新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-3

2019-08-03 21:53:02 | 旅行記

「Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-2」のつづきは、河口湖遠征2日目のお話です。

7月14日の朝、起きて、外を見ると、期待はしていませんでしたが、やはり

この天候では、風景を愛でるたぐいの観光は期待できません
それなら、例によって15:00頃河口湖ステラシアターに到着するまでの間をいかに過ごしたら良いのだろうか…
とりあえず、チェックアウトギリギリまでホテルで過ごすことにして、まずはホテルの大浴場で朝風呂に入り、ひげを剃りました。実は、シェーバーを忘れてきておりまして…

そして、部屋に戻って、途中、朝食タイムを挟んで、ブログ記事「Misia Candle Night Reiwa 初日のこと」を書くことにを出しました。

そしてそして、予定どおり、チェックアウトギリギリ手前でブログを書き終えて、河口湖遠征2日の行動を開始しました

   

ところが、ホテルの駐車場に駐めていたクルマに乗り込んでも、まだこの日の行動が決まりませんでした。
クルマの運転席から見える外の様子は、が降りしきっていて、ますます観光とは縁遠い天候なのだなと思い知らされます

でも、いつまでもホテルの駐車場で時間を過ごすのはアホなので、あてもなく、富士山の裾野時計回りに回って、富士五湖(山中湖除く)を巡ってみようか、ということで、R246西へ走り出しました

通勤ドライブほぼ毎日走っているR246、東京の三宅坂(最高裁のある丁字路)起点なのは知っていましたが、終点どこなんだろ? と思いつつも調べることはなかった私、この日、R246の終点までやって来ました

R246の終点沼津で、R1ぶつかっておしまい
そして私はR1を、あてもなく西に向かってクルマを走らせました。

と、道路沿いに、「原」と書かれた表示板を見かけました。

「原」って、あの東海道宿場町「原」じゃないか?

歌川広重「東海道五拾三次」「原」は、

歌川広重「東海道五拾三次之内 原」

富士山フレームを突き破る構図が極めて印象的です。
ちなみに、広重は、「掛川」を、

「関」関札を、

それぞれフレームからはみ出して描いています。

ここでふと思い出したのは、たしか静岡のどこか広重の名を冠した美術館があったはず…ということ。

もし、河口湖まで行く経路を大きく逸れないのなら、その美術館に行ってみようか… と思いついた私は、R1から左折して横道に逸れると、クルマを駐めて、スマホで検索…。
すると、その美術館「静岡市東海道広重美術館」は、静岡市内とはいえ、清水よりもっと手前由比にあります。

ナビで見る限り、往復で10kmほど余計に走れば「静岡市東海道広重美術館」に行けます

ほぼ毎日、片道65km通勤ドライブをしている私にしてみれば、往復10kmなんて、ホンの寄り道です

といことで、「静岡市東海道広重美術館」通過地点としてナビにセットして、R1に戻りました。

   

そして、11:30ちょい前由比川の河川敷にある無料駐車場に到着しました。

旧街道沿いの、もっと美術館に近いところにも無料駐車場があることをあとになって知りましたが、日頃の運動不足の繕いも私の遠征では重要なテーマの一つでもありますから、まぁ、そこは良しとしましょう。

いかにも旧街道っぽい (でも、人通りが少なすぎる…)

一方で、近代建築も楽しめるのが、私にとってはうれしい

左の写真は、清水銀行由比支店本町特別出張所で、説明板によれば、

この建物は、明治35年(1902)創業の庚子銀行本店として、大正14年(1925)竣工したが、昭和3年(1928) 金融恐慌のおり駿州銀行に吸収合併された。昭和23年(1948)には清水銀行と改称され、同行由比本町支店となった。

だそうです。(西暦表記は私の加筆)

そういえば、先日、埼玉りそな銀行川越支店が、

来年夏を以て営業を終了(移転)するというニュースを耳にしました。
この建物は、こちらで書きましたように、大正7(1918)に旧・八十五銀行の本店として建てられたそうで、清水銀行由比支店本町特別出張所ちょっと先輩

銀行の古い建物って、ホント、魅力的

埼玉りそな銀行川越支店機能移転後も、この建物は残されるんだそうで(国の登録有形文化財)一安心です。
清水銀行由比支店本町特別出張所も、営業終了したとしても、建物は残して欲しい (こちらも国の登録有形文化財)

清水銀行由比支店本町特別出張所のすぐ近くに、古い学校のような建物がありました。

何の建物なんでしょ?

通り(旧東海道)に面した側は、これまた趣き深い

でも、側面学校然とした風情とはずいぶん違います。

と、看板が掲げられていました。

「株式会社 由比缶詰所寄宿舎第三寮」と読めます。
でも、とても「現役の寮」とは思えない佇まいです

しかも、「株式会社 由比缶詰所」なる会社は今も存在するのでしょうか?

調べると、「株式会社 由比缶詰所」現役の会社でした
大変、失礼いたしました m(_ _)m

会社のサイトを覗くと、

収穫の時期に大量に製造加工するため、 県外からも季節従業員をたくさん受け入れていました。その頃に使っていた趣のある社員寮が今でも残っています

とありますので、その「社員寮」この建物なのでしょう

   

こちらの「粋な黒塀 見越しの松」も、目を惹きますなぁ。

白いペンキ塗りの下見板張りの壁と寄棟瓦葺き、、、これはただものではない

と思ったら、静岡市が設置した説明板がありまして、それによると、

江戸時代、文書の送達は飛脚便によって行われ、由比宿では朝日麟一氏によってその業が行われ、飛脚屋と呼ばれています。
明治4年(1871)3月、郵便制度の創設により、飛脚屋は由比郵便取扱所となり、さらに明治8年(1875)1月、由比郵便局と改称されました。
明治39年(1906)5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、明治41年(1908)1月より郵便局を移転しました。この局舎は昭和2年(1927)7月まで使用され、現在は平野氏私邸となっています。

だそうで、写真バシャバシャ撮るのは気が引けます

   

なかなか東海道広重美術館行き着きませんが、最後にこの一棟

 「正雪紺屋」と染められたのれんが見えます。

正雪??? もしかして由井正雪と関係がある??

この建物にも説明板がありました。
曰く、

この紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より続くといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶(あいがめ)等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができます。
慶安事件で有名な由比正雪は、この紺屋の生まれといわれていることから、正雪紺屋の屋号がつけられています。

へぇ~~ です。

でも、Wikipediaによれば、

河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)では、慶長10年(1605年)、駿河国由井(現在の静岡県静岡市清水区由比)において紺屋・吉岡治右衛門の子として生まれたという。

だそうで、裏付けとしては苦しいなぁ~

でも、由井正雪由比宿繋げて考えることは無かったなぁ~、と思ったりして。

ということで、東海道広重美術館の見聞録は「河口湖-4」で。

コメント
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