15日正午曇天、地下鉄「みなとみらい」駅を出ると、あたりは静かだった。時々薄日もさす。
13~14日に「APEC JAPAN 2010」が開催されたとは思えないほどに。
横浜市で開かれていた「APEC=アジア太平洋経済協力会議」は、13日に首脳会議が開幕し、
経済発展に向けた域内での経済統合に向けた道筋や成長戦略の策定などについて、2日間にわたって意見が交わされました。
「TPP=環太平洋パートナーシップ協定」のほか、「ASEAN=東南アジア諸国連合」に日本、中国、韓国を加えた枠組みでの
自由貿易構想などの取り組みを発展させて、実現を目指すことなどで各国が一致する見通しだった。APECの首脳会議は14日午後閉幕。
久し振りのドガ展では「エトワール」が初来日と話題になっていましたので、会場の混雑を予想していましたが、
この「APEC」終了翌日のおかげだと言えば「TPP」の反対運動などををなさった方々に申し訳ないと思いますが、
横浜美術館は入場者がほどほどで、大変ゆっくりと観られました。すみませぬ。
(エトワール)
美しいエトワールの踊る舞台の袖には黒衣の男性が見えるのはなぜか?
独り言……今は「芸術」と呼ばれるもののはじまりというものは、大方こうしたことから出発している。
このバレリーナは、別の意味では値ぶみされる「娼婦」に似た存在であったこと。
このような歴史から始まって「芸術」と呼ばれるまでに洗練されてきたものは「バレー」のみではあるまい。
ドガの画業の中心は、やはり「踊り子」だとは思うのだが、初期から後期まで一貫していることは
女性の肉体の動き(傾き、捩れ、あるいは真っ直ぐに伸びる足や腕。)それに付随する衣装の動きとなだらかな線だったように思う。
おびただしい枚数のバレリーナあるいは入浴する裸婦、娼婦などを描いているのはそのためではないか?
また、この時代の画家が必ず手掛けたものは「肖像画」や、その時代に流行ったもの(ドガの場合は「競馬」や「乗馬」)、
あるいは身近に見る市民の生活など……。
(ジョヴァンナ・ベレッリの肖像「ベレッリ家の家族」のための習作)
(綿花取引所の人々「ニューオリンズ」)画面手前にいる人物は叔父のミシェル・ミュソン氏
* * *
(テオドール・ゴビラール夫人「イヴ・モリゾ」 )
この美術展で初めて知ったこと。ドガは女性画家「ベルト・モリゾ」の姉「イヴ」の肖像画を描いていた。
ドガはほとんどが自分のアトリエで絵を描いていたのですが、これは「モリゾ家」の3人姉妹のために
ご両親が自宅の庭に建てたアトリエに通って描かれたものです。
ベルト・モリゾは1841年生まれ。ルノワールと同じ年に生まれています。三人姉妹の三女として、裕福な家庭に育つ。
この時代のこの階級の娘たちの「花嫁修業」の一環として、「美術」もあったということで、特別な出会いではない。
母親は娘たちのさまざまな花嫁修業のためには、よき師を捜す。そのモリゾ家の次女「エドマ」と三女「ベルト」が絵画に強く惹かれ、
才能を開花させましたが、この時代に女性が「画家」となることはとても困難なことで、
美術学校にすら入学できない。個人的に画家に指導を受け、ルーブル美術館で「模写」による勉強などに専念した。
次女エドマは結婚とともに絵画をあきらめたが、三女ベルトはマネの弟子となって画家の道に進んだ。
この女性画家モリゾはマネの弟と結婚している。
しかし、このモデルとなった長女の「イヴ」は絵画には興味がなかったようである。
以上、思いつくままに……。次回は同じ横浜の「そごう美術館」の日本画家「手塚雄二」の展覧会について書きます。
13~14日に「APEC JAPAN 2010」が開催されたとは思えないほどに。
横浜市で開かれていた「APEC=アジア太平洋経済協力会議」は、13日に首脳会議が開幕し、
経済発展に向けた域内での経済統合に向けた道筋や成長戦略の策定などについて、2日間にわたって意見が交わされました。
「TPP=環太平洋パートナーシップ協定」のほか、「ASEAN=東南アジア諸国連合」に日本、中国、韓国を加えた枠組みでの
自由貿易構想などの取り組みを発展させて、実現を目指すことなどで各国が一致する見通しだった。APECの首脳会議は14日午後閉幕。
久し振りのドガ展では「エトワール」が初来日と話題になっていましたので、会場の混雑を予想していましたが、
この「APEC」終了翌日のおかげだと言えば「TPP」の反対運動などををなさった方々に申し訳ないと思いますが、
横浜美術館は入場者がほどほどで、大変ゆっくりと観られました。すみませぬ。
(エトワール)
美しいエトワールの踊る舞台の袖には黒衣の男性が見えるのはなぜか?
独り言……今は「芸術」と呼ばれるもののはじまりというものは、大方こうしたことから出発している。
このバレリーナは、別の意味では値ぶみされる「娼婦」に似た存在であったこと。
このような歴史から始まって「芸術」と呼ばれるまでに洗練されてきたものは「バレー」のみではあるまい。
ドガの画業の中心は、やはり「踊り子」だとは思うのだが、初期から後期まで一貫していることは
女性の肉体の動き(傾き、捩れ、あるいは真っ直ぐに伸びる足や腕。)それに付随する衣装の動きとなだらかな線だったように思う。
おびただしい枚数のバレリーナあるいは入浴する裸婦、娼婦などを描いているのはそのためではないか?
また、この時代の画家が必ず手掛けたものは「肖像画」や、その時代に流行ったもの(ドガの場合は「競馬」や「乗馬」)、
あるいは身近に見る市民の生活など……。
(ジョヴァンナ・ベレッリの肖像「ベレッリ家の家族」のための習作)
(綿花取引所の人々「ニューオリンズ」)画面手前にいる人物は叔父のミシェル・ミュソン氏
* * *
(テオドール・ゴビラール夫人「イヴ・モリゾ」 )
この美術展で初めて知ったこと。ドガは女性画家「ベルト・モリゾ」の姉「イヴ」の肖像画を描いていた。
ドガはほとんどが自分のアトリエで絵を描いていたのですが、これは「モリゾ家」の3人姉妹のために
ご両親が自宅の庭に建てたアトリエに通って描かれたものです。
ベルト・モリゾは1841年生まれ。ルノワールと同じ年に生まれています。三人姉妹の三女として、裕福な家庭に育つ。
この時代のこの階級の娘たちの「花嫁修業」の一環として、「美術」もあったということで、特別な出会いではない。
母親は娘たちのさまざまな花嫁修業のためには、よき師を捜す。そのモリゾ家の次女「エドマ」と三女「ベルト」が絵画に強く惹かれ、
才能を開花させましたが、この時代に女性が「画家」となることはとても困難なことで、
美術学校にすら入学できない。個人的に画家に指導を受け、ルーブル美術館で「模写」による勉強などに専念した。
次女エドマは結婚とともに絵画をあきらめたが、三女ベルトはマネの弟子となって画家の道に進んだ。
この女性画家モリゾはマネの弟と結婚している。
しかし、このモデルとなった長女の「イヴ」は絵画には興味がなかったようである。
以上、思いつくままに……。次回は同じ横浜の「そごう美術館」の日本画家「手塚雄二」の展覧会について書きます。