイツは何を考えたかさっぱりなのだが、せっかく膠着し局所化に成功し出したウクライナ戦争を混ぜ返すのが目に見えている軍事的揺さぶりのため、わざわざ巻き込まれにいった。

 

逆に方法的制覇の応用によってすでに台頭してきた部分は、インド、そしてアフリカの諸地域でいくつか見られる。世界的市場として今後の拡大も大いに見込まれる。そのためにはある種の努力が必要だ。戦場化しないという努力である。インド、そしてアフリカの諸地域を戦場化することはそもそも諸大国が回避するよう努力するし努力している。戦場化しないことと資本主義的大市場としての未来の約束とはいつも同じことだ。

 

日本について。少なくとも第二次壊滅を回避し再び経済循環をよくしたいというのなら、日本列島を再び戦場化しない選択肢を自分たちの手で選ぶということになってくる。なんのための選挙なのか。香港民主化運動の中で若い世代の象徴とされた周庭はもう表舞台から姿を消したが、その少し前、日本に向けて皮肉たっぷりに言っていた。日本は「民主的」選挙という方法を持っていながら、なぜもっと活用しないのかと。全体主義は否定するがナショナリズムにも反対するという意味で。