さぼりまくっておりましたが、ようやく「ウン十年ぶりの弘前 [弘前城編 #2]」のつづきです。
本丸の北東角の「鬼門除け」を堪能した私は、北の郭にある武徳殿休憩所横の喫煙所で、落ち葉を眺めながら一服
すぐ脇にはハルニレの大木がそびえているけれど、この葉っぱはユリノキっぽいな… Why??
それはともかく、一服したのち、東口券売所の前を通って二の丸に戻り、丑寅櫓を眺めながら土橋で内濠を越えて三の丸へ。
この辺りは土塁の斜面がなかなか美しい
お城=石垣のイメージを持つのは、中部以西の人たちで、本丸は石垣で囲われていたとしても、基本的には土塁に囲まれているのが東日本・北日本の城の特徴です。
江戸城だって、内濠に面している西~南部分は土塁です。
弘前公園といえば、桜の名所として有名で、確かに桜の巨木がたくさん植わっていました。ただ、どの木も相当に年季が入っていそうで、桜の世代交代をどうやって進めていくのだろうな… などと考えたりして…。
そんな中で、「日本一太いソメイヨシノ」という看板を見つけ、「緑の相談所」の中庭のようなところに、それを観に行ってみました。
おぉ、ドシッとしておられる
説明板を転記しましょう。
日本最大幹周のソメイヨシノ
幹周 573cm (地上1.3mの幹周)
樹高 約10m
環境省が実施している全国巨樹林調査により、日本最大幹周のソメイヨシノであるとされたものである。
植栽時期は最古のソメイヨシノと同じ明治15年の可能性もあるが、少なくとも明治34年には植栽されていたものと思われる。
だそうです。
調べてみると、青森県観光情報サイトによると、
ソメイヨシノの寿命は一般的に60年程度といわれるなかで、弘前公園では樹齢100年以上のソメイヨシノの古木が300本以上、樹齢60年を超えるものは約1200本あり、今も美しい花を咲かせています。
ですって
関係者の皆さんはどれだけ丹精を込めて面倒をみていらっしゃるんでしょう
ソメイヨシノが樹齢100年で「古木」と呼ばれるのに対して、種類が違うと「古木」の概念が異なるようで、「弘前城編 #1」で書いたイチョウは樹齢約400年、そして、「ネズコ(別名 クロベ)」の木の推定樹齢は「500年以上」ですと
説明板によれば、
種名 ネズコ (別名 クロベ) (ヒノキ科)
幹周 573cm
樹高 約20m
推定樹齢 500年以上
青森県が自生の北限であり、築城以前から自生しているものと思われる。
この樹の皮は、昔、火縄銃の火縄として利用されていたということから、築城後もたいせつにされていたと思われる。成木になると、上部でたくさん枝分かれするのが特徴である。
だそうで、「築城以前から自生」ってのがロマンだし、樹皮が火縄銃の火縄に使われたってのもまた染みます
と、緑の相談所の筋向かい辺りにレンガ造りの門柱を見つけました。
実際に門扉があるわけでもなく、塀があるわけでもなく、表札もないのですが、こりゃどう見ても門柱でしょ
そして、近づいてじっくりと観察すると、目地をかまぼこ状に盛り上がる「覆輪目地」を使うという凝りようです
こうした覆輪目地を使った門柱といえば、、、、小倉城趾で見た「旧第12師団司令部の正門跡」を思い出しました (記事はこちら)
何の説明もないけれど、弘前公園のこの門も旧陸軍関連施設のものだったのでしょうか?
帰ってから調べると、三の丸は陸軍第8師団が火薬庫と兵器部として使っていたそうで、この門柱はその当時のものらしい。
そして、戦後は陸軍に代わってこの地に陣取った弘前大学も、この門を使っていたのかもしれませんな。
それにしても、説明板が充実している印象の強い弘前公園なのに、この門柱に何の説明も無いのはちょと解せぬ…
このあと、私は三の丸を南に進み、東門から退城しました。
東門を出たところの外堀を挟んだ反対側には改修工事で休館中の弘前文化会館がありまして、そこに、武将の銅像が立っていました。
津軽の殿様なんだろうな と思ったら当たりで、台座には「藩祖 津軽為信公」とありました。
それは良しとして、そんな大事な方の銅像が、どうしてお城から閉め出しを食ったような場所に置かれているのでしょ? しかもお城の方を向いていて、なにやら寂しそう…
Wikipediaによれば、
戦前までは弘前城本丸にあった銅像は、戦時中の金属供出により撤去され、銅像出陣といわれている。2004年、新たな銅像が今の位置に設置された。
だそうで、金属供出で銅像が鋳つぶされた話は良く聞きます。
仙台城の伊達政宗騎馬像(戦後に上半身だけ見つかった)とか、秋田・久保田城の佐竹義堯像なんかも金属供出されたけれど、どちらも現在は本丸に復原されたものが鎮座しています。
でも、どうして津軽為信像は本丸に戻らなかったんでしょうか? 本丸にはいくらでもスペースがあるのにな…
そんなことを考えながら、今回の弘前ドライブの当初の目的だった弘前レンガ倉庫美術館は、次の機会にして、きょうはこのまま帰ろうと決め、駐車場を目指して歩きました。
途中のNTTの建物に、観光案内図が掲げられていたので、おさらいがてら眺めていると、、、、
間違いを見つけました
「丑寅櫓」が「五寅櫓」と表記されているではありませんか
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に、「生まれたのが寅年・寅月・寅刻」だからと三寅様と名づけられた後の4代将軍・藤原頼経が登場していますけれど(先週の山寺"慈円殿"宏一さんの長台詞が素晴らしかった)、「五寅」はないでしょ
「丑寅マニア」を自負する私にとっては許しがたいミスです
このあと、「建物編」で書いた建物ウオッチングの後半を愉しみつつ、駐車場に戻り、約2時間半の弘前探訪はおしまいにしました。
2時間半走って弘前に着いて、2時間半観光して、2時間半かけて別邸に帰るとは、なんとも…。弘前で一泊することにすれば、もっと楽しめたのだろうなと思います
次回はもうちょっと準備してから行くことにします。