ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

百人一首我流解釈 23~24

2023-05-21 20:20:53 | Poem

23

月みればちぢにものこそ悲しけれ

我が身ひとつの秋にはあらねど    (大江千里 生没年不詳) 

 

「ちぢ」は無秩序に数の多いさま、ということ。とても悲しい。

 

24

このたびは ぬさ(幣)もとりあへず手向山

紅葉の錦 神のまにまに    (菅家・かんけ 845~903)

 

「このたび」は「旅」「度」の掛詞。「幣」は旅の安全を祈って、神様に捧げるもの。

その「幣」の用意もないままに、来てしまいましたが、この美しい風景を手向けたく

思います。


百人一首我流解釈 21~22

2023-05-20 10:00:47 | Poem

21

今来むといひしばかりに長月の

有明の月を待ち出でつるかな  (素性法師 生没年不詳)

 

すぐに逢いにきて下さると、おっしゃいましたわね。長い夜を待っておりましたのに。

有明の月を待っていたわけではないのに。「長月」は陰暦九月、すでに夜は長い。

 

 

22

吹くからに秋の草木のしをるれば

むべ山風を嵐といふらむ    (文屋康秀・ふんやのやすひで 生没年不詳)

 

「むべ」は「なるほど」という意味が込められている。

山の風が吹くと秋の草木はすぐにしおれてしまう、ということだな。


百人一首我流解釈詩 19~20

2023-05-12 11:11:31 | Poem

19

難波潟みじかき葦のふしの間も

逢はでこの世を過ぐしてよとや  (伊勢 788~938頃)

 

 当時としては、珍しいことではないが、伊勢は天皇に寵愛されて、皇子を生み、

その後、天皇の御子・敦慶(あつよし)親王との間に娘も生んでいる。

しかし、白洲正子は優れた、孤独な歌人と記している。

 

20

わびぬれば今はた同じ難波なる

みをつくしても逢はむとぞ思ふ  (元良親王 890~943)

 

の辺で、少々「食傷気味」になっております。なんと恋歌が多いことか。

しかも、自由恋愛の時代ではないか? 民は貧しく暮らしていた時代ではないか?

勝手にしやがれ。

 

これで、五分の一終了。しばらく休憩します。

ご迷惑とは存じますが、お付き合い下さいませ。


百人一首我流解釈詩 16~18

2023-05-10 10:10:22 | Poem

16

立ち別れいなばの山の峰に生ふる

まつとし聞かば いま帰り来む  (中納言行平 818~893)

 

「因幡・いなば」を「居なば」、「松」を「待つ」にかけている。

因幡にゆくために、お別れですが、「待つ」と言ってくだされば、

すぐに戻ってまいります。

 

17

ちはやぶる神代もきかず龍田(たつた)川

からくれなゐに水くくるとは  (在原業平朝臣 825~880)

 

「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。紅葉で川が赤く染まることなんて、

神々の時代ですら、聞いたことがない。

 

18

住之江の岸に寄る波よるさへや

夢の通ひ路人目よくらむ  (藤原敏行朝臣 生没年不詳)

 

住之江の岸に寄せる波のように、人目のない夜、夢の中でさえ逢っては

下さらないのですね。

「よく」は避けるという意味がある。


百人一首我流解釈 14~15

2023-05-08 23:06:36 | Poem

14

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに

乱れそめにし われならなくに   (河原左大臣 822~895)

「陸奥・みちのく」は現在の東北地方東部。「しのぶ・信夫」は福島県の旧郡名。今の福島市南部にあたる。「もぢずり」は信夫地方の独特の織り方で、乱れ模様のような織り方でないかと言われています。そのように心が乱れています、ということかな。

 

15

君がため春の野に出でて若菜つむ

わが衣手に 雪は降りつつ  (光考天皇 830~887)

 

まだ雪が微かに降る頃ですが、野に出て、せり、なずななどをつみます。

冬の間に乏しかった野菜を好んで食しましょう。