ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

詩人 金子光晴自伝

2012-09-25 13:07:43 | Book
金子光晴『詩人 金子光晴自伝』から



金子 光晴(1895年(明治28年)12月25日~1975年(昭和50年)6月30日)が自伝を書いたのは1957年、
62歳で初版を出したことになります。1971年(初版から14年後)にAJBC版第1刷が出版された時、金子光春は76歳となる。
当然、書き直しの部分はある。その後の金子光春の人生は80歳まで続く。

妻は詩人の森三千代、息子は翻訳家の森乾。

1人の伝記を自ら書くということに対して、ある方は読者が望むような人物像を書くことができるという、
わずかに悪意ある批判をしている。
しかし、他者が彼の評伝を書いたとしたらどうだろう?
評伝を書くからには、その人物を愛していなければ書かないだろう。
あるいは「死者」となってから書く時に、実像を美化するという愚かな行為は慎むだろう。

……というわけで、わたくしは素直にこの本を読むことにしました。
わたくしは金子光晴の生き方と詩が好きだからです。

「子供の徴兵検査の日に」

「招集」

「寂しさの歌」

以上の3編の詩は、「戦争」をテーマにしたものであり、
息子の徴兵拒否に父親として、愛おしいほどに頑張った印のような詩である。
「日本は負ける」ということを認識できる人間が、あの時代にどれほどいたか?
さらに、勝敗に関わらず戦争がもたらす「負」の重さをどれほどの人間が知っていたのだろうか?
金子光晴は、ここで家族の結束を強くする。
そして、厳寒の季節の山中湖畔の粗末な別荘を借りて、親子3人の生活をしながら、
彼は、発表のあてのない詩を書き続けた。
敗戦の日まで……。

東西諸国への旅は、金子光晴の世界への視点が「国粋」を客観視させた要因ではないだろうか?


「愛情69」

このような詩も金子光晴の世界だと思う。
家族という枠に入りきれなかった夫婦(光晴&三千代)の愛の詩であろう。


最後にこの1文を引用する。
『そんなに業を背負って生まれてきた僕らは、解答の手がかりをつかみかけたままで、問題を後嗣ぎにのこして、
はやばやと死に迎えられる。待ってくれ。その酒はまだのみかけなのだ。』


(1957年初版発行・1971年AJBC版第1刷・発行所=平凡社・発売元=全日本ブッククラブ)