プルーストによる「習慣」についての考察。
「アルベルチーヌがそばにいることは私の習慣と化していたが、私はいきなり『習慣』の新たな相貌を見せつけられた。それまで私は習慣を、なによりも知覚の独創性のみならず知覚の意識まで抹殺する破壊力とみなしていたが、いまやそれは恐ろしい神のように見えてきた。この神は、われわれのなかに食いこみ、その特徴なき顔はわれわれの心中に深く嵌(は)めこまれているので、もしそれがわれわれから離れてそっぽを向くと、ほとんど見分けのつかないこの神は、どんな神よりも恐ろしい苦痛をわれわれに科し、そんなときには死と同じくらい残忍になるのだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.25」岩波文庫 二〇一七年)
<私>はそれをアルベルチーヌとの出会いと別離とにおいて経験する。一つは「アルベルチーヌがそばにいることは私の習慣と化していた」こと。もう一つは「それがわれわれから離れてそっぽを向くと、ほとんど見分けのつかないこの神は、どんな神よりも恐ろしい苦痛をわれわれに科し、そんなときには死と同じくらい残忍になる」こと。
アルベルチーヌと<私>との関係を見ると二度の切断があることに注目しよう。
(1)最初の切断。アルベルチーヌとの出会い。非日常の始まり。
(2)アルベルチーヌと<私>との生活の習慣化。非日常の日常化の始まり。
(3)第二の切断。アルベルチーヌによる世界との切断。習慣の解体とともに日常の非日常化が始まる。
(4)第二の切断とともに訪れる第二の非日常は最初の非日常とはまったく違ったものへ生成しており、反復されると同時に差異化された非日常として出現する。
<習慣という制度>について語られている点で考察するに値する。切断という行為は或る価値体系(或る社会的文法)から別の価値体系(別の社会的文法)への移動を意味する。問題は、<その間、何が生じているか>、だと言っておきたい。なぜならプルーストの同時代人だけではなく、現在進行形の世界的問題、オープンAIの大々的公開(もはや隠しておく必要がなくなった)によって、人々は常に、<その間、何が生じているか>という問いに掛けられた宙吊り状態を余儀なくされ、<その間>ばかり延々引き延ばされていくことが明確化されたことによる。
差し当たり日本の場合、この種の切断を二度経験している。最初は尊王攘夷・勤王討幕運動から明治政府一極支配体制が全国津々浦々へ浸透するまでの四半世紀。二度目は太平洋戦争終結から一九五〇年代半ば頃までの約十年。重要なのは或る価値体系(或る社会的文法)から別の価値体系(別の社会的文法)への移動の際に生じる極めて大規模かつ不安定な状態であり、<その間>、社会というものはあってないに等しい。解体されている。
別の価値体系への移動に伴う<社会的文法>の解体。<社会的文法>というのは、一般的なレベルで、<掟>として身についている一つの構造だ。一時的とはいえ、その解体がもたらす恐怖は社会的規模の恐慌状態を呈する。日本では徳川幕府解体から明治政府一極支配体制が全国津々浦々へ浸透するまでの約二、三十年間に相当する。
そんな時期の特徴として出現する恐怖は、しかし、目に見えないという点で世界共通だといえる。何一つ支えのない恐怖。絶え間なく足元から立ち上ってくる恐怖。近代の成立に要した期間は、日本の場合、明治時代に入ってすでに二十年以上が過ぎていた。しかしなぜ、<その間>を、それほど大規模な精神的恐慌として人々は感じるのか。
「私たちはとにかく《中間》に存在しているーーー一方で世界の大きさへ、他方で無限の世界の小ささへ向って。それとも原子は世界の最も遠い果てよりも私たちに近いのであろうか?私たちにとって世界は、或る尺度のもとでの、諸関係の或る総括にすぎないのではなかろうか?この任意の尺度が欠けるやいなや、私たちの世界は《溶け去る》!」(ニーチェ「生成の無垢・下・一〇〇・P.75」ちくま学芸文庫 一九九四年)
この「任意の尺度が欠けるやいなや、私たちの世界は《溶け去る》」ことに、すべての人間は耐えられない。この全面的アナーキーに耐えられる人間は一人もいない。とりわけ、精神的マッチョ、強いメンタル、というものはまったく歯が立たない、というより、周囲の人々を惑わすという点で有害でさえある。そこで要請されているのは、精神的マッチョでも強いメンタルでもない。次の、そして、それまでことは異なる、<別の社会的文法>が要請される。
<習慣という制度>の置き換えに当たって一定期間の恐慌状態が支配する。社会的生成変化とはこの種の恐慌状態を極限まで押し進めることによってようやく産出することができる痛ましい過程である。痛ましい過程の乗り越えに必要なのはマッチョなものではなく、その逆、しなやかな柔軟性だ。
「われわれは今ここにスキゾ分析の問題に立ち戻ったこととなる。お分かりのように、それは新たな心理学的あるいは社会心理学的処方ではなく、あるミクロ-政治的実践であって、それは、多数の突然変異的生成、女性生成、子供生成、老人生成、動物生成、植物生成、宇宙生成、透明人間生成等々をもとにして繁殖してゆく、分子諸革命の巨大なリゾームに依拠しなければその意味を帯びないであろうーーーそれら諸生成変化は、存在の新たな感受性や新たな知性、新たなやさしさを創り出したり、『機械的に組み立てたり』するそれだけ多くの方法を生むことになる」(ガタリ「機械状無意識・第1部・第6章・P.216」法政大学出版局 一九九〇年)
そして別の社会的文法へシフトできたとして、ところでそれはどこまで有効なのか。プルーストは絵画を論じてこう言及している。
「ある新進作家が発表しはじめた作品では、ものとものとの関係が、私がそれを結びつける関係とはあまりにも異なるせいか、私には書いていることがほとんど理解できなかった。たとえばその作家はこう書く、『撒水管はみごとに手入れされたもろもろの街道に感嘆していた』(これはさして難しくないので、その街道沿いにすいすい進んでゆくと)『それらの街道は五分ごとにブリアンやクローデルから出てきた』。こうなるともはや私には理解できなかった。町の名が出てくるはずだと思っていたのに、人名が出てきたからである。ただし私は、出来の悪いのはこの文ではなく、私のほうに最後までゆき着くだけの体力も敏捷さも備わっていない気がした。そこでもう一度はずみをつけて、手脚も駆使して、ものとものとの新たな関係が見える地点にまで到達しようとした。そのたびに私は、文の中ほどまで来ると、のちに軍隊で梁木(りょうぼく)と呼ばれる訓練をしたときのように、ふたたび落伍した。それでもやはり私は、その新進作家にたいして、体操の成績にゼロをもらう不器用な子がずっと上手(じょうず)な子に向けるような賞賛の念をいだいた。そのころから私はベルゴットにさほど関心しなくなった。その明快さがもの足りなく思えたのだ。その昔には、フロマンタンが描くありとあらゆるものがだれにもそれとわかり、ルノワールの筆になるとなにを描いたものかわからない、といった時代もあったのである。趣味のいい人たちは、現在、ルノワールは十八世紀の大画家だと言う。しかしそう言うとき、人びとは『時間』の介在を忘れている。ルノワールが、十九世紀のさかなでさえ、大画家として認められるのにどれほど多くの時間を要したかを忘れているのである。そのように認められるのに、独創的な画家や芸術家は、眼科医と同じ方法をとる。絵画や散文によるその療法は、かならずしも快くはないが、治療が終わると、それを施した者は『さあ見てごらんなさい』と言う。すると世界は(一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家があらわれるたびに何度も創造し直される)、昔の世界とはまるで異なるすがたであらわれ、すっかり明瞭に見える。通りを歩く女たちも昔の女とは違って見えるが、それはルノワールの描く女だからであり、昔はそんなものは女ではないと言われていたルノワールの描いた女だからにほかならない。馬車もルノワールの描いたものだし、水も空も同様である。われわれは、その画を最初に見たときには、どうしても森にだけは思えず、たとえばさまざまな色合いを含んではいるが森に固有の色合いだけは欠いたタピスリーに思えたものだが、そんな森と今やそっくりの森を散歩したい欲求に駆られる。創造されたばかりの新たな世界、しかしやがて滅びる世界とは、このようなものである。この世界は、さらに独創的な新しい画家や作家がつぎの地殻の大変動をひきおこすまでつづくだろう」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・二・一・P.339~342」岩波文庫 二〇一三年)
現代のAIを主とするイノベーションもまたそのような段階的<飛躍>を見せつつ、さらに延々と引き延ばされていくに違いない。それはおそらく、マルクスが「利潤率の傾向的低下の法則」と呼んだ事情とともに推移するだろう。
「貿易によって一方では不変資本の諸要素が安くなり、他方では可変資本が転換される必要生活手段が安くなるかぎりでは、貿易は利潤率を高くする作用をする。というのは、それは剰余価値率を高くし不変資本の価値を低くするからである。貿易は一般にこのような意味で作用する。というのは、それは生産規模の拡張を可能にするからである。こうして、貿易は一方では蓄積を促進するが、他方ではまた不変資本に比べての可変資本の減少、したがってまた利潤率の低下をも促進するのである。同様に、貿易の拡大も、資本主義的生産様式の幼年期にはその基礎だったとはいえ、それが進むにつれて、この生産様式の内的必然性によって、すなわち不断に拡大される市場へのこの生産様式の欲求によってこの生産様式自身の産物になったのである。ここでもまた、前に述べたのと同じような、作用の二重性が現われる(リカードは貿易のこの面をまったく見落としていた)。
もう一つの問題ーーーそれはその特殊性のためにもともとわれわれの研究の限界の外にあるのだがーーーは、貿易にとうぜられた、ことに植民地貿易に投ぜられた資本があげる比較的高い利潤率によって、一般的利潤率は高くされるであろうか?という問題である。
貿易に投ぜられた資本が比較的高い利潤率をあげることができるのは、ここではまず第一に、生産条件の劣っている他の諸国が生産する商品との競争が行なわれ、したがって先進国の方は自国の商品を競争相手の諸国より安く売ってもなおその価値より高く売るのだからである。この場合には先進国の労働が比重の大きい労働として実現されるかぎりでは、利潤率は高くなる。というのは、質的により高級な労働として支払われない労働がそのような労働として売られるからである。同じ関係は、商品がそこに送られまたそこから商品が買われる国にたいしても生ずることがありうる。すなわち、この国は、自分が受け取るよりも多くの対象化された労働を現物で与えるが、それでもなおその商品を自国で生産できるよりも安く手に入れるという関係である。それは、ちょうど、新しい発明が普及する前にそれを利用する工場主が、競争相手よりも安く売っていながらそれでも自分の商品の個別的価値よりも高く売っているようなものである。すなわち、この工場主は自分が充用する労働の特別に高い生産力を剰余価値として実現し、こうして超過利潤を実現するのである。他方、植民地などに投下された資本について言えば、それがより高い利潤率をあげることができるのは、植民地などでは一般に発展度が低いために利潤率が高く、また奴隷や苦力などを使用するので労働の搾取度も高いからである。ところで、このように、ある種の部門に投ぜられた資本が生みだして本国に送り返す高い利潤率は、なぜ本国で、独占に妨げられないかぎり、一般的利潤率の平均化に参加してそれだけ一般的利潤率を高くすることにならないのか、そのわけは分かっていない。ことに、そのような資本充用部門が自由競争の諸法則のもとにある場合にどうしてそうならないのかは、わかっていない。これにたいしてリカードが考えつくのは、なかでも次のようなことである。外国で比較的高い価格が実現され、その代金で外国で商品が買われて帰り荷として本国に送られる。そこでこれらの商品が国内で売られるのだからこのようなことは、せいぜい、この恵まれた生産部面が他の部面以上にあげる一時的な特別利益になりうるだけだ、というのである。このような外観は、貨幣形態から離れて見れば、すぐに消えてしまう。この恵まれた国は、より少ない労働と引き換えにより多くの労働を取り返すのである。といっても、この差額、この剰余は、労働と資本とのあいだの交換では一般にそうであるように、ある階級のふところに取りこまれてしまうのであるが。だから、利潤率がより高いのは一般に植民地では利潤率がより高いからだというかぎりでは、それは植民地の恵まれた自然条件のもとでは低い商品価格と両立できるであろう。平均化は行なわれるが、しかし、リカードの考えるように旧水準への平均化ではないのである。
ところが、この貿易そのものが、国内では資本主義的生産様式を発達させ、したがって不変資本に比べての可変資本の減少を進展させるのであり、また他方では外国との関係で過剰生産を生みだし、したがってまたいくらか長い期間にはやはり反対の作用をするのである。
このようにして一般的に明らかになったように、一般的利潤率の低下をひき起こす同じ諸原因が、この低下を妨げ遅れさせ部分的には麻痺させる反対作用を呼び起こすのである。このような反対作用は、法則を廃棄しないが、しかし法則の作用を弱める。このことなしには不可解なのは、一般的利潤率の低下ではなくて、反対にこの低下の相対的な緩慢さであろう」(マルクス「資本論・第三部・第三篇・第十四章・P.388~391」国民文庫 一九七二年)
画期的アップデートとまでは言えないにしても、イノベーションはいつも「利潤率の傾向的低下の法則」に従って平均化される。さらに場所移動・別の価値体系への移動とともに差異化の運動として反復されていくだろう。
そんな現代のリゾーミーな社会で有効になってくるのが、ネグリ=ハートのいう「多極化」を前提とした<マルチチュード>概念である。