青空の穴より小鳥こぼるゝや
「神さまは雀一羽の死もご存じです。」という言葉を映画のなかで聞いたのは、この一句に決めたその翌日であった。
小さな鳥は天に放てばたちまち天に抱きあげられ、落ちてくる時には、そこに小さな空白を置いてくるに違いない。
「小鳥こぼるゝや」という表現がなんとも愛おしい。
詩人清水昶氏は、多面体の書き手であった。
虚無も無頼も少年(少女も含めて)も郷愁も合わせ持ち、
そして幼い者や小さな生き物に注がれる温和な父性の視線も見逃せない。
詩から俳句の領土への移行のなかで、それでも尚残る詩の残り香が、
清水昶氏の俳句に独特の世界を創りあげていた。
その世界にふいに小鳥がこぼるゝのだった。
ここで書き手は掌を差し出しているに違いない。小鳥を受け止めるために。
詩集「詩人の死・一九九三年刊」には
「亡霊になってはじめて人間は生きているみたいになつかしい」という詩の一節が書かれていました。
昶氏は驚くほど「死」に対する関心が強い方でした。
しかしご自身の「死」は、ふいにこぼれてきたのではないか?と思えてなりません。
「神さまは昶さんの死もご存じです。」
(俳句誌「百鳥」2013年11月号・所収)