アルベルチーヌとの繋がりは別の生活様式を禁じる「仕切り」として機能してきた。もう止めたい、と<私>は思う。
「あきらめて怠惰に暮らし、禁欲に甘んじ、愛してもいないひとりの女との快楽しか知らず、部屋に閉じこもって旅に出ることもあきらめる、そんなことはすべて昨日までの旧世界、空疎な冬の世界では可能であったが、木の葉の茂るこの新世界ではもはや不可能なのだ。私はこの新世界に、はじめて存在と幸福の問題を提起され、以前に積み重ねられた否定的解決にはもはや影響されない、若きアダムとして目覚めたのである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.491~492」岩波文庫 二〇一七年)
アルベルチーヌを常に監視管理していては<私>の側が逆に監視管理者として拘束されてしまう。この息苦しさをどうにかしようと<私>は欲する。別の生活様式を選択させなくさせている「仕切り」を取り外してしまうこと。それが大事だ、というより、取り外すことができると<私>は始めて理解する。同様の記憶は少し前にも書かれている。
「アルベルチーヌと暮らしているせいでヴェネツィアへは行けない。旅行には出かけられないとしても、せめて私がきょうの午後ひとりきりであったなら、このうららかな日曜の降りそそぐ陽光のなかに散在する若いお針子(ミディネット)たちを知ることもできただろう。私がそのお針子(ミディネット)たちを美しいと思ったのは、大半はその未知の生活ゆえに娘たちが生き生きとしているからだ。こちらが見る娘たちの目には、なにを見ているのか、なにを想い出しているのか、なにを期待しているのか、なにを軽蔑しているのか、なにひとつ判然としないまなざしが、しかもそんな想念と切り離しえないまなざしが宿っているのではなかろうか?この生活、通りすがりの娘の生活は、それがどのようなものであるかによって、眉をしかめたり鼻孔をふくらませたりする仕草にも、まるで異なる価値を与えるのではなかろうか?アルベルチーヌがそばにいるせいで、私はそんな娘たちのところへ行くことができず、だからこそ、その娘たちに欲望をいだきつづけるのかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.379~380」岩波文庫 二〇一六年)
同じことを二度言っている。といっても二度目が新しく書かれた記述であって、回帰してきたことに注意するとともに、二度目に回帰してきたときには<ずれ>を生じさせて回帰してきている点に注目したい。時間を経て回帰してきたたぶん、差異化された記述として読むことができるということでなくてはならない。そうプルーストは教えている。
国境をはじめとする「仕切り」は一九〇〇年代初頭すでに曖昧化していた。仕切りの無効化。逆に「横断性」ということが繰り返し反復されるようになる。
さて、新聞を見る。と、オープンAIの話題が提供されている。それなりにイノベーションしていくようだ。それをイノベーションと呼ぶ価値があるかどうかはまた別問題であり、評価は常に<後になって>しかできないという事情がある。一方、取り残されてはかなわない問題もある。それはまたAIにとっても見逃すわけにはいかない課題だ。「社会復帰とは何か」。中井久夫はいう。
「社会復帰とは、社会と病者との折り合い点の発見であろう。社会が多様であり、多元価値的であればあるほど、折り合い点の発見はやさしい」(中井久夫「分裂病と人類・P.36~37」東京大学出版会 一九八二年)
にもかかわらず今の日本政府は中井久夫の提案を<見ない>態度を押し進めたくてうずうずしているかのようだ。もっとも、中井久夫だけが精神科医ではない。日本の精神科医の代表者でもまたない。当たり前だ。けれども<世界中の精神医学界>で言われてきたことと実証されてきた成果とへ注目しないわけにはいかない。
「社会が多様であり、多元価値的であればあるほど、折り合い点の発見はやさしい」。それは常に先端科学技術社会の先を行く欧米を筆頭として、もう何十年も前から実証されてきたし今なお実証され続けている。ところが日本では日本独特の問題がまだ残っている。「明治維新」という言葉の中にある「維新」。
「西南戦争(一八七八年)まで四半世紀にわたって続いた」ことは誰でも知っている。尊王にしろ勤王にしろ佐幕にしろ討幕にしろ、いずれの立場にあったとしても、中井のいう「地獄の釜が開いたごとき殺し合いは」、どれほど続いたかとかどれほど残酷だったかとか、そんなことには全然関係がない。
そうではなく、「この間、殺害された外国人は数えるほど少数である。否認された去勢感情の反動としての奇妙な特徴として、階級の自己破壊ともいうべく、主目標は自己階級内部に指向された」。殺し殺され合った人間のほとんどは「武士階級」に限定されたという奇妙この上ない現象。
「江戸期を通じて武士階級にはつねに薄氷感があり、去勢感情とその否認が存在したとみてよいであろう。その証拠の一つは、黒船襲来後の尊攘運動である。地獄の釜が開いたごとき殺し合いは、西南戦争(一八七八年)まで四半世紀にわたって続いた。この間、殺害された外国人は数えるほど少数である。否認された去勢感情の反動としての奇妙な特徴として、階級の自己破壊ともいうべく、主目標は自己階級内部に指向された」(中井久夫「分裂病と人類・P.77」東京大学出版会 一九八二年)
階級という言葉が妥当かどうかはわからない。しかしこの時はじめて日本に<階級としての武士>が誕生したとはいえる。江戸時代の武士はただ単なる武士身分に過ぎない。資本主義社会はまだ成立していない。従って、どうしてもそう言いたいのなら、<階級としての武士>は「尊王/討幕」というイデオロギーの出現に伴って誕生したというしかない。
階級意識というものは欧米経由で始めて日本に輸入された思想である。それが「維新への意志」という形ですみやかな広がりを見せた最大の条件は江戸時代いっぱいを通して武士身分が置かれていた「薄氷感」にある。はなはだしく貧乏であると同時に形式的身分ばかりは上位であるという矛盾に耐えられなくなったわけだ。それを知らしめたのは圧倒的な質量を誇る欧米由来の知識と軍事力とである。明治政府樹立以後はまた別の話になるのでここでは触れない。ともかく、国家的破綻直前の状況とはいかなるものか、いかなる諸条件が幾重にも渡って複合しているか、という理解が必要だろう。
さて、中井久夫が力点を置くのは統合失調症発症前駆期の特徴である。なかでも一際目立つ特徴がある。「小問題をも大問題の形にひきなおし、能うかぎり一般的な形式において一挙にかつ最終的に問題を解決しようとする」態度である。
「分裂病に前駆する『あせり』に特徴的なことは、まず、それが、問題を局地化する能力の乏しさと深く結びついていることである。すなわち、分裂病になりやすい人は神経症になりやすい人とはまさに正反対であって、小問題をも大問題の形にひきなおし、能うかぎり一般的な形式において一挙にかつ最終的に問題を解決しようとすることである」。
この文章の理解はたいへん面倒に見えるかもしれない。しかしとても重要なポイントであるため回避できない。とりあえず数行さかのぼって目を通してみる必要がある。
「急性分裂病が必ずその前駆的段階すなわち一定の準備状態を経由して発来するものであることはすでに周知の事実である。村上仁が神経症様時期と記載し、コンラートが、発病準備状態(《出場待機 Trema》)と名づけて詳述した事態がそれである。
コンラートは、ドイツ国防軍軍医として野戦病院に勤務し、第二次大戦の初期、ドイツ軍がフランスを電撃的に占領・駐留した時期(すなわち一九四一年を中心に)において、国防軍兵士の発病初期をかなり詳細に記録し、十数年後の五十八年、これを『分裂病のはじまり』として完成した。彼の業績は軍神マルスの重圧下における精神科医のもっとも賞賛されるべき応答として長く残るであろう。実際彼は、些細な規律違反をも容赦なく摘発せずにおかないドイツ国防軍の鉄の規律を、分裂病のもっとも早期に発見する鋭敏な探知機のように用いたのであった。ここで、彼の詳密な記載に付言するべきものはほとんど何もないといってさえよいかもしれない。ただ、次のことはいっておかねばならない。コンラートによれば兵士はただ命令に服従さえすればよく、何の個人的決断をも要しない《反サルトル的》境遇であって、まさにこの事実によって、分裂病の発病に関する人間学派の主張は斥けられるべきものとしている。それはいささか単純な、プロイセン士官ふうの兵士観といわなければならないだろう。なぜならば、コンラートがその『発病準備状態』の章において挙げる症例の少なからぬ部分は、その決定的発病への転回の時点がパリ占領から対ソ開戦直後にかけての勝利の時期である。しかもなお、その際の妄想は、その多数が、戦争の早期終結願望にからむ妄想、脱走兵として処刑されるという妄想、さもなくば故郷の妻が不義を働いているという妄想である。ここで、《分裂病を発病しやすい人たちが、もっとも遠い可能性の、もっとも杳(かす)かな兆候をもいちはやくとらえ、それによって存在の基盤が震撼されたごとき激甚な、度外れて過敏な反応を示す人たちである》ことを指摘しておきたい。彼らはこの戦争がただごとではなく、その長期的な帰結が破滅的であることを予感したといいうる。
注目すべきは、コンラートが『トレマ』の名のもとに包括した諸事象が、中性的行動の不能からもっとも重大な『のりこえ』不能に至るまで、また、その《おたずねもの意識》や《共人間的世界との間にひらく裂け目》に至るまで、わが国の言葉では『あせり』のただ中にある人間の状態として捉えられうることである。分裂病の発症は、決して『ゆとり』のある状態すなわち多少とも完全なdisposability(処分可能性)にある状態に直接接続するものではない。必ず、その中間に『無理』(すなわちその身体的対応として多少とも《定常的》な異化的・交感神経緊張状態、いわゆるergotropic stateをもつ事態)をへて次第に高まりゆく『あせり』(すなわち多少とも不調和に振動する異化的・交感神経緊張状態を伴う)症候群が存在する。ここで、分裂病者との対話において、いかに重篤な、《支離滅裂》といわれる状態にある人さえも、『あせり』、『ゆとり』という言葉をただちに了解し、しばしば自分が『あせりの塊』であることをためらうことなく認めること、また、その『あせり』の指摘は、しばしば彼らの中に『自分が了解された』という感じを生みだすことを付言することも決して無駄ではなかろう。しかし、『あせり』にはさまざまの様態が存在するのであって、ここで、〝《前分裂病的あせり症候群》〟を云々する必要があろう。分裂病に前駆する『あせり』に特徴的なことは、まず、それが、問題を局地化する能力の乏しさと深く結びついていることである。すなわち、分裂病になりやすい人は神経症になりやすい人とはまさに正反対であって、小問題をも大問題の形にひきなおし、能うかぎり一般的な形式において一挙にかつ最終的に問題を解決しようとすることである。このことは、外部からは、問題の局地化能力の乏しさともみられようが、あるいは、すでにのべた〝統合指向性〟にもとづく『生の戦略』であるのかもしれない。もとより〝統合指向性〟による解決に適した問題も存在する。しかしすべての問題をこの解決法に委ねるならば事態は急速に悪夢化する。とくに、自我同一性を決定すべき思春期から青年期にかけては、個物をつねに全体との関係において多少とも一般的・抽象的に位置づける〝統合指向性〟が、世界の中を実践的に動きまわって実例を探り、枚挙・比較・考量する〝範例指向性paradigmatotropism〟によって《補完されなければ》、現実原則の枠内では解決しえない問題が続々と生起し、自我同一性を危殆に瀕せしめるであろう。
ここで《悪夢化》とは、いうまでもなく、心的事態が深淵にのぞむような不安と激越な自律神経症状を伴い、しかも三者が相互誘発的に破局的な強度にむかって一意的に進行することである。
実際、発病の前段階においては、夜毎に同じ夢を見たと回想する人が少なくない。しかも基本的には同じ夢でありながら次第にそれが破局にむかうという構造をもっている。たとえば、かりに富士山とそれにむかう一筋の道を夜毎にみるとしても、はじめくっきりと姿をあらわしていた富士は次第に暗雲におおわれ、はじめはレンゲ畑であった道の両側がいつの間にか洋々たる水面になっている。その系列の最後の夢は、まさに果てしなくつづく『二河白道』あるいは西洋の諺に〝『悪魔』と深い海のあいだにおちる〟(ディヴルとはほんとうは『船底最低部の側板と竜骨との間の継ぎ目』だそうであるーーー佐波宣平『海の英語』ーーーが含意は同じである)という事態である。これにつづくものは決定的不眠である」(中井久夫「分裂病『中井久夫著作集1巻P.132~134』岩崎学術出版社 一九八四年)
不眠へ戻ってきた。問題としての「不眠」へ、なのだけれども。
不眠はいつ誰にでも起こりうる。二、三日程度眠れないというのはよくあることなのでさして問題ではないと言えるわけだが、三週間や一ヶ月となると事態はがらりと急転する。一ヶ月眠れなくても人間は死なない。人間身体はそう簡単に死なないようにできている。ところが、死なないけれどもそのぶん蓄積された負荷は病気へ変換される。どんな病気か。それは誰にもわからない。発病してみるまでわからない。予想できるようになってはきた。緊急対応体制も整えられてきた。だが一体どこへ?というのは今なお未知の領域が余りにも多い。
そこでさらに現代社会がいかに病んでいるかという点へ問題を移動させて様子をみる。病んでいるのは社会を構成しているその一つ一つ、その足元、「家族」そのもののありようが問題だということに気づく。次の例は今なお繰り返し取り上げられてきたけれども、ちょっとずつ解消されてきたとは言えようけれども、まだまだ問題要因としてあつかましく、狡賢く、ねちっこく、残されたままだ。
「家族内相互作用の研究は、最近、単一の相互作用の性質よりは、相互作用全体のかもし出すものに注目の焦点が移っているようである。
その一例として、high emotion-expressed family(high EE family)という概念がある。感情を口に出すことの多い家族の意味であって、こういう家族の中では統合失調症の再発率が高いとされている。
ある家族訪問を思い出す。最初の外泊だったので、私はいっしょについて行った。扉を開けると家族の全員から矢つぎ早に質問が浴びせられた。『おや少し遅かったね』。『病院の今日の食事はおいしかったかい』。『病院で誰かにいじめられなかったかい』。『今後はいつ病院にゆくの』。
どれ一つとして奇異なものはない。自然な問いであるだろう。しかし、扉を開けるや否や浴びせられることばのシャワーは強烈な印象と独特な効果を生む。患者の顔はみるみるこわばってゆく。待ちかねた家族の自然な表現でいちおうはある。活力のある人ならば『そんなことは後で、後で』と靴を脱ぐだろう。しかし、患者はもっと制縛された人なのだ。
意識のシキイよりも下の(サブリミナルな)相互作用は、当然のことながら、表現が非常にむずかしい。よく知られている二重拘束(ダブルバインド)が単純なかわいらしいものに見えるほど陰微な相互作用がありうる。一つ一つは単純でも、同時に発せられる方向の組み合わせによっては実に苛々させられる効果を生む。
単純で無邪気な例を挙げよう。
オスシが客に供される。客はハシを伸ばす。『あ、センセイ、こちらの卵巻きのほうがおいしいですよ』。ハシをあわてて横に飛ばす。別の人が『いや、こっちのほうがおいしいよねえ、トリガイをめし上れ』。
とり立てて言うほどのことでないかも知れない。しかし、多くの人間は、目つぶしをくらったような困惑を覚えるはずだ。high EEの家族は、単純にコメントの多い家族だと思われる。いやコメントのシャワーと言おう。
『あ、どこへ行くの』。『おそくならないようにするんだよ』。『その服装ではみっともないよ』。『しゃんと背をのばして歩くんだよ』。『ひとに遊んでいると思われないようにね』。『へんな友達を連れてくるんじゃないよ』。
どれ一つとして別に奇妙なことはない。しかし散歩に出かけようとして服を着かえはじめた患者にこれがいちどきに浴びせられると、患者の多くはみるみる顔を硬ばらせて『オレ、いいや、やめる』と言うだろう。それに対して、また『家で閉じこもっていることの害』、『働かないでブラブラしていることが家族に与える恥』、についてのお説教がはじまる。『あなたのためなんだよ』。『私がどんな気持でいるか』。
むろん、『また始まった』と話半分に聞き流したり、何も答えずに外出してしまえば、それだけのことである。ここで、患者はそもそも家から『出立』をしそこねた人(笠原嘉)であり、『拒絶能力』に欠ける人(神田橋條治)だという見解が思い出される。家族はしばしば、この点を指摘されると『では一切放っておけばよいのですね』という答えを返してくる。ほかに可能性はないかのように。この『白か黒か』には参る」(中井久夫『<つながり>の精神病理・P.28~30』ちくま学芸文庫 二〇一一年)
この種の問題解決に向けてAIの活用は大変有効だろうと思う。少なくとも選択肢を多様化させていくことで「『白か黒か』には参る」問題を少しづつ解消させていくツールとして使える。だがAI依存の問題性という問題があり、AIが抱える問題というのはすでにAIがAI自体に向けていつも膨大な情報処理機能を稼働させることで同時に問いかけてもいる問いの一つだ。それはそれで大いに参照すればいい。しかしなお最後の選択は人間が、あるいは当事者が、決定するしかない。どこかに「させられ感」が残るとすれば、その「させられ感」を込めて次々AIは新しい回答を呼び寄せ呼び集めてくれるだろう。そこでまた最後の選択を迫られることになるわけだがーーー。
大事なことは「オール・オア・ナッシング」という考え方を一刻も早く捨て去ることだ。すると次の課題へ新しく舞い戻ることができる。
「社会が多様であり、多元価値的であればあるほど、折り合い点の発見はやさしい」(中井久夫「分裂病と人類・P.36~37」東京大学出版会 一九八二年)
また、AI活用によって労働時間が短縮されるのは間違いない。けれども空いた時間に遊ぶにせよ引き続き労働するにせよ、空いた時間はさらなる職場である。すかさず別の労働者へ置き換えることができる。あるいはもう労働者はいらない。AIがもっと短時間でやってのける。人間はだんだん必要なくなる。だが余りにも減少させるわけにはいかない。消費者の激減は資本主義の壊滅へ直結する。そんなことを命じるほどAIは馬鹿ではない。
と思っていると、「アルコール依存症と女性」というテーマが目に入ってきた。連載らしい。しかし、ただ、依存症と女性というテーマを論じるにあたって、その前提として、今なおこの種の構造的問題が横たわっていることに目を向けると、なんともやりきれない思いがこみ上げてくる。自助グループが紹介されてはいるけれど、社会の変化に対応しつつ自助グループも変化していくし、いこうとしてはいる。だがそれはいつも後回しになるほかない。
変化への対応策は早ければ早いほどいいのかといえば、必ずしもそうではなく、間違った方向へ進んで行ってしまう場合もしばしば出てきたという苦い過去を、自助グループ運営にかかわる誰もが知っている。自助グループ自体が壊滅した事例ならいくらもある。かといって遅ければ遅いほどいいというわけではない。「速さ-遅さ」両者ともに目配りが必要なのだろう。
が、よほどタフであるだけでなく、もっと柔軟性のある人間が、それも複数の当事者が、常に模索し合いながら慎重に進めていくしか方法のない課題だろうという思いは今もある。アルコールの自助グループを離れて今は慢性うつ病治療に重心を移した身なのでそう思えるわけだが。
もっとも、連載というのは読み終えてみないと、言えることは実に乏しい限りーーー。