ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット・第二部・24  リルケ

2009-09-24 23:05:14 | Poem
 このソネットのなかで何度もわたくしが立ち止まった「第二部・24」について書いてみます。冒頭からは大分飛んでしまいますが、もともとソネット全文について書くつもりはありませんので、気付いたことから書いてゆきます。ちなみにドイツ語は全くお勉強したことはありません。赤子と同じです。翻訳者の註解を頼りにしつつ、反面ナマイキにもそれらを疑ったりしながら読んでいます。だって翻訳者同士の解釈の異論が錯綜するのですから、最後の決断はこの未熟な読者のキッパリ(?)とした判断しかないのです。

  *   *   *

第二部・24


おお この歓び、つねに新たに やわらかな粘土より!
最古の敢行者たちにはほとんど誰も助力しなかった。
にもかかわらず、街々は祝別された入江にそって立ち、
水と油は にもかかわらず 甕をみたした

神々を、まず大胆な構想をもって、私たちの描く者たちを
気むずかしい運命はまた毀してしまう。
だが神々は不滅の存在。見よ ついに私たちの願いを聴き入れる
あの神の声が 私たちにひそかに聴き取れるのだ。

私たちは 幾千年も続いてきたひとつの種族――母であり父たちであり
未来の子によってますます充たされてゆき、
のちの日にひとりの子が私たちを凌駕し、震撼させるだろう。

私たち 限りなく敢行された者である私たちは、何という時間の持ち主なのだろう!
そしてただ寡黙な死 彼だけが知っているのだ、私たちが何であるかを、
そして彼が私たちに時を貸し与えるとき、何をいつも彼が得るかを。

(田口義弘訳・「オルフォイスへのソネット」河出書房新社)


ゆるく溶かれた粘土からうまれる歓喜、たえずあらたなこの悦び!
最古のころの敢行者を助けた者はほとんどなかった。
街々は、それにもかかわらず祝福された入り海にうまれ、
水と油は、にもかかわらず甕をみたした。

神々を当初われらは大胆な構想をもって設計するが
気むずかしい運命がふたたび砕いてしまう。
しかし神々は不滅だ。ついには望みをかなえてくれる
あの神々の声音を盗み聞くがよい。

われらは何千年を閲した種族。母たち そして父たち、
未来の子によっていよいよ実現せられ、
ついには、いつか、その子らはわたしたちを超え、わたしたちの心をゆるがす。

限りなく賭けられたもの、なんとわれらの時は広大なのか!
そして無言の死だけが、わたしたちがなんであるかを見通し、
わたしたちに時を貸すとき、なにを獲(う)るかを知っている。

(生野幸吉訳「世界の文学コレクション36・リルケ」・中央公論社)


  *   *   *

 恐れもなく自己流解釈をします。「粘土」という言葉からは、当然神が人間を粘土から作り賜うたというものであるという前提はあります。「祝別された入江」あるいは「祝福された入り海」というところからは、人間の集落は必ずと言っていいほど、水辺から始まったということ(これはわたくし自身の永年の確信犯的発想です。)に繋がってゆくようです。そこには粘土で作られた家、それから甕、そしてそこには水も油も満たされている。人間のいのちはそこで「幾千年も続いてきたひとつの種族」となっていくのでしょう。そして「未来の子によってますます充たされて」あるいは「未来の子によっていよいよ実現せられ」人間社会は連鎖してゆきます。ですが気むずかしい神の手によって毀されることもある。人間が堕落した時の神の怒りでしょう。こうして人間は生きながらえてきました。「何という時間の持ち主なのだろう!」・・・と。人間のいのちには限りがありますが、それを連結してゆくことは可能です。時間はこのように神から人間に賜ったものではないか?このような解釈ではいかがなものかな?(←最後は気弱だなぁ。)

ベルギー幻想美術館

2009-09-24 01:46:11 | Art
                       (ジャン・デルヴィル夫人・ジャン・デルヴィル)

 15日午後より、澁谷のBunkamura・ザ・ミュージアムにて観てまいりました。副題は「クノップフからデルヴォー、マグリットまで」となっています。大雑把に括れば19世紀末のベルギーの「象徴主義」の画家たちと言えるのでしょうが、それぞれの目指した絵画は、さまざまな主張と試みがみられます。

フェルナン・クノップフ(1858~1921)
ポール・デルヴォー(1897~1994)
ルネ・マグリット(1898~1967)
フェリシアン・ロップス(1833~1898)
ジェームズ・アンソール(1860~1949)
ジャン・デルヴィル(1867~1953)
エミール・ファブリ(1865~1966)
レオン・フレデリック(1856~1940)

 これらの画家の113点の作品は「姫路市立美術館」所蔵のものです。1983年(昭和58年)に開館したこの美術館は、開館以来、ベルギー美術品の収集に力を入れたのは、姫路市とベルギーの工業都市シャルルロワ市と姉妹都市関係にあったからです。ベルギーの近代美術史を語れるほどの作品が収集されているとのことです。


 1830年に建国したベルギーの文化はフランスの影響を大きく受けていました。フェリシアン・ロップスは、パリで活躍した画家で、風刺画や本の挿絵を多く描くようになり文学者との交流を深めていきました。詩人シャルル・ボードレール(1821~1867)の「悪の華」の挿絵も担当しています。こうした文学者たちとの交流が多く見られるというのが、19世紀ベルギーの画家の1つの特徴と言えるかもしれません。

 またジェームズ・アンソールの「キリストの生涯・32点組」のリトグラフ。あるいはポール・デルヴォーの「クロード・スパークの小説「鏡の国」のための連作・最後の美しい日々・8点組」のエッチングや「ヴァナデ女神への廃墟の神殿の建設・11点組」のエッチングなどもありました。

 この絵画の時代的背景をみますと、19世紀後半から20世紀前半にかけてのベルギーは、本国の何十倍もある植民地(コンゴ)からの富が産業革命を加速させ、飛躍的な繁栄をもたらした時代です。その恩恵は芸術の世界にも及び、リベラルな若い実業家たちは新しい芸術を支えました。こうして芸術は宮廷文化から、裕福な階級の人間たちの文化に変わってゆきました。宮廷に庇護されることから、値踏みされる芸術の時代の到来と言ってもいいかもしれません。しかしながら皮肉にもその芸術の中身は、発展する近代社会における人間の疎外を表わすものともなったのです。

 展覧会全体のなかで気付いたことですが、女性を描いた絵画の圧倒的な多さでした。それは美しい女性像であったり、あるいは世紀末の魔性の女性であったりと。。。これがベルギー幻想美術の1つの特徴です。

 さらに産業革命は、19世紀後半のベルギーでは労働争議などが頻発していました。画家たちも労働者の現実に目を向け、それを題材にした作品も描きました。