大正13年8月、全通した羽越線で新発田を素通りする鉄道大臣を地元選出代議士・県議・郡長、町村長らが列車に乗り込み、新発田から新津まで車中陳情した。そして、運動成功。
政府は早い時期に赤谷線を旅客・貨物の営業路線に転換を発表(拍手)。大正14年5月、現地調査が始まり、たった6ケ月で工事が完了。
再び開通。 赤谷~新発田の運賃は23銭。 当時の大人の日当は1円前後。決して安くはないが、歩いて4時間もかかるのを40分で行けるのは夢のようだった。 過疎の村に「期待」が広がった。
※どこの新聞記事か不明だけれど、取材した多くの内容を盛って本にすれば、良い記録誌になるのに・・と思います。