エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #死

2019-11-14 07:56:19 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #1人豊か #虹の香り
  マハトマ・まど・みちおさんの言葉からランなどの花は虹の香りがするものがあって...
 

 

 

 聖書の神様が見守っていてくださることの,男泣きするほどの,涙か自然に溢れてくるほどの,計り知れない圧倒的で静かな恵み。

 内的促し。

 さっきのエリクソンと全く同じです。不思議です。

 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。


  生きているのに 死んでいるあなたへ

  マハトマ・まど・みちおさんの言葉 から




  死というのは,

  …

  はかり知れないほど大きな恵み

 

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#肩越し の #省み

2019-11-14 07:32:40 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#聖書の言葉 #1人豊か #虹の香り
  マハトマ・まど・みちおさんの言葉からランなどの花は虹の香りがするものがあって...
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  をご参照ください。  
 
 
 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 
 
 p.112のブランクから。
 今朝は,p.113の,第2パラグラフの3行目から。
 
 
 
 
 
安全基地
 
 人間がこの世に生まれたとき,私どもがオギャーと泣くのは,自分がいまここにいることを知らせるためです。誰かがすぐに,オギャーと泣いた私たちに関わってくれてお風呂に入れてくれて,お包みに入れてくれて、お腹を満たしてくれて,中でも1番なのは,お腹や胸のところに持ち上げて肌と肌で触れ合って抱っこしてもらえることです。私ども人間は,根源的に,関係の中で生きる被造物なんですね。つまり,私どもの暮らしは,人類皆兄弟の中に自分の居場所を見付けるものでしょ。私は,かのフランスの精神科医,ピエール・ジャネ大先生の言葉遣いが大好きでしてね。「全ての人生は芸術作品,手に入る全てをピッタリと合わせて一体にした芸術作品です」
 私どもは成長するにつれて,自分をだんだんと大切にするようになります,身体も心も。ですが,自分を大切にする最初の学びは,お母さんから大切にされた経験からです。自分を生きる術を身に着けるのは,赤ちゃんの頃にお母さんたちとしたやり取りをどれだけ心響かせてもらっていたか,にかかっています。親が慰めと元気の基になるなぁ,と当てになる親がいる子どもたちは,一生,生きやすくなります。運命が手渡すかもしれない最悪なことにも対処する緩衝材みたいになるからです。
 ジョン・ボールビーが気付いたのは,子どもたちは顔と声に引き付けられますし,身体の変化,動きのテンポ,芽生えたばかりの動きに,非常にアンテナが高い,ということでしたね。この生まれながらに感度がいいアンテナこそは,進化の賜物であり,人間の赤ちゃんのように弱い被造物が生き延びるのに欠かせない賜物である,ということでしたね。子どもたちも,大人を1人(あるいは,2人か3人)選ぶようにできているんです。その大人と一緒にいれば,その子が生まれもったコミュニケーショクを創造する働きもまた,育つものですね。自分のコミュニケーショク能力を育ててくれる大人を選ぶことが,赤ちゃんが最初にくっ付く絆になります。そのくっ付いた大人がその子にとって,心響けば響くほど,子どもが人と深くくっ付きますし,自分の周りの人に対して,心豊かに響く関わり方を育てるようになります。
 ボールビーはロンドンのリーゼント・パークによく出掛けて行っては、そこで,子どもとそのお母さんのやり取りを順序良く観察しました。お母さんが公園のベンチで静かに座って,編み物をしたり,新聞を読んだりしているときに,子どもは探検に出かけて,時々肩越しに見返して,お母さんがちゃんと自分を見ていてくれるのかを,確かめます。
 
 
 
 ほんとに,子どもって一緒です。
 これは,エリクソンの言う信頼,ボールビーの言うアタッチメント,お母さんと一心同体にくっ付いている心が育っていない子どもは,大人は,同じように,肩越しに,振り返って、見ていてくれているのかを確かめますからね。
 
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#2番目のウソ

2019-11-14 07:11:31 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #1人豊か #虹の香り
  マハトマ・まど・みちおさんの言葉からランなどの花は虹の香りがするものがあって...
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

  をご参照ください。

 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.340の 第2パラグラフを残して

 今朝は第Ⅱ章,第3パラグラフ,1行目途中から。

 

 

  別の論文で(エリクソン,1964),申し上げてきたことは,人間にとって最も根源的な人品である,「聖書の神様に望みを掛ける希望」は,魂が聖書の神様のいのちに繋がって,「とてもいい」と許されて,確かにされることです。魂が聖書の神様のいのちに繋がって,「とてもいい」と許されて,確かにされることって,赤ちゃんの時に,母親と仲間になって,互いに大切にし合うことから,バラバラにならずに,ピッタリと一心同体になっていることなんですし,同時に,全ての人間にとって,梵我一如の心の習慣(梵我一如の約束)をギフトとして,プレゼントしてくれるものなんですから。「聖書の神様に望みを掛ける希望」が地に足を着け,生活の中で育つのは,赤ちゃんの舞台ですし,敢えて申し上げれば,あらゆる毎日礼拝とあらゆる儀式のおかげで,仲の良い親友関係の中で,育つものです。あらゆる毎日礼拝とあらゆる儀式は,コントロールされ,生きている実感の息の根を絞められて,聖書の神様を信頼する大文字の希望を見失っている習慣に,2人で立ち向かうことですし,聖書の神様のスピリットを魂に打ち込まれていることに気付いて,顔と顔を合わせて,一生涯,互いに大切にし合う光を約束します。それは,(訳注:新約聖書の「コリント人への第一の手紙」第13章12節にあるように)「私どもは,体得底で体験的に理解してもらっている様に,体得底で体験的に理解できるようになります」。

 

 Ⅱ 人間を上下2つに分けるウソ

 

 人間の毎日礼拝から心からの歓びをやり取りする,聖書の神様のまします場を分かち合うために,心の刻んでおかなくてはならないのは,聖書の神様のいのちが一巡しないと,相手をコントロールすることになる,ということなんです。

 動物の習慣は,そのほとんどがその動物の種類に特有の習慣ですが,何時でも強調しなくてはならないのは,人間は,「まがい物の人類」,すなわち,種族や一族郎党などの中で,進展してきたことです(その進展がどのようなものでも,どんな理由でその仲間に入ったかは,ともかく)。その種族や一族郎党は,まるで自分たちだけが神様の意思で創造のはじめに特別に創造されたかのように,振舞うんです。この「まがい物の人類」の振舞いは,自分たちが創造主の御心で,初めから特別に創造されたかのようですし,自分たちがこの世に存在することや,自分たち一族郎党の掟、それに,自分たちの身勝手な神権政治とイメージを、天地創造よりも大切にするかのようです。このように,ひとりびとりの人間は,「聖書の神様と一心同体になる実感とその習慣がバラバラ」になってしまいます。この「聖書の神様と一心同体になる実感とその習慣がバラバラ」になることが,人間が聖書の神様と一心同体に成ることそのものと,勘違いされてしまいますし,その勘違いが,他の「まがい物の人類」と対抗しながら,聖書の神様と人さまとを侮ることによって増長してしまいます。その侮りは,自分たちは特別だという壁を作り出しますし,唯一の「聖書の神様の創造」に預かる人間らしい企てに対して,敵意を持ちます。しかしながら,人が正しいと思っていることとは正反対に,生まれたばかりの新しい人は,どのような「まがい者の人類」にもピッタリと一体になれますから,長い子ども時代に間に,「まがい者の人類」の一味になってしまいます。このまがい者の一味になる,ということが,「毎日礼拝で家族の一員となる」個体発生の中にある厳然とした事実です。

 まがい者の一味になる「人類を2つに分けるウソ」についてお話しすることは,聖書の神様のいのちが一巡するのとは正反対です。しかし,いまここで,私が真正面から相対しているのは,ジグムント・フロイトの本能理論の中にある2番目のウソです。


 
 
 フロイトさんは無意識を「発見した」人ですが,それは,アメリカ大陸を「発見した」人がコロンブスだ,とする「ウソ」に近い。仏教では、唯識が,もう1500年以上前に,無意識を活用してたんですから。
 でも,フロイトさんの理論の2番目のウソって何でしょうね。
 
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#空っぽがお嫌い

2019-11-14 06:38:51 | エリクソンの発達臨床心理
 
#生きている実感が生まれ育つ場 #創造の秘密  #聖書の神様の約束
 聖書の言葉 #1人豊か  #歓びの母  発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→143......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
  
 
identity and the life cycle  『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
 p.104のタイトルから。
 今朝は,p.104最後のパラグラフの,6行目から。
 
 
「1つも傷がないシャローム平和 対 希望を見失うこと と 持ち味が死んでること」
 
 一心同体に成る生き方の中で,森羅万象と全人類を大切にして,(訳注:新約聖書の中でパウロさんが語っているみたいに)生きていることの酸いにも甘いにも,自分をピッタリと合わせて生きてきた人だけが,7つの舞台の果実を次第に育てることができます。その果実に相応しい言葉に,シャローム平和,よりもいい言葉はありません。明確な定義がありませんから,シャローム平和のスピリットの目印を示しておきましょうね。 シャローム平和の目印は,聖書の神様の約束にただただ従って生きるはキリストを(生きている実感に従って思うままに)生きることと,聖書の神様のいのちが一巡して2人を一心同体にする主の道のパートナーになることを,(訳注:驚きと,圧倒的で静かな感激の中で),もろ手を挙げて受け容れることですし,自分にとって大切な人たちを,掛け替えのない仲間であり,聖書の神様のいのちが一巡する,掛け替えのないパートナーでなくてはならないことを,もろ手を挙げて受け容れることです。ですからねぇ,シャローム平和って,生みの親の願いとは真逆の真新しい願いですし,自分は際立った特別な存在でなくてはならないとする願いから自由になり,自分の人生を,聖書の神様の約束にただただ従って,生きるはキリストを(生きている実感に従って思うままに)生きることが聖書の神様の思し召しに応えることだ,という事実を,もろ手を挙げて受け容れることなんです。シャローム平和は,遠い時代の人でも,追い求めていることが違っても,男とも女とも仲良しになる仲間になる心の習慣(仲間になる意志)ですが,その仲間とは,人間らしい誇りと心からの優しさをもたらす聖書の神様の指針と目的と物語を作り出すもんです。様々な生き方全てが繋がっているから,人間のぶつかり合いに意味があることに気が付いたけれども,シャローム平和であるキリストの低き視座に立つことは,生きている実感や仲間の習慣を脅かすものに抗って,自分自身の生き方の誇りを守ってくれます。というのも,2つに分けるウソのない人生とは,唯一の神である聖書の神様のいのちを,唯一の真の賢さの源キリストのスピリットと分け合う恵みであることを,人間は分かっているからなんです。それに,自分にとって,人類すべてのシャローム平和の成否が,自分に割り当てられた唯一のシャローム平和の生き方を日々できてるか,にかかっていることも,体得底で分かっているからなんです。
 それで,自分がシャローム平和の生き方を日々生きる初めは,繰り返し病んで元気になった 度重なる試練を経て体得した英知に基づいています。何がなくても,ここでこそ,教えを説く者も,教え通りに献身する者も,キリストの中で始まった,生きている実感を,自分とキリストが共に居る結界の中で,育てることができます。しかし,私が臨床的に付け足したいことは,このように,ひとりびとりが順序良く育ってシャローム平和に至ることが足りなかったり,ぶち壊しにされていたりすれば,その目印は,希望がない,ということですし,知らず知らずのうちに,自分を空っぽにする無私が怖い,ということです。
 

 生きている実感が漲るのは,シャローム平和。
 シャローム平和の歓びは,マハトマ・まど・みちおさんが言うみたいに,何とも言えない いい感じ なのに、なかなかそれには気づきません。自分を空っぽにしないと,シャローム平和の歓びが満ち溢れてくることがありませんが,エリクソンが指摘する通り,自分を空っぽにするのが,怖いんです。
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#シャローム平和の歓び は #生きるはキリスト になる

2019-11-14 06:02:32 | エリクソンの発達臨床心理
 
#光の約束 と #男女は対等という上等な教え
 #希望の約束 #神の国  #心の習慣の革命 #私の主張   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にして......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

  をご参照ください。


 Insight and Responsibility 『自分の魂にキリストがましますことに気付くと,相手の魂にましますキリストに応えることができますから』のp.157。第2パラグラフ。


 勉強の都合で,こちらを翻訳することにしました。

 今朝は,第2パラグラフの10行目から。

 


 人類を2つに分けるウソの犯されない私が不動になるのは,人類皆兄弟,人類がすべて,聖書の神様のいのちが一巡して2人を強く結びつける絆をやり取りすることが,人の道だ,と,お互いに認め合う時だけです。人が小我の壁を乗り越えることができるチャンスを下さる聖書の神様のいのちは,宗教の如何に関わらず,その人のやり方で,自分のたった1つのいのちは,聖書の神様のいのちの中で一巡する時に,あの創造の道で聖書の神様が約束した最初の約束の上で,聖書の神様のいのちの中で一巡するものです。毎日の暮らしの中にある,聖書の神様からのギフト,シャローム平和の笑い声は,これまで,私ども夫婦は,人間に備わっている根源的なスピリット(勇気,あるいは,気)の表れとして描き出してきたことですが,ひとりびとりが割り当てられている,聖書の神様の創造発達ににとっても,また,ひとりびとりが共に関わり,魂を歓びで満たしてくださるキリストとを褒めたたえることにとっても,あるいはまた,ひとりびとりが当てにしている,母親とのあの絆と聖書の神様とのあの絆にとっても,欠かせませんね、そ毎日シャローム平和を歓ぶ歓びは,ひとりびとりが,自分が発達することに向かって,生きるはキリストの道を真っ直ぐにすることからです。

 

 

シャローム平和の歓び。


 それは,生きるはキリストの歓びです。

 笑う門には福来る、です。

 

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