翻訳:北山克彦
レイ・ブラッドベリは、1920年、イリノイ州ウォーキガン生まれ、12歳でアリゾナ州に移るまで、彼はこの中西部の小さな町で過ごしました。このうつくしい田園地帯にも、機械文明の侵蝕が始まった時代でもあります。
晶文社の文芸編集部門が閉じるという情報を知って、なつかしく思い出した本がこの「たんぽぽのお酒」でした。12歳のダグラスと10歳のトムの兄弟の、1928年の一夏の物語です。舞台はイリノイ州グリーン・タウンです。そのなかで特に忘れられないシーンがあります。これは数行と言うよりも「シーン」と言うにふさわしいのです。
彼女(母親)の手が慄えた。
トムはその慄えを感じた・・・・・・なぜだろう?だってお母さんはぼくなんかより大きくて、強くて、もっと利口ではないのか?お母さんもまた、あの不可解な脅威、あの暗闇の模索、あの底にうずくまる悪意を感じているのだろうか?それでは成長することのなかに強さはないのであろうか?おとなになることに慰めは求められないのであろうか?人生に安全な聖域はないのか?真夜中が引っかくように襲ってくるとき、それに耐えうる強い肉体の砦はないのか?
1928年の夏、2人はたくさんの事を体験し、さまざまなことを知りました。テニスシューズを履くと、数倍も早く、軽やかに、疲れることなくどこまでも走れること。市街電車が廃線になること。3人の老人の死、友人との別れ、街中から恐れられている「峡谷」で起こる事件、ナポレオンが蝋で固めてしまったという預言者の女、彼女は運命を司るとのこと。ちょうどいい高さで成長を止め、さらにタンポポやクローバーという雑草(!?)も絶滅させるという芝(勿論、芝刈り機の音やら、その草の匂い、お酒にするタンポポを愛しく思うおじいさんは、それを拒否しましたが・・・)。「幸福マシーン」の発明は、マシーンを出てしまえばもっと現実が悲しいものとなるということ。老夫人は昔は美しい少女だったこと。老紳士の南北戦争の記憶、たくさんのバイソンに出会ったこと。老婦人会「忍冬(すいかずら)婦人会支部」の会長選争い。31歳の記者と98歳のミス・ヘレンとのプラトニックなおだやかな恋の対話(人間の出会いにはいつでも時間が悪戯をする。彼女は死の予感とともに別れを告げる)。お金持ちであることに倦んだジョウナスさんは、町々を馬車でめぐりながら「いらないもの」を引き受け「欲しいもの」と交換する仕事を実行したこと。整理整頓されていないキッチンでおばあちゃんが作ってくれる料理のおいしさ、それはキッチンをきちんと整理し、掃除してからはまずくなったこと。
そして、夏の終わりにダグラスはドクターでもわからない熱病に冒されます。それを救ったのはドクターではなく、トムの願いを聞きいれたジョウナスさんでした。そしてダグラスの回復とともに夏は終わり、文房具店にはたくさんの鉛筆、ノート、クレヨンなどが並びます。また子供たちは学校へ行くのです。
この夏を「たんぽぽのお酒」を作ったおじいさんよりも、たくさんの思い出として記憶するのは少年たちです。金色に輝く「たんぽぽのお酒」の瓶に、それぞれ貼られた日付けをみながら、その日の出来事を思い出せるのも少年たちです。
(1997年・晶文社刊)
ときどき伺わせてください。
壁紙の感じが抜群ですね・・・(^^)
どうやら別室を用意できました。
どうぞよろしくお願いいたします。