白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ラ・ラスプリエールの庭が語る<無数に可能な散策>とその「凝縮」/逃走線としての「心地よい切断」

2022年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム
プルーストはラ・ラスプリエールの庭がどのような庭か、「何キロにもわたる周辺のすべての散策をいわば凝縮した観があった」と述べる。「すべての散策」とあるように「散策」は唯一ではなく逆に<無数に可能>なことを前提としている。そしてそれら無数に可能な散策を「凝縮」することもまた可能であり、少なくともその一つが「ラ・ラスプリエールの庭」だということを意味する。唯一絶対的な<或る価値体系>にばかり支配されているわけではまるでなく、一つの「凝縮」によって<別の価値体系>に基づく別の庭を出現させることができた。そこでは次の文章のように、変容された<様々な・無数の・多様な>風景を見るだけでなく聞くことも可能である。

「そもそもラ・ラスプリエールの庭は、何キロにもわたる周辺のすべての散策をいわば凝縮した観があった。まずは庭が、一方の側からは谷間を、もう一方の側からは海を見おろす高台にあったからで、つぎに片側のたとえば海側だけについて述べても、木々のあいだに見晴らしのいい場所がいくつも設けられていて、こちらからある水平線を見渡せるかと思うと、あちらからはべつの水平線を見渡せる。そうした見晴らしのいい場所にはそれぞれベンチが置いてあり、バルベックが見えるベンチ、バルヴィルが見えるベンチ、ドゥーヴィルが見えるベンチにつぎつぎと腰をおろすことができる。一方しか眺められないところでも、ベンチが断崖の多少なりとも切り立ったところに置かれていたり、やや引っこんだ場所に置かれていたりする。これらのベンチからは、前景には緑の木々が、その奥にはすでに見渡すかぎりの水平線が望めるが、小径のつづきをたどってつぎのベンチまで行くと水平線がどこまでも広がり、そこからは海の円形の全貌が見渡せる。そこでは波の音までが正確に聞きとれるが、しかしその波の音も庭の奥まったところまでは届かず、波は見えても音はもはや聞こえない」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.337」岩波文庫 二〇一五年)

そう描かれているのを見た読者は再びプルーストの方法論に出くわしたと気づく。不意打ちされたと。なぜならこれと同じことが音楽家ヴァントゥイユの方法にも、画家エルスチールの方法にも採用されているからである。同一の価値体系に従っている限りどんな人間も唯一絶対的な<或る価値体系>にのみ従って見えたり聞こえたりするに過ぎない。だがプルーストはあたかもニーチェが「神は死んだ」と言ったように、唯一絶対的な<或る価値体系>による支配の死を宣告している。経済で言えば世界中に「変動相場制」が行き渡ったということに他ならず、無数の価値体系が出現するとともに世界の<見え方>もまた無数に分裂したことを意味する。資本主義はとうとう世界を制覇した。それはしかし資本主義にとって資本主義固有の逆説の出現を伴う。次のように。ドゥルーズ=ガタリから二箇所。

(1)「資本主義の極限は、まぎれもなく分裂症的なものであるが、資本主義はこの自分の限界にたえず近づくことをやめないのだ。分裂者は、器官なき身体の上で、脱コード化した種々の流れの主体としてーーー資本家より資本家的であり、プロレタリアよりプロレタリア的である主体としてーーー存在するものであるが、資本主義は自分の全力をあげてこの分裂者を生みだそうとするのだ。この傾向をさらに遠くまでたえず進み続けるならば、資本主義は、ついに、自分自身が一切の流れとともに月世界に送られる地点にまで到達することであろう。しかし、じっさいには、ひとはまだこうした事態を何もみたわけではない。分裂症がわれわれの病気、われわれの時代の病気であるといわれるとき、現代の生活が狂気を生むことを端的に意味しているだけなのだと考えてはならない。ここでは生活の様式ではなくて、生産の進行が問題なのだ。たとえば、<分裂症患者において意味が変質する現象>と<産業社会のすべての段階において不協和が増大するメカニズム>との間に平行関係が存在していることは、コードの破綻という見地からすればもはやきわめて明確であるが、いまはまたこうした単純な平行関係が問題であるのではない。じつは、われわれが言おうとしているのは次のことなのである。すなわち、資本主義は、その生産の過程において恐るべき分裂症の爆薬を生みだすものであり、そのためそれ自身は、自分のもっている抑制の全力をこれに対抗せしめることになるが、しかし分裂症の爆薬は、資本主義の進行の極限としてたえず再生産され続けるものなのだ、ということなのである。なぜなら、資本主義は、自分の極限に向かう傾向につき進むものであると同時に、またみずからこの傾向を妨げ抑制することをやめないものであるからである。それは、自分の極限をみずから志向するものであると同時に、またみずからこの極限を拒絶することをやめないものなのである。資本主義は、想像的な土地であれ、象徴的な土地であれ、あらゆる種類の残滓的な模造の土地を設立あるいは再興して、この土地の上で、よかれあしかれ、抽象量を根拠とする種々の人物を再コード化して、この土地の中にこれらの人物をはめ込もうとするのだ。《国家》も、故郷も、家庭も、一切が再び舞い戻り甦ることになる。この点はまさに、イデオロギーの上からいえば、資本主義が『これまで信じられてきたものの一切をよせ集めた、雑色の絵』だといわれるゆえんである。実在するものは、ありえないことがないものである。それは、ますます人工的なるものとなる。ーーーマルクスは、<利潤率が傾向的に低下する>とともに、<剰余価値の絶対量が増大する>という二重の運動を相反傾向の法則と呼んだ。<種々の流れが脱コード化し脱土地化する>とともに、<それらの流れが再び激しく模造の再土地化をうける>という二重の運動が存在するということが、右の法則の系として考えられる。資本主義機械が、種々の流れから剰余価値を引きだすために、これらの流れを脱土地化し脱コード化して、これらを公理系化すればするほど、官僚機械や公安組織のような、資本主義の付属装置は、剰余価値の増大する部分を吸収しながら、ますます<再-土地化>をすすめることになるのである」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第一章・P.49~50」河出書房新社 一九八六年)

(2)「分裂者については、こういえる。かれがたえず移り歩き、さまよい、よろめき続けているその頼りない歩みからいって、かれは、自分自身の器官なき身体の上で社会体を果てしなく崩壊させながら、たえず脱土地化の道をどこまでも遠くへとつき進んでゆくひとなのだ。恐らく、あの分裂者の散歩は、みずから大地を再び発見し直すかれ自身の独自の仕方なのである、と。分裂症患者は、資本主義の極限に身をおいているのである。かれは、資本主義に内属するその発育の衝動であり、その剰余生産物であり、そのプロレタリアであり、それを殺戮する天使である。かれは一切のコードを混乱させ、欲望の脱コード化した種々の流れをもたらす。実在するものは流れる。<《過程》>の二つの様相が再び結ばれる。〔欲望する生産の〕形而上学的過程と社会的生産の歴史的過程とが。前者は、自然の中にあるいは大地の核心の只中に住まう『ダイモン』にわれわれを触れさせる、あの形而上学的過程であり、後者は、社会機械が脱土地化するのに応じて、欲望する諸機械の自律性を回復させる、あの社会的生産の歴史的過程である。分裂症とは、社会的生産の極限としての欲望する生産にほかならない。したがって、欲望する生産が現われるのは、またこの生産と社会的生産との体制の相違が現われるのは、最後においてであって、最初においてではない。一方の生産と他方の生産との間には、実在の生成というひとつの生成の運動があるのみである」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第一章・P.50」河出書房新社 一九八六年)

プルーストは<別の価値体系>への移動が、<移動する人間の価値を変える>ことに注目している。次の三箇所で述べられていることはいずれも同じことを指しているのだが、あえて三分割して記述されたものだ。

(1)「ところがここはパリではないので、私にとっては環境の魅力が、集まりの楽しさのみならず、客人たちの質まで高めてくれた。あれこれの社交人士との出会いも、パリではまったく嬉しくなくても、その人が遠くからフェテルヌなりシャントピーの森なりを通ってラ・ラスプリエールまでやって来たとなると、性格も重要度も一変して、なにやら楽しいできごとになる。ときには、客人が私の知り尽くしている人で、スワン夫妻邸で会うのならとうてい出かける気にはならない人の場合もある。ところがそんな人の名前も、この断崖のうえでは違ったふうに響くもので、劇場でよく耳にする俳優の名前も、なにか特別の公演かガラ公演のポスターにでもべつの色で印刷されているのを見ると、想いがけない状況ゆえに俄然その俳優の名声が高まるのと似ている」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.339~340」岩波文庫 二〇一五年)

(2)「田舎ならみすぼらしく見える数本の木が植わるだけの庭の一角でも、それがガブリエル大通りとかモンソー通りとかに存在するのなら億万長者にしか許されない桁はずれの贅沢になるにも似て、その反対に、パリの夜会では二流の貴族でも、月曜の午後のラ・ラスプリエールではその価値がぐっと高まるのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.340」岩波文庫 二〇一五年)

(3)「淡彩画の描かれた窓間壁(まどあいかべ)のそばに置かれ、赤く縁どりされたクロスをかけたテーブルに座ると、すぐにガレットや、フイユテ・ノルマンや、サンゴ玉のようなサクランボを盛りつけた舟形のタルトや、『ディプロマット』などが出てきて、招待客たちも、窓という窓のむこうに紺碧の深いカップのように広がってすぐそばに見える海とともにつねに目にとまるせいか、ただちに変貌をとげ、根本的に変身して、なにやらはるかに貴重な存在と化してしまう」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.340~341」岩波文庫 二〇一五年)

というような場所移動に伴う価値変動についてマルクスは次のように述べている。

「運輸業が売るものは、場所を変えること自体である。生みだされる有用効果は、運輸過程すなわち運輸業の生産過程と不可分に結びつけられている。人や商品は運輸手段といっしょに旅をする。そして、運輸手段の旅、その場所的運動こそは、運輸手段によってひき起こされる生産過程なのである。その有用効果は、生産過程と同時にしか消費されえない。それは、この過程とは別な使用物として存在するのではない。すなわち、生産されてからはじめて取引物品として機能し商品として流通するような使用物として存在するのではない。しかし、この有用効果の交換価値は、他のどの商品の交換価値とも同じに、その有用効果のために消費された生産要素(労働力と生産手段)の価値・プラス・運輸業に従事する労働者の剰余労働がつくりだした剰余価値によって規定されている。この有用労働は、その消費についても、他の商品とまったく同じである。それが個人的に消費されれば、その価値は消費と同時になくなってしまう。それが生産的に消費されて、それ自身が輸送中の商品の一つの生産段階であるならば、その価値は追加価値としてその商品そのものに移される」(マルクス「資本論・第二部・第一篇・第一章・P.98~99」国民文庫 一九七二年)

とはいえ、ただ単に運輸業における生産過程と剰余価値の生産について述べているわけではない。流通とはどういうことだろうか。場所移動そのものが<別の価値体系>への移動でなければ何らの<差額>も生産されないという意味を汲み取ることが重要なのだ。この<差額>が発生するのは必ずしも長距離である必要はなく、<差額>が発生する条件として十分な移動であればどれほど短距離であっても構わない。というのは、場所移動にあたり<差額>が発生する限りで始めて<差額>は<利子>に転化され資本化されるからである。そうでなければ資本はびた一文たりとも資本として実現されない。ゆえにどんな多国籍企業も巨大であればあるほど生産拠点をできる限り労働力の安価な地域に置く。従ってかつては安価な労働力の集積地(日本でいう「寄せ場」)が世界各地にあった。ところが今や巨大多国籍企業はグローバルネットワークの実現によって安価な労働力がどんな地域に住んでいようと容易く出会う(マッチングさせる)ことができる。世界の「寄せ場化」=「寄せ場としての世界」が加速していると言えるだろう。さらに今の日本のように円の価値を動かそうとしても、また同時にどれほど懸命に働いたとしてもなお、その前提として日米地位協定が壁になっている状況では、円は、同時に日本と日本で働くすべての労働者は、ただひたすらアメリカの従属国として<ただ働き>に近い労働環境へ叩き込まれていくばかりだ。また逆に、高まる一方の反米感情を沈静化させようとして一時的に為替介入を容認したとしてもそれこそ文字通り「一時的」なまやかしに過ぎない。なぜなら反米感情の高まりは日米地位協定それ自体に内在する潜在的大事故なのであり、その危機をよく知っているからこそ一時的為替介入が容認されることも<あり得る>という対処法でしかないからである。

にもかかわらず実質増税するほかない日本政府は無能を通り越してもはやどうかしているとしか思えないわけだが。どれほど生活レベルを落としてみても低賃金ばかり続いている現状では、百円の商品購入に当たって、その実質的負担は三百円にも九百円にもなるわけで、購入したい商品であっても購入できない事態が続発し、とりわけ中小零細企業従業員は消費者としての立場からますます落ちこぼれていく。消滅する。中小零細が消滅すればたちまちそれまでは大企業従業員だった人々が今度は自動的に中小零細企業従業員の立場へ転落する。日本にとっては負のスパイラルかもしれないが資本主義にとっては順調な進行というほかない。このまま条件が変わらなければいずれ日本は先進国から叩き出されるだろう。だからといって社会補償(年金その他)を切り捨てることもできない。そもそも資本主義がロシア革命を消化できたのはなぜか。次のように資本主義が学んだからである。

「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・P.303~304」河出書房新社 一九八六年)

プルーストに戻ろう。といってもプルーストが言っていることとドゥルーズ=ガタリが言っていることとは、それほどかけ離れているとは言い難い。<或る価値体系>から<別の価値体系>へ移動する動作のうちに、そもそも価値変動が含まれる、ということ以外の何ものでもないからである。

「なぜなら田舎では、久しく会っていない人と出会ったり知らない人に紹介されたりするのが、パリで暮らしているときのように煩わしいことではなく、あまりにも世間から隔離されているせいで郵便の配達時刻さえ楽しみとなるような生活の空虚な広がりを心地よく中断してくれるからである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.342」岩波文庫 二〇一五年)

このような意味での場所移動。過剰接続は禁物。「心地よい切断」の重要性を読み取りたいと思う。

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Blog21・「稲妻」としてのシャルリュス/自動車の出現と「風景」の変容

2022年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
シャルリュスが情愛の高まりを抑えきれず給仕頭のエメに宛てた手紙の一節。

「『拝啓。小生に招かれ挨拶されんと躍起になるもついぞかなわぬ多くの輩が目にすればさぞや腰を抜かすほどに、小生としては粉骨砕身したにもかかわらず、若干の説明を貴下の耳に入れるには至らず。説明と申しても、もとより貴下からさように頼まれた筋合いのものではなく、小生ならびに貴下の尊厳からしてこれを欠くべからざるものと信じたがゆえにほかならぬ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.322」岩波文庫 二〇一五年)

日本で言えばあたかも森鷗外「舞姫」を思わせる文体であって、手紙を受け取ったエメには何のことかさっぱり理解できない。

「石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくえ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたずら)なり。今宵(こよい)は夜毎(よごと)にここに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も『ホテル』に宿りて、舟に残れるは余(よ)一人のみなれば」(「舞姫」『森鷗外全集1・P.7』ちくま文庫 一九九五年)

何がシャルリュスにこのような手紙を書かせたか。プルーストはいう。

「この手紙は、そうした情念の奔流の秘める感知はできずとも強烈きわまりない力の、シャルリュス氏の愛情がいわば反社会的なものであるがゆえになおのこと際立つ恰好の一例であり、恋する男はまるで遊泳者のようにその奔流に気づかないうちに押し流され、あっという間に陸地を見失うのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.326」岩波文庫 二〇一五年)

同性愛者があちこちに溢れていたにもかかわらず「反社会的」とされていた当時、むしろそれゆえかえって「情念の奔流の秘める感知はできずとも強烈きわまりない力」となってシャルリュスを突き動かさずにはいられない<力>。それは「稲妻」とは何かと問う時に人間が犯す錯覚に似ている。ニーチェはいう。

「あたかも一般人が稲妻をその閃きから引き離し、閃きを稲妻と呼ばれる一つの主体の《作用》と考え、活動と考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから分離して、《自由に》強さを現わしたり現わさなかったりする無記な基体が強者の背後に存在しでもするかのように考えるのだ。しかしそういう基体はどこにも存在しない。作用・活動・生成の背後には何らの『存在』もない。『作用者』とは、単に想像によって作用に附け加えられたものにすぎないーーー作用が一切なのだ。実際を言えば、一般人は稲妻をして閃めかしめるが、これは作用を重複させるのだ。それは作用=作用とも言うべきものであって、同一の事象をまず原因として立て、次にもう一度それの結果として立てるのだ。自然科学者たちは、『力は動かす、力は原因になる』などと言うが、これもより勝れた言い表わしではない。ーーーあらゆる彼らの冷静さ、感情からの自由にも拘らず、現今の科学全体はなお言語の誘惑に引きずられており、『主体』という魔の取り換え児の迷信から脱却していない」(ニーチェ「道徳の系譜・第一論文・一三・P.47~48」岩波文庫 一九四〇年)

あるいは「誰か?」という問いが突然ありもしない主体を捏造させてしまうような場合。

「快を感ずるのは《誰か》?ーーー権力を意欲するのは《誰か》?ーーー不合理きわまる問い!生物自身が権力意志であり、したがって快・不快を感ずるはたらきであるとすれば!」(ニーチェ「権力への意志・下・六九三・P.219」ちくま学芸文庫 一九九三年)

その頃<私>はアルベルチーヌとの散策を再開させていた。アルベルチーヌが女友だちと一団となって一挙に出現するような時期はもう過ぎ去り、それぞれ地方鉄道の沿線に散らばって過ごす時間が多く、<私>が警戒すべき女性たちは一時的に不在になりがちだった。しかしバルベックへの沿線各地で見かける風景を眺めながらアルベルチーヌは次のようにつぶやく。

「『困ったわ、自然って融通がきかないのね。サン=ジャン=ド=ラ=エーズをこっち側に配置して、ラ・ラスプリエールを反対のあっち側に配置するんだもの、これじゃあ、どっちか選んだほうに一日じゅう足止めされちゃうでしょ』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.330」岩波文庫 二〇一五年)

すでにアルベルチーヌがトランス(横断的)性愛者であることを知っている読者は、この「これじゃあ、どっちか選んだほうに一日じゅう足止めされちゃう」という言葉がアルベルチーヌの非難の身振りだと気づかないでいられようか。横断的でない融通の利かなさ。風習・因習で固定された頑固さ。それがアルベルチーヌには耐え難い。ところが<私>はただ単に他の女友だちからアルベルチーヌを遠ざけておけばいいとばかり考えている。間抜けといえば言える。<私>はアルベルチーヌを喜ばせようと自動車を手配してやる。すると「サン=ジャン=ド=ラ=エーズをこっち側に配置して、ラ・ラスプリエールを反対のあっち側に配置」されているため一日では横断できないという不自由さは解消され地理的困難は一気に無効化するだろう。それに伴って出現する芸術的変容についてプルーストはこう述べる。自動車を手に入れた立場とそうでない立場との違い(差異)について、「ある村とはまるで別世界に存在すると思われたべつの村も、距離が一変した風景のなかでは隣村になる」。

「私たちがそれを納得したのは、自動車が走りだして、駿馬(しゅんめ)でも二十歩はかかるところを一足飛びに踏破したときである。距離というものは、空間がつくる時間との関係にほかならず、その関係によって変化する。ある場所へ行くのがどれほど困難であるかを、われわれは何里も何キロも要すると表現しているが、そうした表現はその困難が減少したとたんに絵空ごとになる。それによって芸術も変更を余儀なくされる。というのも、ある村とはまるで別世界に存在すると思われたべつの村も、距離が一変した風景のなかでは隣村になるからだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.332~333」岩波文庫 二〇一五年)

またプルーストは、(1)旧弊に甘んじているカンブルメール家の人たちと、(2)新興ブルジョワ階級として猛然と貴族階級を追い上げ追い抜こうとしているヴェルデュラン夫妻の行動力の違いを比較して、次のように論じる。

(1)「カンブルメール家の人たちは、惰性ゆえか、想像力の欠如ゆえか、身近すぎて月並みに見える土地にたいする無頓着ゆえが、外出するとなるといつも同じ場所へ、しかも同じ道を通って行くのだった。カンブルメール家の人たちは、自分たちの土地のことを教えてやると言わんばかりのヴェルデュラン夫妻の思いあがりをたしかに一笑に付していた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.336」岩波文庫 二〇一五年)

(2)「それにひきかえヴェルデュラン氏は、ほかの人ならおそらく二の足を踏むような場所にまで私たちを案内して、たとえ私有地であっても放置されていれば柵をはずしたり、馬車が通れない小径であれば車を降りて歩いたりして、それだけの手間をかけた代償としてかならず絶景を見せてくれた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.336~337」岩波文庫 二〇一五年)

だからといってヴェルデュラン家の財力が問題なのではない。財力でいえばむしろカンブルメール家の側がまだまだ上位にあっただろう。重要なのは両者の間に横たわる習慣・因習の違いだ。そして両者の価値体系がもはや相容れないところまで来ていたがゆえに、見ている対象が同じであっても一方には見えていないに等しい風景、互いにまるで別々の「風景」を見出さざるを得ない諸条件が次々と出現していたということでなくてはならない。

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Blog21・シャルリュスの演出について勘違いした人々としなかった人々/「ふたりの名前」という<記号>

2022年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
シャルリュスがバルベックのグランドホテルへ招待し、堂々と連れ立って歩く「とびきりエレガントな」男。立派な社交人士に見える。実はカンブルメール夫妻の従姉妹(いとこ)のひとりが雇っている従僕。だが客の多くはまだまだこれからという新興ブルジョワ階級やプチ・ブルジョワに属する人々なので、「とびきりエレガントな」姿形に惑わされてシャルリュスの連れが誰なのかまるでわからない。シャルリュスは連れてきた「とびきりエレガントな」従僕を相手に或る相談を持ちかける。「あなたの仲間をうんとたくさん紹介してくれんかね」。さらに、自分の好みに合うのがどのような男か、たとえば「競馬の騎手」のような男だとか、細かく説明し始める。

そこへ偶然、一人の公証人が通りがかった。邪推されれば困ると恐れたシャルリュスはたちまち話題を変えて大声でこう言った。

「『そう、この歳になっても骨董あさりの趣味はなくなりませんねえ、年代ものの美品が好みで、昔のブロンズ像や古めかしいシャンデリアなどがあると、とんでもない出費をしてしまうんです。<美>には目がないもので』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.315」岩波文庫 二〇一五年)

この発言はシャルリュスの身振り(芝居)に過ぎない。それも第二の身振りである。第一の身振り(芝居)はグランドホテルのロビーに入ってきた時、連れている相手の姿形が「とびきりエレガントな」ものだった時点ですでに始まっている。相手の男が「カンブルメール夫妻の従姉妹(いとこ)のひとりが雇っている従僕」だとはよもや誰一人気づかないという現象を引き起こした。第二の身振りはシャルリュスの大声だが、この際もまた「公証人もホテルの客もだれひとりなにも気づかず、みなは立派な身なりの従僕をエレガントな外国人だと想いこんだ。社交人士たちはまんまとだまされて従僕を非常にシックなアメリカ人だと思った」。

第一の身振り(「とびきりエレガントな」姿形)も第二の身振り(シャルリュスの大声)もどちらもシニフィアン(意味するもの)として機能しており、シニフィエ(意味されるもの・意味内容)は「公証人もホテルの客もだれひとりなにも気づかず、みなは立派な身なりの従僕をエレガントな外国人だと想いこんだ」という勘違いを出現させた。ところが一方、客たちとは違う階級に属する人々(使用人たち・召使いたち)は、シャルリュスの盛大な演出にもかかわらずまったく勘違いを起こしていない。

「ところが公証人もホテルの客もだれひとりなにも気づかず、みなは立派な身なりの従僕をエレガントな外国人だと想いこんだ。社交人士たちはまんまとだまされて従僕を非常にシックなアメリカ人だと思ったが、それにひきかえ使用人たちは、この従僕が目の前にあらわれたとたんにその素性を見抜いた。徒刑囚が徒刑囚を見抜き、いや、それよりもずっと素早く、ある種の動物たちが遠く離れていても一匹の動物を嗅ぎつけるのと同じである。シェフ・ド・ランたちは目をあげた。エメは疑いぶかいまなざしを投げかけた。ソムリエは肩をすくめ、これが礼儀だと心得ていたのであろう、片手で口を覆って相手を中傷する文言を口にしたが、それはみなの耳に聞こえた。おまけに、そのとき『召使い部屋』へ夕食をとりに行こうと階段の下を通りかかったわが家の衰えた老フランソワーズまでが、顔をあげ、ホテルの会食者たちはまるで気づいていないのにーーーあたかも年老いた乳母のエウリュクレイアが、宴席に連なる求婚者たちに先がけて、目の前にいるのはオデュセウスだと気がつくようにーーー相手を召使いだと見抜き、さらにシャルリュス氏が従僕と連れだって親しげに歩いてゆくのを見て、心を痛めた表情をした。耳にはしていたが信じなかった意地の悪いうわさが、突如として自分の目にも嘆かわしい真実味をおびて見えたとでも言いたげであった」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.315~316」岩波文庫 二〇一五年)

そんな時、<私>は、給仕頭のエメが「ふたりのボーイ」と話し込んでいるところに出くわす。<私>にはそのふたりが一体誰なのかさっぱり思い出せない。「ひとりは口髭をたくわえ、もうひとりは口髭を剃って髪を刈りこんでいた」ためだけではない。さらに「ふたりの肩のうえにのっていたのは昔と同じ顔であったにもかかわらず(ノートルダムの誤った修復のように首がすげ替えられたというわけではない)、私の目にそれが見えなかったのは、マントルピースのうえに置かれてだれの目にも触れている品物が、どれほど綿密な家宅捜索でも見つからない場合とそっくりである」からだ。ノートルダム大聖堂の修復についてはすでに「スワン家のほうへ」篇で描かれているようにヴィオレ=ル=デュックが中世建築の専門家としてそもそも初めにあった十二世紀頃の形へ修復したため、プルーストたちの思い出にあるイメージがすっかり破壊されたことに対する批判。また「私の目にそれが見えなかったのは、マントルピースのうえに置かれてだれの目にも触れている品物が、どれほど綿密な家宅捜索でも見つからない場合とそっくりである」というのはそれこそヴァントゥイユの音楽やエルスチールの絵画が<別の価値体系>に移動することで始めて市民社会の目の前へ可視化することができる芸術の可能性について述べた箇所だ。しかし<私>が「ふたりのボーイ」のことをたちまち思い出すことを可能にした最も重要なものは「ふたりの名前」という<記号>である。

「そのふたりから名前を告げられて、私はふたりがリヴベルでよく給仕をしてくれたボーイであることを想い出した。しかしそれ以来ひとりは口髭をたくわえ、もうひとりは口髭を剃って髪を刈りこんでいた。そのせいで、ふたりの肩のうえにのっていたのは昔と同じ顔であったにもかかわらず(ノートルダムの誤った修復のように首がすげ替えられたというわけではない)、私の目にそれが見えなかったのは、マントルピースのうえに置かれてだれの目にも触れている品物が、どれほど綿密な家宅捜索でも見つからない場合とそっくりである。ふたりの名前を知ったとたん、私はふたりの声の奏でる不確かな響きをはっきり再認できた。その響きを明確にするふたりの昔の顔がありありと目に浮かんだからである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.318」岩波文庫 二〇一五年)

この場合、<私>は「ふたりの名前を知ったとたん」、「ふたりの昔の顔がありありと目に浮かんだ」、という点が重要である。名前がシニフィアン(意味するもの)として機能し、シニフィエ(意味されるもの・意味内容)が「ふたりの昔の顔がありありと目に浮かんだ」ということでなければならず、また第一の身振りも第二の身振りも含め、その限りでプルーストはさらに作品を増殖させていくことを可能にしているのである。

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Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて27

2022年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

花壇。一日一度、水をやるだけ。継続して育てる場合は時宜に応じて肥料を加えています。なお、うつ症状がひどい時は水をやれないこともあります。そんな時は家族に頼んでみます。それも無理な場合は放置しておいても三、四日なら大丈夫です。またバラだと次々芽を出してくるのであまり手間のかからない良質なエクササイズであると言えるかもしれません。


「花名:“Princess of Infinity”」(2022.9.21)

二〇二二年九月十七日に撮影したものの一つ。今回撮影時刻は九月二十一日午前八時四十分頃です。この種は蕾の時期はピンク色、花弁が大きくなるにしたがって白く染まるタイプ。台風十四号接近のためどうなるかと心配していましたが、なんとか乗り切ってくれた一輪。台風通過中にもやや白さを増していました。

参考になれば幸いです。

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Blog21・プルースト作品における覚醒時と睡眠時との<位置決定不可能性>

2022年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
プルーストは覚醒時の時間感覚と睡眠中の時間感覚との違いを比較し、睡眠中の時間感覚についてこう述べる。

「もうひとつの人生、つまり眠っている人の生がーーーその深い部分においてはーーー時間の範疇に従わないからである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.305」岩波文庫 二〇一五年)

覚醒時の時間感覚を基準にした場合、プルーストの言っていることはまったく正しい。睡眠中の時間感覚が<覚醒時>の「時間の範疇に従」っているとすればそれこそ逆にコペルニクス的転回と言わねばならない。睡眠中の人間は<或る覚醒時>と<次の覚醒時>との間に横たわっている<別の価値体系>を生きているとしか言えないのであり、夢に出てくる場面が支離滅裂であるような時間、支離滅裂であっても何ら構わず誰も気にしないような時間、時間の支離滅裂性によって支配されているような時間を、現実のものとしてまざまざと体験する時間を持つことができるというのである。

<覚醒時>の「時間の範疇に従わない」とプルーストがいうのは、<或る価値体系>にのみ支配された専制君主的かつナショナリズム的時間だけが絶対的に君臨しているわけではまるでなく、睡眠中はその桎梏から解き放たれた<別の価値体系>が出現するのではと問いかけているに他ならない。プルースト自身、どこの誰にでもありがちな次のような事例を上げている。

「私は目が覚めてから十回も呼び鈴を鳴らしたのにボーイがやって来ないので、絶望的な気分になりかけていた。十一回目で、ようやくボーイがはいってきた。ところがそれは最初の呼び鈴だった。それまでの十回は、まだつづいていた睡眠のなかで、呼び鈴を鳴らそうとする行為がきざしたにすぎない。かじかんだ私の手は、ちっとも動いていなかったのだ。そのような朝(その経験が、私をして、睡眠なるものは時間の法則を知らないのかもしれないと言わしめるのだが)、目を覚そうとする私の努力は、私がそのときまで生きていた睡眠という判然とせぬ暗いかたまりを、ひとえに時間の枠内へ収めようとする点にあった。これが容易なことではないのだ。睡眠のほうは、われわれが眠ったのが二時間なのか二日なのかを知らず、目印になるものをなんら提供してくれない。その目印を外部に見出すことができないと、われわれは時間のなかに復帰できず、ふたたび眠りこんでしまい、うとうとした五分間がそれこそ三時間にも思われるのである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.305~306」岩波文庫 二〇一五年)

同様の事態についてプルーストは「失われた時を求めて」冒頭ですでに言及している。スローモーション的手法で書かれているため、睡眠から覚醒に移動する時の人間の時間感覚や地理的感覚の混乱について、より一層懇切丁寧につかめるに違いない。

「人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる。目覚めると本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある。かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う格好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝ようと横になったところだと考えるかもしれない。眠るにはさらに場違いな、ふだんとかけ離れた姿勢、たとえば夕食後に肘掛け椅子に座ったままでうとうとしたりすると、その場合、大混乱は必至で、すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヶ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.28~29」岩波文庫 二〇一〇年)

覚醒と睡眠との関係に限らず<或る価値体系>に対する<別の価値体系>が見出せなければ、エルスチールの絵画もヴァントゥイユの音楽も、どこからも出現してくることはできない。これまで述べてきた通りだ。フェルメールもモネもゴッホも<或る価値体系>に対する多様な<別の価値体系>として始めて出現したからである。

そこでさらにプルーストは問う。「とはいえ私は、その夢の認識が明瞭であったことを思ってたじろいだ。そうだとすると逆に認識のほうも、夢と同様の非現実性を帯びるのだろうか?」と。

「さてボーイがはいってきた。私は、何度も呼び鈴を鳴らしたんだよ、とは言わなかった。それまで呼び鈴を鳴らす夢を見ていたにすぎないことに気づいたからである。とはいえ私は、その夢の認識が明瞭であったことを思ってたじろいだ。そうだとすると逆に認識のほうも、夢と同様の非現実性を帯びるのだろうか?」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.310」岩波文庫 二〇一五年)

<私>が夢を見ていた時、「その夢の認識が明瞭であったこと」は動かない。では覚醒時の「認識が」同じほど「明瞭」であった場合、覚醒時の認識もまた「非現実性を帯びるのだろうか?」。人間の覚醒時の認識は一体どこまで現実的であり、どこから非現実的になるのか。それとも覚醒時においてなお、覚醒したと思い込んでいるのは自分一人だけでありただ単に周囲が自分に合わせて芝居を打ってくれているに過ぎず、最初から非現実的な世界を現実的な世界と取り違えているだけかも知れない。そこで実際のところ、どこまでが現実的でどこからが非現実的かという境界線を見出そうとするとしよう。その境界線はどこに引かれているのか。あるいは経済で言えば、必要労働と剰余労働との境界線はどこに引かれているのか。だがしかし両者は融合しているため「目には見えない」とマルクスはいう。

「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫 一九七二年)

だからといって「剰余労働はない」ということは誰にもできない。どうしてか。

「つまり、資本は流通から発生することはできないし、また流通から発生しないわけにもゆかないのである。資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に流通のなかで発生してはならないのである。こうして、二重の結果が生じた。貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が当然出発点とみなされる。いまのところまだ資本家の幼虫でしかないわれわれの貨幣所持者は、商品をその価値どおりに買い、価値どおりに売り、しかも過程の終わりには、自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への成長は、流通部面で行なわれなければならないし、また流通部面で行なわれてはならない。これが問題の条件である。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!」(マルクス「資本論・第一部・第二篇・第四章・P.291~292」国民文庫 一九七二年)

剰余労働のないところに資本はない。ただ、両者(必要労働と剰余労働)は融合しているため絶対的な境界線を見つけることはできない。この「位置決定不可能性」という事情を踏まえてドゥルーズ=ガタリはこう述べる。

「例えば、古代帝国の大土木工事、都市や農村の給水工事であり、そこでは平行と見なされる区画により、水は『短冊状』に流される(条里化)。ーーー現代の公共工事は、古代帝国の大土木工事と同じ地位を持っていない。再生産に必要な時間と『搾取される』時間が時間として分離されなくなっている以上、どのようにして二つを区別できるのだろう。こう言ったとしても、決してマルクスの剰余価値の理論に反するものではない。なぜならまさにマルクスこそ、資本主義体制においてはこの剰余価値が《位置決定可能なものでなくなる》ことを示しているのだから。これこそがマルクスの根本的な成果なのである。だからこそマルクスは、機械はそれ自体、剰余価値を産み出すものとなり、資本の流通は、可変資本と不変資本の区別を無効にするようになると予知しえた。このような新しい条件のもとでも、すべての労働は余剰労働であることに変わりはない。だが、余剰労働はもはや労働さえ必要としなくなってしまう。余剰労働、そして資本主義的組織の総体は、徐々に労働の物理的社会的概念に対応する時空の条理化とは無縁になってきている。むしろ、余剰労働そのものにおいて、かつての人間の疎外は『機械状隷属』によって置き換えられ、任意の労働とは独立に、剰余価値が供給されるようになっている(子供、退職者、失業者、テレビ視聴者など)。こうして使用者が被雇用者になる傾向があるだけでなく、資本主義は、労働の量に対して作用するよりも、複雑な質的過程に対して作用するのであり、この過程は、交通手段、都市のモデル、メディア、レジャー産業、知覚や感じ方、これらすべての記号系にかかわるものとなっている。あたかも、資本主義が比類ない完璧さに到らせた条理化の果てで、流動する資本が、人間の運命を左右することになる一種の平滑空間を、もう一度必然的に創造し構築しているかのようだ」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・14・平滑と条理・P.281~282」河出文庫 二〇一〇年)

<或る価値体系>の一元的支配ではなく、もっと多くの、そして無数の<別の価値体系>をどんどん打ち立てていくことによってのみ、人間は新しい逃走線を次々と打ち開いていくことができる。覚醒時と睡眠時との《間》を考察することだけでもプルーストはそのことを十分証明していると言えないだろうか。

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