暑さで思考力低下している頭に、静かに語りかけてくるような本でした。
対談「なみだふるはな」は水俣病と原発の根底に流れているものが同じことだと、とてもよくわかる。
大きな声で言っているわけでないが、真実が見えてくる。心の底から納得できる。
石牟礼さんの会話というよりも「語り」と言いたいような言葉は
すべて覚えておきたい気持になります。活字には表れていないようですが、それを感じます。
大声ではない、そしてこの世のすべてをやさしく抱きしめている。
そして、この世の「悪」をなだめようとなさっています。
聴こえるかい?この世を「悪」と「欲」で思いのままにしようとした者たちよ。
「水俣病」と「原発」の共通項。
まず緑豊かな「田舎」がある。特に産業はない。
しかし美しい自然と、そこに生きる人々の自然のなかで生きる知恵が美しく伝承されてきた。
しかし、「田舎」より「市」を望む人々もいる。経済的豊かさのために。
水俣の「チッソ」そして「原子炉」。
1950年代を発端とするミナマタ。
そして2011年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共振している。(藤原新也)
亡父の故郷は福島。死期を感じ取った父の最後の願いは「あの海がみたい。」ということだった。
無理を承知で車で行った。父は海辺で車から降りる力もなく、車窓で涙を流していた福島の海。
その海が荒れて(ここまでは自然の力。)、そして汚染された。
いや、日本中のみならず、おそらく潮流、大気によって果てしなく汚染は拡大する。
そしてそれは何代もの世代に影響を残す。
にもかかわらず、政府は「水俣病認定」の期限を決めようとしている。
東京まで行ってみたが、
日本ちゅう国はみつからんじゃった。
(中略)
どこゆけばよかろか (石牟礼道子さんによる水俣の方の言葉)
この2つの大きな問題に向き合う自分の立ち位置がわからなかった。
この「なみだふるはな」の対談から、どう考えていけばよいのか教えていただいた。
わたくしにとって、大切な1冊になるだろう。
いろいろと書きたいことはあるが、とても書ききれないように思う。
せめて、この本を大事にしておきたい。
私は少女期に渡良瀬川のある市で育った者。
(2012年3月20日初版・河出書房新社刊)