ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

退院記念日

2018-10-12 20:38:51 | Care


夫が退院してから、一年過ぎました。
病状は悪化するでもなく、快癒することもない一年でした。
こうして、この病気と共に生きてゆくのでしょう。

夫はリハビリを欠かさず続けました。
週一回の訪問リハビリにきて下さるMさんにも褒められました。

それでも、この夫にほとんど付き合うばかりの私は誰にも褒められません(笑)。

月に一度くらいの、一人の外出が許されるだけの日々でした。
それは遊びではなく、同人との合評会ですよ。


その他の外出は、駅前のショッピングモールまで夫を連れてゆくだけです。
日常の買い物とランチと書店だけです。

こうして一年を過ごしました。
私が病気になったら、もうどうにもなりません。
それを考えることを、みんなで避けているのす。

ネジバナ

2018-06-18 13:05:43 | Care


自室にて夫が朝から友人と電話。居間に聞こえるほど声が大きい。
友人は寝たきり状態らしい。奥様は私より若いらしい。
共に「妻が元気でよかったよ。」とのたまう。

「同い年の老夫婦の我々は、いつ妻が過労で倒れるかもしれないのよ。」
「あいつの奥さんは若いらしい。」と楽観する。
「年齢など、当てにならないわ。」とどつく。

この世代の男たちは、妻が病気になるとは思っていないらしい。
私が、ここまで生きてきたのは奇跡のようなもの。

満洲からの引揚の時、2歳だった私はドクターに「あと数日遅かったら死んでいた。」
と言われた子供だった。母と私は即入院。
そのころ、野山をかけまわり、傷だらけになっていた元気な少年は君だろう。

それから、父母を看取り、姉を看取り、ここまで生きてきたのに、
「またかよ!」

心がねじれる。

夫の状態は悪化が進んでいる。
このまま「甘ったれ老人」として生きてゆくつもりか。

一度だけ、叫んでみたかった。疲れた。

久しぶりに病院へ

2018-06-12 16:22:32 | Care
夫が退院してから、約7か月経過。
週一回の「訪問リハビリ」と、月一回の診療所(入院した病院の分院。近所にある。)でお薬を処方して頂く。
その繰り返しでしたが、この季節になってから「調子が悪い。」を連発。
ケアマネージャーさんに相談して、本院(かなり遠いのですが。)にタクシーで連れていきました。

ドクターが「一応、検査をしましょう。」ということで、検査予約とその後のドクターとの面談の予約をしました。
次は病院から、タクシーでららぽーとへ。
大好きなパン屋さんでランチ。そして本屋さんへ。
そしたら、少し元気になった。。。。
気の病か!!!


ああ。気を取り直して。。。。

ヤマモモが数年ぶりに実をつけていました。





老婦人の勇気

2018-04-09 23:23:58 | Care


夫の護衛をしながら、バスに乗って、駅前のショッピングモールへ行く。
夫の主な目的は、本屋さんと、ランチ。
夫は左半身の軽い麻痺のため、歩くのが遅い。
スマホをしながら、歩いてくる女性は、目前の夫が見えない。
危うく、転倒寸前のところで、セーフ。(歩きスマホは本当にやめて下さい。)

ランチ、本屋さん、薬屋さん、最後にマーケットで夕食の買い物。

帰りのバスにて、素晴らしい老婦人に遭遇。
バスを降りる時に、大きな声で運転手さんに「乗車口を開けて下さい。」とおっしゃる。
その後、ご自分の腰掛付きのショッピングカートを指して「どなたか降ろしてください。」
とおっしゃる。
思わず私は腰を上げました。それより早く駆け寄ってあげたのは老紳士でした。
私は席に戻って、様子をみていましたが、老婦人は尚も声をかけます。今度は私に。
「バスを降りる手助けをお願いします。」と。
私はすぐに立って、降車口を先に降りて、婦人を待ちました。
婦人の小さな手をしっかり握って、どうやらお役にたったようでした。

その先のバス停で降りる時、今度は夫より先に降りて、夫の無事下車を見守る。

そうして老夫婦二人で語り合う。「素晴らしい老婦人だったね。」と……。
老人が世間に遠慮して生きることはないのです。

それにしても、その老婦人に手を差し伸べた二人ともが老人であった。
とりあえず、元気な老人は頑張ろう。

夫も頑張って、玄関までの4段の階段を、私のショッピングカートを運んだわ。

フェミニズム

2018-01-14 23:23:15 | Care


同い年の老夫婦がいて、夫(入院→退院→軽度の脳梗塞)の自宅介護は、妻が看る。
その負担の重さに、夫は気付いていない。

日常を支えているのは、常に妻であったが、その延長線上に今がある。
減塩の食事を3回作る。掃除、洗濯、布団干し、買い物、諸用、通院のお伴、etc。

一人の遠出が出来ない夫。かつて「腕力だけは……」と、助けてくれた夫はいない。

閑さえあれば、書斎にこもる。時々リハビリ。それだけの日常。
その本には、「日常はすべて妻に任せていいのだ。」と書いてあるのだろうか?
「上野千鶴子」の本もたくさん読んでいましたよね?

日常的なことはすぐに忘れる。ささやかな日常の約束事を守れない。

「そんな調子なら、本を読んでもすぐに忘れてしまうわね。」
夫は「そんなことはない。」と強く主張。

フェミニズムは、ついに机上の空論。




冬の救急車

2018-01-04 23:29:26 | Care


寒い日が続いています。
そして冷たい風ばかり。

毎日のように救急車の音を聞きます。
様々な人々の声が聞こえてきます。(幻の声かもしれないけれど。)

そして、困難を極めた昨年夏からのことを思い出しています。
私のかつての日常は無事に戻ったけれど、
夫には戻らない。介助が必要な状況ではないにしても……。

同い年の老夫婦が、共に築いてきた役割分担はここで非常に不平等になってしまった。
けれども、生きていくのよ。

年仕舞

2017-12-22 13:27:48 | Care

 12月18日の夕。富士山が見える。


なんだか、バタバタと忙しい。疲れて、日記をまとめて書く。

12月18日
「今日は暖かいから、バスに乗って駅前まで行ってみよう。」と提案すると、
夫の表情が一気に明るくなった。
退院後近所の散歩のみの生活から、一段上に行けるかどうか?

バスには無事に乗降できました。健在の右手の腕力は衰えていなかった。
駅前でバスを降りると、今までよりも早い歩調で「らら・ぽーと」へ向かう。
まずは書店へ。「ベッドで読むには文庫本がいい。」と言うわけで、3冊購入。
デスクで読む本と分かれるのは、致し方無い。
その後、文具店にて、来年の手帖を購入。メモ魔である。

「ドンク」にて休憩。外食は塩分が多いので、昼食は家で済ませてきた。
ここでは、軽いおやつタイム。明日の夫の昼食用のパンも買う。
夕食の材料を買って、無事に帰宅。
重い荷物を持つのは、今までは夫の役目であったが、今はショッピングカートが働いている。

12月20日
私の通院リハビリ。残り後1回で終わる。その後、夫の部屋のカーテンを買いに。

12月21日
夫の訪問リハビリ。9時20分~10時まで。療法士さんにバスに乗れたことを報告。
喜んで下さった。
その後、診療所へ。退院と共に、本院からこちらのかかりつけ医に一任された。
健康だった時の倍の時間をかけて診療所に辿り着いた。一ヵ月分のお薬を頂く。

20日、21日をかけて、カーテンの寸法直しをする。部屋が明るくなって、夫はご機嫌。
ああ~~あ、肩凝った。

有明の月 残月

2017-12-13 14:25:27 | Care


昨日の朝に撮影したものです。
朝の空にまだかすかに姿を見せている月。







有明のつれなくみえし別より暁ばかりうきものはなし  


壬生忠岑(みぶのただみね)

つまり、恋人と別れる頃に「有明の月」が見えるのです。



さてさて、我が災難の右上腕骨折の完治が決まる頃に、
今度は婦人科検診にて、不穏な空気が……。マンモグラフィー検査から、
超音波検査に移行。しかしながら、無事に「癌」でないことはすぐに判明。
やさしい外科のドクターは「驚かせてごめんね。」とおっしゃっていました。
これで、リハビリ2回をクリアして、病院とお別れです。
整形外科のドクター、リハビリの療法士さん、ありがとうございました。
みんなやさしい方々でした。

たくさん病院に通った半年でした。

無事に年の瀬を迎えて、脳梗塞の後遺症の残る夫と共に、越年しませう。

終日(秋日)多忙なり。

2017-10-27 21:35:37 | Care


23日(月) 11時に家を出て、退院後に通う診療所まで、夫を連れてゆく。
      ついでに、私の常備薬も頂く。快晴の日であった。
      病院までの所要時間は5分ほど早くなりました。

24日(火) 私の通院リハビリ。

26日(木) 夫の訪問リハビリ。その後、診療所の栄養士さんのご指導を受けに。

27日(金) 私の通院リハビリ。

まさに夫唱婦随ですなぁ。

それにしても、私のリハビリ効果はどんどんと。あと一歩で元通りに。
夫の状態は、なかなか難しい。悪化はしないが、約4か月の病院生活から日常生活に戻るまでの
失望やら希望やら……と。

夫の退院後、2週間を過ぎた。


病院に行くと、老々介護の現状が、よく見える。
今日見た風景は、小さな弱弱しい老婦人の肩につかまって、不自由な足で歩いている背の高い老人。
老婦人に頭の下がる思い。しかし「甘ったれるじゃねぇ。」と男性に言いたい(笑)。