アルベルチーヌ出奔の言葉は<私>への<衝撃>として作用する。<私>は無理にでも思考せざるを得なくなる。
「私が自分の心を明瞭に見通していると思っていたのは勘違いだった。ところが、精神のいかに鋭敏な知覚をもってしても私に与えられなかったはずのそのような認識が、今しがた苦痛という突然の反応によって、まるで塩の結晶のように、固くまばゆい異様なものとして私に届けられたのである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.25」岩波文庫 二〇一七年)
思考せざるを得なくなることで始めてそれが<衝撃>であり、思いもよらぬ<不意打ち>として作用する。この事情がどれほどありふれた事情なのか、人々はよく知っている。
「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第三章・P.354」河出文庫 二〇〇七年)
ところがここ十五年ほどの間、世界の主だった国々で、逆の方向が支配してきた。<衝撃>を与えない態度というものが蔓延している。専門家やコメンテーターたちが口々にばら撒いてきた言説によって、世界の主だった国々の人々の多くが、支配=誘導されるという状況が加速した。ニーチェが皮肉を用いてこう語っていたように。
「彼らは驚愕(きょうがく)させない。彼らは蝶番(ちょうつがい)をはずすような変化をもたらさない。彼らの企てのすべてについては、ひとが或る哲学者を讃えたときディオゲネスがそれに抗議して言ったことがあてはまるであろう、『彼はあんなにも長く哲学をやっているのに、まだ誰ひとりをも《悲しませた》ことがないのだから、いったいどんな偉大なことを示しうるというのか?』。しかり、大学哲学の墓碑銘はこう書かれることになろう、『そは誰ひとりをも悲しませざりき』と」(ニーチェ「反時代的考察・第三篇・八・P.349」ちくま学芸文庫 一九九三年)
ドゥルーズは次のように読解する。そしてそうすることによって、第二次世界大戦終結とともに葬り去られようとしていたニーチェを新しく読めるものへと押し進めた。それはニーチェを穏やかなものへ偽造=変造することによってではなく、逆にもっと徹底化することによってである。
「誰かが哲学は何の役に立つのかと問うとき、答えは攻撃的でなければならない。何故なら、この問いは、皮肉で辛辣であることが望まれているからだ。哲学は、別の関心事をもつ国家や宗教の役には立たない。それは、いかなる既成の力能(権力)の役にも立たない。哲学は『悲しませる』のに役立つのだ。誰も悲しませず、誰も妨げない哲学など、哲学ではない。哲学は愚劣を防ぐのに役立ち、愚劣を或る恥ずべきものにする。それは、思考の下劣さをそのあらゆる形態のもとで告発すること以外の使用をもたない。その源泉と目的がいかなるものであれ、あらゆる欺瞞を批判しようとする学問が、哲学以外にあるだろうか。それなしには反動的諸力が優位を占められなくなるような、あらゆる虚構を告発すること。いずれにしても、犠牲者と犯人との驚くべき共謀を形成する、この下劣と愚劣との混合物を欺瞞のうちに告発すること。要するに、思考を攻撃的で、能動的で、肯定的な或るものにすること。自由な人間たち、言い換えると、文化の目的と、国家、道徳、宗教の利得とを混同しない人間たちを作ること。われわれの思考の代わりをしている怨恨(ルサンチマン)、疚しい良心と戦うこと。否定的なものとその偽りの威光に打ち勝つこと。哲学を除いて、誰がこうしたことのすべてに関心をもつであろうか」(ドゥルーズ「ニーチェと哲学・P.212~213」河出文庫 二〇〇八年)
専門家やコメンテーターたちが口々にばら撒いてきた言説の悪質さ。ニーチェの同時代にも大変たくさん出現していた。それは諸国家の支配者層に対する「媚びへつらい」という形を取ってあちこちから出現していた。ニーチェはこう喝破した。
「われらの教授がたがあんなに多くを語っている『真理』はもちろん秩序を乱したり秩序を離れたりする危惧のない、かなりおとなしい代物であるようだ。それは、誰もあなたがたを構うようなことは事をするはずがありません、私たちはただ『純粋な学問』なのですから、とすべての現存の権力に対して再三再四保証する快適な気持ちのよい被造物であるようだ」(ニーチェ「反時代的考察・第三篇・三・P.253」ちくま学芸文庫 一九九三年)
諸国家の諸国民に向けて欺瞞的な言説をばら撒き、そのばら撒きが同時に諸国家の支配者層にとっての「媚びへつらい」になる。そのような哲学者や専門家、報道者たちの態度をニーチェは「愚劣」と呼ぶ。そして「あらゆる形態における愚劣を、したがってまた当面の愚劣をも破壊せよ」と告げる。次の引用で「人間」とあるのはもともと「男子」となっていたが、今や「男子」のみが世界を動かしているわけではまるでない。したがって「人間」へ変換した上で引用する。
「われわれは最近あらゆる屋上から説かれた教え、国家が人類の最高の目標であり、人間にとって国家に奉仕することより高い義務はない、という教えの成果に出逢うが、私はこの教えのうちに異教への復帰ではなく愚劣への復帰を認める。国家への奉仕のうちに自己の最高の義務を見るがごとき人間はじっさいまたより高い義務を識らないかもしれぬが、しかしそれゆえにこそ、その彼方になお人間の義務があるのでありーーー私には少なくとも国家への奉仕より高いと思われるこれらの義務の一つは、あらゆる形態における愚劣を、したがってまた当面の愚劣をも破壊せよ、と勧告する」(ニーチェ「反時代的考察・第三篇・四・P.271」ちくま学芸文庫 一九九三年)
また「愚劣・下劣」というのは諸国家の上位に位置する一部の人々の精神の中枢に巣食っているのが常だとしてもなお、それを支持している人々の「愚劣・下劣」をもっと明確化させる必要性がある。ドゥルーズはいう。
「もし哲学の批判的仕事がそれぞれの時代で能動的に捉えなおされないとすれば、哲学は死に絶え、またそれとともに、哲学者の像(イマージュ)と自由な人間の像(イマージュ)も死に絶える。愚劣と下劣は新たな混合物を作り続ける。愚劣と下劣は、つねにわれわれの時代のもの、われわれの同時代人のものであり、われわれの愚劣とわれわれの下劣である」(ドゥルーズ「ニーチェと哲学・P.214~215」河出文庫 二〇〇八年)
しかしそもそも、なぜ、ある時代の「なかで反時代的に」思考する必要性があるのだろう。「時代に反対して、そうすることによって時代に向かって、望むらくは将来の時代のためになるようにーーー活動する」。
「というのは、時代のなかで反時代的にーーーすなわち時代に反対して、そうすることによって時代に向かって、望むらくは将来の時代のためになるようにーーー活動するという意味をもしもたぬならば、古典文献学がわれわれの時代においてどういう意味をもつかを私は知らないだろうからである」(ニーチェ「反時代的考察・第二篇・四・P.121」ちくま学芸文庫 一九九三年)
ニーチェのいう「来るべき時代」とそのために「活動する」ということ。その態度に注目し、ドゥルーズは「彗星の不連続性とその反復」といった言葉で述べている。
「反時代的なもののなかには、歴史的真理と永遠の真理とを集めたよりも持続性のある真理がある。つまり、来るべき時代の真理があるのだ。能動的に思考すること、それは、『非現働的な仕方で、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである』。哲学者たちの連鎖は、賢者たちの永遠の連鎖ではなく、さらには歴史のつながりでもない。それは砕かれた連鎖、彗星の連鎖であり、彗星が横切る天空の永遠性にも、彗星がその上空を飛翔する大地の歴史性にも帰着しない、彗星の不連続性とその反復である。永遠の哲学も、歴史的哲学も存在しない。哲学の永遠性と歴史性は、つねに反時代的な、それぞれの時代に反時代的な哲学に帰着するのである」(ドゥルーズ「ニーチェと哲学・P.215」河出文庫 二〇〇八年)
その通りかもしれない。いや、まさに、今ほどニーチェ=ドゥルーズ的な態度が切望されている時代もそうないに違いない。