ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オーギュスト・ロダンとカミーユ・クローデル

2009-12-09 22:18:48 | Memorandum
 「ロダン・1840~1917年)と「クローデル・1864~1943年」の2人はなんとも哀しい師弟関係であり、男女関係ですね。カミーユ・クローデルの弟(ポール・クローデル)は外交官であり詩人でもありましたが、その彼の優しい詩行が思い出されます。


ぼくには心地よい両手がある
あなたにはわかっているはず


 「カミーユ・クローデル」は子供の頃から彫刻に親しみ、優れた才能を発揮して、さらに美しい女性でした。19歳の時に彫刻家「オーギュスト・ロダン」の弟子となる。その時「ロダン」は41歳。二人は次第に愛し合うようになるが、ロダンには内妻「ローズ」がいたのだった。

 「ロダン」は二人の女性のどちらかを選ぶことはできない。「ローズ」の母性、「カミーユ」の若さと美貌と才能は「ロダン」のミューズのような存在であった。「カミーユ」は「ロダン」の子を堕胎、2人は破綻をむかえ、「ロダン」は妻のもとへ帰っていく。「カミーユ」は徐々に精神が蝕まれ、1913年、48歳の時に家族によってパリ郊外のヴィル・エヴラール精神病院に入れられた。その後第一次世界大戦の影響で南仏のモントヴェルク精神病院に移動させられ、そこが臨終の地になった。家族は冷淡であったとのこと。弟の「ポール」が数年に1度見舞うのみであった。しかし弟も結婚し、任地の上海へ向かった後は姉と会う回数が激減した。78歳没。

 精神を病んだ後、「カミーユ」は多くの作品を破壊しましたが、残された約90点の彫像、スケッチ、絵画は、死後の1951年「ポール」はロダン美術館で彼女の作品の展示を行った。

  *    *     *

 なぜここに「ロダン」を書いたのか?それはやはり「リルケ・1875~1926年」繋がりです。1902年、27歳の「リルケ」は、「ロダン論」執筆のために62歳の「ロダン」を訪ねています。それが1冊の著書となりました。論説、講演、書簡が収録されています。この本の冒頭には、こう書いてありました。


 『名声があがるまえ、ロダンは孤独であった。だが、やってきた名声は、ロダンをいっそう孤独にしただろう。つまり、名声とは、1つの新しい名前のまわりに集まるあらゆる誤解の総括にすぎないからである。
 ロダンをとりまく誤解はおおく、その誤解を解き明かすのは、時間のかかる、辛い仕事にちがいない。だが、そうする必要もないことだ。というのも、誤解は名前のめぐりにあるものであって、作品のめぐりにはないからである。』



 この執筆の時期は「マルテの手記」と重なっています。巨匠「ロダン」と青年詩人「リルケ」との出会いはこうして始まったようです。さらに「リルケ」の妻「クララ」も若い彫刻家でしたね。

オルフォイスへのソネット第一部・26

2009-12-07 01:46:32 | Poem
  



しかし神々しい存在よ、最後にいたるまでも鳴り響く者よ、
しりぞけられたマイナデスの群れに襲われたとき、
彼女らの叫喚に秩序をもって響きまさったうるわしい存在よ、
打ち毀す者たちのさなかから あなたの心高める音楽が立ち昇ったのだ。

あなたの頭と竪琴を打ち毀すことのできる者はいなかった、
いかに騒ぎ 足掻こうとも。 そして彼女らが
あなたの心臓をねらって投げつけた鋭い石はみな
あなたに触れると 柔らいでそして聴く力を授かった。

ついに彼女らはあなたを打ち砕いてしまった、復讐の念にいきりたち。
しかしそれでもあなたの響きは 獅子や岩のなかに、
樹々や鳥たちのなかに留まった。そこでいまなおあなたは歌っている。

おお 失われた神!無限の痕跡よ!
敵意がついにあなたを引き裂いて 偏在させたからこそ、
私たちはいま 聴く者であり、自然のひとつの口なのだ。

 (田口義弘訳)


 このソネットが第一部の最後となる。ふたたびここで、歌う神「オルフォイス」が呼び出される。「オルフォイス」は巫女たち「マイナデス=マイナスの複数」によって殺される状況が書かれています。「マイナデス」とは酒神「ディオニューソス」によって「忘我の境に入り、狂気に浮かされ、蔦、樫、樅の葉の頭飾りをつけ、身には豹その他の動物の皮をまとい、大木を引き抜き、猛獣を殺し、生肉を食らい、あらゆる物事の判断を忘れて狂いまわる」女たちです。

 「オルフォイス」は、この「マイナデス」によって八つ裂きにされるのですが、その「オルフォイス」のすべてが歌い出すのでした。第一部全体の終わりにリルケは「オルフォイス」があらゆる歌の源泉になるに至った出来事をふたたびわたくしたちに思い出させようとしているようです。さらに「第二部・26」においても、とても似た詩行が見られます。


笑いの縁を震わせて。――叫ぶ者たちを秩序に引きいれよ、
歌う神!さわだちつつ 彼らが目覚め、
水流となってあなたの頭と竪琴をになうよう。


  *   *   *


 田口義弘の「註解・補注」のなかに興味深い話が書かれています。妻の「オイリュディケ」を冥府から地上に連れ帰る時に「オルフォイス」が約束させられたことは「ふりかえってはいけない。」というのが通常の筋書きです。しかしグルックスのオペラ「オルフォイスとオイリュディケ」のなかでは、妻は「何故、ふりかえって私の姿を見ようとしないのか?」と執拗にたずねるシーンがあるそうです。これによって劇的緊張が高まる効果を出しているのでしょうか?


《付記》

 第一部の終わったところで、しばらくこのソネットの解釈はお休みいたします。これから年末のさまざまな雑用に突入します。長い間のお目汚しではありましたが、ではまた。。。

オルフォイスへのソネット第一部・25

2009-12-06 02:14:05 | Poem
しかしおまえを 名を知らぬ花のように
私が知っていたおまえを、今この心に
もういちど呼び起こし 彼らに示そう、うばい去られた少女よ、
うち克ちえぬ叫びの美しい遊び友だちよ。

はじめは踊り子、けれどもふとその肢体にためらいをたたえて、
彼女は立ちどまった、その若さが青銅の像に鋳られてゆくかのように、
悲しみそして耳を澄ませつつ――。するとあの力ある高き者らの所から
音楽が落ちてきたのだ、変化した彼女の心のなかに。

病が近づいていた。すでに影たちに領有されて、
血は暗くせきたてられ、しかし疑念をつかのまのことのようにみせ、
みずからの本然の春のなかへ湧きあがった。

たびかさね冥暗と崩落に中断されつつ、
それはこの地上の光に赫いた。ついに恐ろしい連打のあげく、
あの慰めなく開いた門をくぐってゆくときまで。

 (田口義弘訳)


 この「オルフォイスへのソネット」そのものが、「ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる」と副題として明記されてあります。特にこの「第一部・25」は、その少女「ヴェーラ」の思い出のために書かれています。「ヴェーラ」は舞踏を学び、才能ある美しい少女でした。しかし病魔に襲われて「舞踏」をあきらめ、「舞踏」から「音楽」へ、さらに「絵画」へと果敢に生きて・・・・・・しかし19歳で夭逝しました。1説によれば、その病魔とは、リルケと同じく「白血病」だったようです。この病は長く苦しみに満ちたもののようです。

 リルケが「ヴェーラ」に会ったのは、彼女が子供だった頃に数回会っただけの関係で、その後の「ヴェーラ」のいきさつはすべて母親の「ゲルトルート」から送られた手記から知ったことになります。

 「ヴェーラ」が「舞踏」から「音楽」へと移行したということは、彼女は踊ることから聴くことの新しい意味を見出したことになります。「ヴェーラ」に音楽が落ちてきたということですね。誰から?それは「オルフォイス」でせう。

 キリストもそうであったように、「オルフォイス」の死も、ひときわ激しい事件としての死であり、それゆえに今なお生きています。「ヴェーラ」の死もまるでリルケの死の予兆のように訪れたのではないのか?

オルフォイスへのソネット第一部・20

2009-12-03 20:19:44 | Poem
しかし主よ、おお 告げたまえ、何をあなたに捧げよう、
もろもろの存在に聴くことを教えられたあなたに?――
ある春の日の追憶、
ロシアでのあの夕方のこと――1頭の馬・・・・・

向こうの村からその白馬はひとり駆けてきた。
前脚の枷に杭を引きずって
夜をひとり草地で過ごすため。
粗野な杭にその疾駆の勢いをそがれながら、

かれの陽気な躍動の拍子につれて、
縮れたたてがみの波がなんと項を打っていたことか。
駿馬の血の泉がなんと踊躍していたことか!

馬は悠遠を感じていた、そうなのだ!
かれは歌いかつ聴いていた、あなたの伝説の環は
かれの内部で結ばれていた。

             この馬の姿――それを私は捧げよう。


 (田口義弘訳)


 ここに書かれた「ロシア」という土地名でわかるように、リルケが「ルウ・アンドレアス・ザロメ」と共に、春の夕方にヴォルガ河畔の草原にて、この馬を観ていたのです。のちに「ザロメ」への手紙のなかに「ぼくは、あの馬をオルフォイスへの捧げものとした。」と書いています。しかし「ザロメ」の回想録のなかでは「2頭の馬」と記されているのでした。「事実」と「詩」との関係性までが、ここに浮き彫りにされたのです。リルケの「詩」は嘘を書いたのではなくて、1頭の馬に2頭の馬の要素を統一させたということでしょう。

 このソネットは具象的(あるいは写実的)な表現を取り戻しているように思えます。さらにこの白馬は、人間による拘束としての「杭」を前脚に引きずりながらも、自由な存在として疾走しています。

 さらに「オルフォイス」は殺されて身を分たれたのちに、地上のもろもろの存在のなかに「歌」として宿ったのだとすれば、その存在(ここでは白馬)によって、「オルフォイス」の歌が歌われるとき、そこに神話と地上のものたちとの、永遠とも言える繰り返しが続いてゆくのだろうと思えます。

オルフォイスへのソネット第一部・19

2009-12-01 23:12:44 | Poem

世界は雲の姿にも似て
すばやく変化しようとも、
すべての完成された存在は
最古のものに帰属する。

変化と変遷を超え
さらに悠遠に さらに自由に
なおもあなたの始原の歌は生き続ける、
竪琴をもつ神よ。

苦悩は知られていない。
愛は学び取られていない、
そして死において私たちを遠ざけるものは

ヴェールを除かれていない。
ただ平原のうえを流れる歌のみが
聖化し そして賛美する。

 (田口義弘訳)


 人間の内面は取替えのきかないものばかりだ。どのように時代が変化し、文明のみが進化や進歩を遂げたとしても。「愛は学び取られていない」というわけだ。そして美しい音楽や言葉は、必ず「最古のものに帰属する」ということでしょう。リルケの詩のなかにこのような1節があります。


失うというのも私たちのものであり、忘却でさえ
変容における持続の国でなおも形姿をもっているからだ


 このソネット全体が、「変容における持続の国」ではないか?そして「オルフォイス」への賞賛は続くのだった。これはすでに「神」への呼びかけに近い。