インタビュアー、及び編集、構成は陶山幾朗氏である。
内村剛介に恋してる。今まで使用しなかった脳内のどこかが、にわかに働き始めたせいではないか?
内村剛介少年は紅い夕日にひかれて、少年大陸浪人となって満洲へ。「台連第二中学校」を経て「哈爾浜学院」へ。卒業後は関東軍に徴用。敗戦時にソ連軍に逮捕され、シベリアに抑留され、1945~1956年の間「スターリン獄の日本人」となる。
ここには、究極のエピソードがある。逮捕されたが、すぐに延吉の収容所から開放されたが、一緒に開放された友が発疹チフスの高熱におかされる。進退窮まった内村氏は、医師を求めて収容所に戻るしかなかった。そこから11年である。
帰国後の内村氏は、「挫折」や「悔恨」に陥るいとまはなく、エネルギッシュな執筆活動を始められました。しかしながら内村氏は日本へ帰ることに固執していたわけではないようです。奥様には「再婚」を勧める手紙を、ロシアから出していました。しかしながら、それで女性が「ああ、そうですか。」と再婚するわけないでしょ。自分の論理だけで妻の論理と重ねることのできない男よ。
この本では、抑留生活についてばかりでなく、ロシア文学者として、ロシア語とロシア文学、ロシアの国の特性についてたくさん語っておられます。今後ロシア文学を読む場合に、これが頭を離れないことでしょう。さらに、こんなお話がありました。以下引用します。(長いですが。)
『ロシアのように余りにも広大な土地に対して、人間の数が極めて少ないという、このどうしようもなく乖離した現象に発していると言えます。そして、この乖離ないしは空白部分というものを埋め、かつこれを支配することができるのは、つまるところより強力にして絶大なるパワーなんですね。だから中央集権もその極まった体制をもってしなければ、とてもこの広大な空間を有効支配できないということになるわけです。で、ともかくそれには人間が足りない、となる。そこで、どうするか。じゃあその足りないところへ捕虜をもってくるとか、あるいは囚人を使えばいいじゃないかということになる。要するに強制的な力をもってして人間を狩り集め、これをあてがって労働をさせればいいという発想になるわけですね。
このように、昔からロシアを開発するためには、極めて強大な集中力と強制力をもったところの中央集権的な力によって、その広い土地と人間とをドッキングさせるというのが唯一の方法だったわけです。そういう論理がもともとロシアにはあり、それが彼等の発想の根源にあると僕は思います。』
ロシアの捕虜となったご当人が冷静に分析しています。すごい。
このように、内村剛介氏はロシアの文学者、政治家、民衆、不満分子などなどを分析してゆきます。一番私が「目からうろこ」だったのは「コザック」でした。若い頃にロシア民謡を好んで歌っていた私でしたが、これらのほとんどがロシアの歴史を如実に表していたのではないだろうか?
コザックは、エンクロージャー(囲い込み政策)に反発して、新天地を求めて出てゆき、そこを開拓して豊かな土地にする。そこを国家が奪う。そしてそこはすでに自由の天地ではなくなる。また新天地を求める。この繰り返しがロシア全土を豊かにしていったということのようです。
書き出すときりがないほどですので、これにて終りにします。
あの世の内村剛介さま。遅ればせながら深く感謝致します。
(2008年初版発行 2009年第3刷発行 恵雅堂出版株式会社刊)