阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

日本酒 「桟橋神楽」

2019年05月16日 | お酒の話

 

新潟市江南区木津にある大竹商店が、地域町おこし用に独自のラベルを貼って販売されている清酒です。

「越後木津 桟橋神楽 えちごきつ さんばいしかぐら」。小千谷市にある高の井酒造さんの「特別本醸造」です。

アルコール分 15度。 美味でした。

  

上は木津加茂神社の桟橋神楽の由来文です。 こういう方法で地域を応援するのは、良い方法だと思います。

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瓢湖 今昔物語36(昭和・1950)

2019年05月15日 | 瓢湖

1950年3月10日、やっと ついに、瓢湖に白鳥が飛来しました。白鳥数十羽が飛来し、地元を驚かせました。

白鳥は天然記念物に指定されている。飛来した翌日に、津田林務課長が白鳥優遇策を研究することになった。

 

 

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さよなら 赤谷線 6

2019年05月14日 | 歴史

大正13年8月、全通した羽越線で新発田を素通りする鉄道大臣を地元選出代議士・県議・郡長、町村長らが列車に乗り込み、新発田から新津まで車中陳情した。そして、運動成功。

政府は早い時期に赤谷線を旅客・貨物の営業路線に転換を発表(拍手)。大正14年5月、現地調査が始まり、たった6ケ月で工事が完了。

再び開通。 赤谷~新発田の運賃は23銭。 当時の大人の日当は1円前後。決して安くはないが、歩いて4時間もかかるのを40分で行けるのは夢のようだった。 過疎の村に「期待」が広がった。

※どこの新聞記事か不明だけれど、取材した多くの内容を盛って本にすれば、良い記録誌になるのに・・と思います。

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瓢湖 今昔物語35(昭和・1949)

2019年05月13日 | 瓢湖

昭和24年(1949) 水原観桜会、瓢湖に桜樹を植える。以下、下の文をお読みください。

戦時中、切り倒された瓢湖の桜並木が復活しました。この時代、「瓢湖」といえば「桜」だったんですね。

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虹 2018.11.4-2

2019年05月12日 | ちょっと、いい写真

 虹

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写真集「上高関 六体地蔵の四季66」

2019年05月11日 | 写真集「上高関 六体地蔵の四季」

2019年4月28日 阿賀野市上高関集落の、六体地蔵。

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さよなら 赤谷線 5

2019年05月10日 | 歴史

 大正7年11月に第一次大戦終了。異常ともいえる戦争景気に沸いていた日本は、終戦とともに景気はドン底に落ちた。鉄・銅・鋼材などの価格は一挙に暴落。 官営八幡製鉄所も例外でなく、直轄の赤谷鉱山は操業中止。完成したばかりの赤谷線は不要となった。

今まで陳情してきた地元町村は、「不要」に呆然とした。 放置されたままの鉄道を見て、地元民は「赤さび線」と呼ぶようになった。

しかし、「運命の女神が」。 大正13年7月、羽越線が全通した。そして8月、当時の鉄道大臣が鉄道事情視察のため秋田から羽越線で越後入りすることになった。 時を同じくして、「赤谷運鉱線は無償で鉄道省に移管する」と政府発表が行われた。

「千載一遇の好機」・・再び地元は燃えた。 次回に続きます。

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旦飯野神社 令和・初日(改定版)2019

2019年05月09日 | 史跡など

  「平成」から「令和」になった5月1日、阿賀野市の旦飯野神社へ。この日は「1日参り」にも当たるので混むと思い、午後3時に行きました。けれど、やはり混んでおり臨時駐車場も満車状態。 そこで、先に村杉温泉の共同浴場へ。帰り4時過ぎに寄ると運よく、神社脇の駐車場に入れました。 鳥居横の八重桜は、まだ花が咲いていました(上の写真)

「令和」を祝う国旗が2本、鳥居門に飾られていました。「新しい時代」を感じました。

 鳥居門を潜り、石段へ。ここで、顔見知りの旧京ヶ瀬村の70代の女性と旧水原町の80代の男性とバッタリ会いました。やはり「令和」を記念して参拝に来られたそうです。境内には若い男女二人連れ、女性同士のグループ、家族連れ等々、午後4時過ぎなのに多くの参拝者がいました。

 拝殿。新緑が綺麗です。

 拝殿前の鳥居横には「奉祝 天皇陛下御即位」の垂れ幕がありました。

写真中央は拝殿。両端は「御朱印スタンプ記入所」

拝殿で参拝。拝殿を出ると、旦飯野神社の神主さんと偶然会いました。「令和の時代、おめでとうございます」と挨拶し、別れました。

  旦飯野神社では自分で用意されているスタンプを押し「御朱印」を作成します。ただ、この日は混雑を避けるため、スタンプのほかに神職がスタンプを押して作成されている「御朱印の用紙」も用意されていました。日付は自分で記入しました。私は御朱印帳を持っていないので、神職さんが押された「御朱印」の紙を頂き、日付を筆ペンでその場で書きました。良い記念になりました。

 ←御朱印スタンプを押すテント内。両端に2か所ありました。

 

参拝の帰り、鳥居を振り返り写真を撮影。 上の写真、左上の赤い矢印の先・拡大写真が下にあります。

  「オーブ」が写っていました。オーブも「令和」を祝っていたのでしょう。

※オーブは霊ではありません。肉眼で見えない意思を持った(?)未確認生命体・・と思います。寺や神社、お祭りが好きなようです。夜の方が写りやすく、日中に写るのは珍しいです。雨粒という人もいますが、この日は快晴。雨粒ではありません。旦飯野神社でオーブを撮影したのは今回で3回目。旦飯野神社は、「何か」を持っている神社・・と、感じています。

2020年6月19日追記 祝い事といえば、昭和30年ころまで旦飯野神社の近く(現在の第2駐車場付近?)で、毎年7月15日に奉納競馬を開催していました。近郷の馬主が健康祈願をかねた草競馬を開催しました。大正初期(1912年頃?)から昭和30年(1955年)ころまで続いたけれど。農耕馬もいなくなり今は開催していません。

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旦飯野神社「御田植祭」2018、そして2019予定

2019年05月09日 | イベント・祭り

2018年8月 阿賀野市の旦飯野神社拝殿で撮影。 2018年5月13日 笹神地区の旦飯野神社で五穀豊穣を祈願し御田植祭(おたうえさい)が行われました。2年目だそうです。

神殿で神事の後、宮司と作男・早乙女の男女各11名がご神田まで大唐傘や昇り旗を持ち行列行進。

ご神田で宮司が祝詞奏上。太鼓の音を合図に田植。 今年も開催されるでしょうか。

2019年5月9日追記

 今年2019年の「御田植祭 おたうえさい」は、5月12日(日)開催されます。

午後1時30分より社殿にて「祭典」。 午後2時より宮下(坂の下)田んぼにて「御田植祭」。

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「平成」最後の阿賀野市の人口

2019年05月07日 | 歴史

2019年「平成31年」4月1日の、阿賀野市の人口は42,263人。男20,464人、女21,799人。

(3月)出生17人、死亡55人。転入117人、転出264人。世帯数14,444。

 5月7日 只今、田植真っ盛りです。

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さよなら 赤谷線 4

2019年05月05日 | 歴史

  赤谷線敷設の動きが出たのは、大正6年 大一次大戦で日本全体が空前の好況に沸いていた時。 官営八幡製鉄所は、放置されていた赤谷鉱山の開発を決め、鉱山運鉱線建設を決めた。

翌大正7年6月から測量が始まった。「黙って見過ごす手はない」と当時の新発田町・赤谷村・五十公野村・米倉村・川東村・松浦村の六議会は、この鉄道を旅客・貨物も取り扱うよう猛烈な運動を開始した。

ただ、地元選出代議士・北蒲原郡長・各町村長の上京・請願を繰り返したが、答えはすべて「ノー」だった。

会社や官僚の頭には「鉄」しかなかった。運鉱線は地元の期待を無視し、急ピッチで工事。大正11年12月に赤谷線は完成した。次回に続きます。

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まんまくん 七浦にて 2019

2019年05月04日 | イベント・祭り

阿賀野市七浦で撮影。のどかで、いいなと感じました。

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田植え、始まっていす

2019年05月03日 | 日記

2019年5月3日 笹神地区の田植え。現在GW中、3~4割 田植え?

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5月3日は五頭連峰山開き(改定版)2019

2019年05月02日 | イベント・祭り

2019年5月2日 午前11時30分撮影。 五頭山。

 

2019年5月2日 午前11時50分撮影。沢にまだ雪があります。明日の登山、安全に登ってください。

 

5月9日追記 (5月8日の新潟日報の記事から)5月3日の山開きには、例年並みの約2千人が訪れた。

出湯・村杉登山口には早朝から登山客が。阿賀野市観光協会が用意した記念の手ぬぐいとお守りを受け取り、登山道へ。

雪が残っている場所は、声を掛け合いながら慎重に登ったそうです。五頭山五ノ峰山頂での安全祈願祭では、阿賀野市の旦飯野神社の宮司が祝詞を上げ、観光関係者や登山客が遭難事故防止を誓い合ったそうです。「ごずっちょ」も祈願祭に駆け付けたそうです。

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日本酒、令和

2019年05月01日 | お酒の話

今日から「令和」。菊正宗の 慶祝「令和」大吟醸を買いました。自宅の神だなに供えて飲みました。美味でした。

  5月11日追記

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