1984年(昭和59年)3月。 東赤谷駅と県道をはさんで向かいに赤谷鉱産がある。佐藤取締役総務部長は東赤谷地区の区長も務める。戸数は三戸である。
同社には前身の日鉄鉱業から受け継いだ4棟の社宅がある。「昭和20年代には百戸以上がびっしりと埋まり、入居できない従業員が近郷から通勤していた」と佐藤さんは語る。 赤谷線の盛衰は、鉱山のそれと表裏一体であった。
この時、赤谷鉱山の主力は鉄鉱石でなくタンカル。
前年5月から全面トラック輸送に切り替えていたので「廃線」の影響はゼロだった。 (新聞の誌名、記録無し)