旅行に出かけたり、帰省すると展覧会を観に行くのが「お約束」の私、今回の帰省でも、一昨日、秋田市立千秋美術館で開催中の「徳川美術館名品展 尾張徳川家の至宝」を観てきました。
徳川美術館には、2006年8月、「MISIA星空のライヴIII」の名古屋公演に出撃したとき、一度だけ行ったことがあります。
でも、その時観た常設展示はあまりパッとせず、こちらに書いたように、
徳川美術館は期待はずれ(むちゃくちゃやかましいガキがいて、気が散って困りました)
というものでした。
また、2015年4月の「MISIA星空のライヴVIII」の名古屋遠征のとき、徳川美術館を再訪しようかと思ったのですが、この時は、レンタカーで移動していて、あいにく徳川園の駐車場
が満車
だったのであきらめた
という過去があります。
そんなわけで、徳川美術館と聞くと、あの、くそやかましいクソガキ
が思い出されて、それがトラウマ
になっている感じです。
さて、秋田市立千秋美術館での「尾張徳川家の至宝」展は、くそやかましいクソガキ
なんておらず(これが普通の美術館)、じっくりと楽しめました
のっけから、フライヤーのメインビジュアルにもなっている家康が着用したという「熊毛植黒糸威具足」に
甲冑は、桃山~江戸時代初期のものが一番 だと思っている私ですし、保存状態もすこぶるイイ
それもそのはずで、図録の解説によれば、
家康から尾張徳川家初代義直に譲られた甲冑で、同家では別格扱いされ、名古屋城小天守内で他の具足と区別して、二畳の上畳(あげだたみ)の上に白木脚付の台を置き、その上に具足櫃を載せ、布を懸けて保管していた。
だそうで、それは大事に扱われていたのだそうな。
そうそう、この具足は、前期(7月20日~8月8日)のみの展示の予定だったのが、どうしたことも後期も展示されることになり、そのおかげで拝見することができました
Lucky
でございました
Lucky といえば、これまた前期のみ展示だったのが、後期にも展示されていた「梨子地糸巻太刀拵 with 豹皮尻鞘」も拝見できて幸せぇ~~
でした。
こちらは18世紀のものでしたが、さすが御三家筆頭・尾張徳川家所用のもので、精緻華麗な造りが見事でした。
ところが、不思議なことに、「豹皮尻鞘」は図録に載っていませんでした
この「尻鞘」なるもの、こちらのサイトから引用すると、
鞘の下端部を保護し、馬上において馬の腰に鞘が直接触れることをさける目的で、猪・虎・豹等動物の毛皮を尻尾に似せて被覆した装飾をいう。主に鎌倉南北朝頃の兵杖太刀の鞘に被せて用いたが、その異様な風体は人の目をひくものであり武張って猛々しい為、復古思想の強い江戸後期にこれを写した拵が多く用いられた。また鞘を包み込むことにより雨露を凌ぐ等、刀身保護の目的もあったと思われる。
だそうですが、教科書
に載っていた某武者の肖像画に、その「尻鞘」が描かれていました
右の画像は、多くの人が「足利尊氏像」と習ったものの、今はただの「騎馬武者像」と扱われている肖像画(重要文化財
)です。
この武者が佩いている太刀がモフっているのがお判りでしょうか?
拡大しましょう。
ね? モフってますでしょう?
この騎馬武者の尻鞘は虎皮のようですが、展覧会の説明板によれば、尻鞘には「格」があって、持ち主の位によって、
豹>虎>その他
と決められていたのだそうな。
とすれば、「豹皮尻鞘」を所用していた尾張家9代 徳川宗睦の方が、「騎馬武者」よりも位が上だったということになりますな。
そこで調べると、徳川宗睦が「従二位」で、「騎馬武者像」のモデルと目される高師直は確定できないけれど最高位が「従五位上」と、その差は明らかです。
ちなみに、かつて「騎馬武者像」のモデルとされていた足利尊氏は、生前には「従二位」まで昇進しましたが、この肖像画は、鎌倉幕府の倒幕に立ち上がったときの姿と言われていましたから、そうであれば「従五位上」。
なるほどぉ~ です。
でも、どうして豹が虎より格上だったんでしょ?
たしか、昔は、虎と豹は同じ動物で、オスが虎、メスが豹だと考えられていたんじゃなかったでしたっけ? (名古屋城本丸御殿の障壁画の説明にもそう書かれていた)
だとすれば、女性の方が男性よりも格上ってこと?
この仮説への論評は差し控えさせていただいて、刀剣の展示へ…。
ここでかなり気合いの入った刀剣女子に遭遇しました。
ガイドブックを手にした若い女性3名が、「本作長義 天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住国広銘打 長尾新五郎平朝臣顕長所持 天正十四年七月廿一日小田原参府之時従 屋形様披下置也」なる超長い銘の刀(重要文化財
)の前で動かないのですよ。
仕方ないので、「本作長義…」を後回しにして、次の展示を観て、そして、もういいだろう と戻ったら、刀剣女子は、まだ「本作長義…」の前にいる
どうして隣りに展示されていた国宝「国宗」ではなく「本作長義…」を延々と鑑賞しているんでしょ?
もしかして彼女たちは「国宗」も延々と鑑賞したあと、「本作長義…」も同じように鑑賞している?
これほど一作品の前から動かない観客に遭遇したのは、これほど博物館・美術館
に通っている私でも初めて
のことでした。
確かに、「長義…」は、唯一無二っぽく変わった刃紋の刀でしたけど…
1300年の時を経て正倉院に伝えられる宝物の中でも、何人もの時の権力者
を魅了(惑わして?)してきたとびきりのお宝
といえば、香木「蘭奢待(らんじゃたい)」でしょう。
その「蘭奢待」をこの展覧会で拝見できるとは思いもよりませんでした
図録から拝借した写真に「0.4g」とあるとおり、小さな小さな木片で、マイクロSDカードくらいの大きさでした。
できることなら、匂いを「聞かせて」いただきたいところですが、蘭奢待は、当然ながらガラスケースの中に収められていまして、クンクンしても(ムダな努力)感じることができませんでした
この展覧会を観て思い出させていただいたのは、日本美術の名品中の名品、「源氏物語絵巻」を収蔵しているのは、五島美術館とこの徳川美術館の2館だということ
残念ながら、徳川美術館所蔵の原本は出陳されていませんでしたが、田中親美氏ほかによる模本や現状模写と、林功氏を始めとする画家の皆さんによる復元模写が展示されていました。
「現状模写」というのは、
平成17年(2005)から23年にかけて、東京藝術大学美術学部絵画科・日本画第三研究室の修了製作の一環として、徳川・五島両美術館に収蔵される国宝「源氏物語絵巻」の現状模写の事業が行われた。古典技法および材料研究を習得し、そこで得られた技術や経験を、各画家たち自身の絵画製作に活かすことを目的として推進された。
というもので、「復元模写」は、
別に継続して実施された科学的分析調査によって特定されたさまざまな顔料や不明瞭となった図様の確認などの成果をふまえ、できうる限り原本と同一素材・同一技法で製作するという基本理念のもとで推進された。さらに図様や文様の確認、顔料の粒子の大きさ、塗りの厚み、色のかさねなど、丹念な原本の観察、とりわけ顕微鏡を用いての画家自身の読み込みと有職的な知識が復元模写を行う上で重要なポイントとなった。
だそうです。
凄いなぁ~ と感嘆しながら、ふと、思い出しました
以前、NHKが、この「源氏物語絵巻」の復元模写の話を番組として放送していて、私はそれを録画してBlu-ray Disc
に落として保存しているのですよ
帰省からUターンしたら、もう一度見かえさなくては
ということで、同窓会までの時間つぶしのつもりで見始めた「尾張徳川家の至宝」展はかなり楽しむことができました。
自宅のBlu-rayコレクションを見かえすだけでなく、クソガキ
のトラウマを乗り越えて、徳川美術館を再訪しなくては
でございます。