エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #創造

2019-11-08 09:04:44 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #1人豊か #自然を生きて
  マハトマ・まど・みちおさんの言葉からまぶしいしぜんよ!...
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。


  生きているのに 死んでいるあなたへ

  マハトマ・まど・みちおさんの言葉 から




  りんごを ひとつ

  ここに おくと

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#進化の賜物 と #賜物を台無しにする忖度遠慮

2019-11-08 08:56:46 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#ウソとゴマカシ よりも  #陽気で楽しい関わり合い が #ご大切
 #心が響きあわないことに気付かない母親 #残念な日本   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にし......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  をご参照ください。  
 
 
 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 
 
 p.112のブランクから。
 今朝は,第4パラグラフから。
 
 
 
 
 
安全基地
 
 人間がこの世に生まれたとき,私どもがオギャーと泣くのは,自分がいまここにいることを知らせるためです。誰かがすぐに,オギャーと泣いた私たちに関わってくれてお風呂に入れてくれて,お包みに入れてくれて、お腹を満たしてくれて,中でも1番なのは,お腹や胸のところに持ち上げて肌と肌で触れ合って抱っこしてもらえることです。私ども人間は,根源的に,関係の中で生きる被造物なんですね。つまり,私どもの暮らしは,人類皆兄弟の中に自分の居場所を見付けるものでしょ。私は,かのフランスの精神科医,ピエール・ジャネ大先生の言葉遣いが大好きでしてね。「全ての人生は芸術作品,手に入る全てをピッタリと合わせて一体にした芸術作品です」
 私どもは成長するにつれて,自分をだんだんと大切にするようになります,身体も心も。ですが,自分を大切にする最初の学びは,お母さんから大切にされた経験からです。自分を生きる術を身に着けるのは,赤ちゃんの頃にお母さんたちとしたやり取りをどれだけ心響かせてもらっていたか,にかかっています。親が慰めと元気の基になるなぁ,と当てになる親がいる子どもたちは,一生,生きやすくなります。運命が手渡すかもしれない最悪なことにも対処する緩衝材みたいになるからです。
 ジョン・ボールビーが気付いたのは,子どもたちは顔と声に引き付けられますし,身体に変化,動きのテンポ,芽生えたばかりに動きに,非常にアンテナが高い,ということでしたね。この生まれながらに感度がいいアンテナこそは,進化の賜物であり,人間の赤ちゃんのように弱い被造物が生き延びるのに欠かせない賜物である,とボールビーは見なしたんでしたね。
 
 
 
 臨床をすればするほど,感心するほど子どものアンテナが高い,と実感できます。
 大人になる過程で、生きている実感よりも,忖度遠慮と、「まがい物」を大事にするようになると,このアンテナが台無しになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#無心の初め

2019-11-08 08:44:43 | エリクソンの発達臨床心理
 
#ウソとゴマカシ よりも  #陽気で楽しい関わり合い が #ご大切
 #心が響きあわないことに気付かない母親 #残念な日本   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にし......
 

 

 「発達トラウマ障害 Enpedia」

  をご参照ください。


 


 Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から,p.42の第2パラグラフから。

 今朝は,p.43の第2パラグラフから。


 

 


 プラトンが教えている「跳び上がるほどの心からの歓び」については,後ほど申し上げることがあります。聖書の神様がまします今,もう一度,無心になって子どもを大切にすることに心からの歓びが母親に満ち溢れるシャローム平和が,子どもも母親も共に創造して発達させくれること(私ども夫婦が始めた遊び療法)と,そのシャローム平和(遊び療法)が魂に刻み付ける一番の人品に立ち返りましょうね。遊びと呼ばれる,遊びに見える,遊びのように感じる,相手にピッタリと息を合わせる生き方の光から,私ども夫婦が照らし出したことが示しているのは,人間らしい気高い力です。 その人間らしい気高い力とは,人間が,子どもの頃に想像力を働かせて夢中になって育つ世界の中で,聖書の神様のいのちを一巡させて,発達させることに根差している力ですが,聖書の神様を信頼する仲間になる信頼が封印されているものを使って,結界の中で心に浮かんだ聖書の神様の舞台の啓示を,繰り返し受け容れる力です。私どもが確かにされるときに、聖書の神様の舞台が私どもの魂に打ち込まれる(訳注:正確には,「打ち込まれていることに気付く」とすべきです。なぜなら,気付くと気付かないとにかかわらず,尊厳はすでに打ち込まれているからです。)のは,相手の魂に心響かせることができる大人が,聖書の神様に祈り求めているからです。ですからねぇ、必ずしも,自ら望んでした星周りではありません。聖書の神様がまします結界の中では,私ども人間は,聖書の神様のいのちが一巡する(ように,後ほどなる)器になりますから,いまここが,いつどこででも,毎日礼拝が生まれる場になります。ところが,人々が,なるほど本当だなぁ,と信頼するようになるのは,聖書の神様のいのちが一巡する場で,2人が共に創造発達することって,誠実に相手を自分のように大切にすることに夢中になって,晴れ晴れと歓ぶ毎日礼拝の元があって初めて,形の上でも中身の上でも,その創造発達が,驚きと感激,という最高の恵みになる,ということです。おもちゃの舞台に当てはめてきた,大切な善い意味は,真新しいチャンスに挑戦する勇気を示している,ということです。聖書の神様がまします場では,スピリットと身体とが,確実に大切にし合うように(訳注:イエスのスピリットが受肉すれば)なればいいのになぁ,あるいは,何年にもわたって訓練して,キリストに従って,自分を引っ張り上げることから仲間がギフトをもらえることに,挑戦する勇気です。

 陽気で楽しいことが進むところではいつでも,遊びの偉大な理論家、ホイジンガが見事な要約の中に入れた,遊び場の視座があります。「あらゆる遊びは,あらかじめ区切られた結界の内側で動き,育ちます」と。


 

  遊びは,無心の初めです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#バラバラの初め

2019-11-08 07:47:54 | エリクソンの発達臨床心理
 
#古老の賢慮 と #大いなる大らかな恵み
 #寝つきが良くても心配性? #初期の脳研究   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

  をご参照ください。

 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.340の 第2パラグラフを残して

 今朝は第Ⅱ章,第2パラグラフの6行目から。

 

 

  別の論文で(エリクソン,1964),申し上げてきたことは,人間にとって最も根源的な人品である,「聖書の神様に望みを掛ける希望」は,魂が聖書の神様のいのちに繋がって,「とてもいい」と許されて,確かにされることです。魂が聖書の神様のいのちに繋がって,「とてもいい」と許されて,確かにされることって,赤ちゃんの時に,母親と仲間になって,互いに大切にし合うことから,バラバラにならずに,ピッタリと一心同体になっていることなんですし,同時に,全ての人間にとって,梵我一如の心の習慣(梵我一如の約束)をギフトとして,プレゼントしてくれるものなんですから。「聖書の神様に望みを掛ける希望」が地に足を着け,生活の中で育つのは,赤ちゃんの舞台ですし,敢えて申し上げれば,あらゆる毎日礼拝とあらゆる儀式のおかげで,仲の良い親友関係の中で,育つものです。あらゆる毎日礼拝とあらゆる儀式は,コントロールされ,生きている実感の息の根を絞められて,聖書の神様を信頼する大文字の希望を見失っている習慣に,2人で立ち向かうことですし,聖書の神様のスピリットを魂に打ち込まれていることに気付いて,顔と顔を合わせて,一生涯,互いに大切にし合う光を約束します。それは,(訳注:新約聖書の「コリント人への第一の手紙」第13章12節にあるように)「私どもは,体得底で体験的に理解してもらっている様に,体得底で体験的に理解できるようになります」。

 

 Ⅱ 人間を上下2つに分けるウソ

 

 人間の毎日礼拝から心からの歓びをやり取りする,聖書の神様のまします場を分かち合うために,心の刻んでおかなくてはならないのは,聖書の神様のいのちが一巡しないと,相手をコントロールすることになる,ということなんです。

 動物の習慣は,そのほとんどがその動物の種類に特有の習慣ですが,何時でも強調しなくてはならないのは,人間は,「まがい物の人類」,すなわち,種族や一族郎党などの中で,進展してきたことです(その進展がどのようなものでも,どんな理由でその仲間に入ったかは,ともかく)。その種族や一族郎党は,まるで自分たちだけが神様の意思で創造のはじめに特別に創造されたかのように,振舞うんです。この「まがい物の人類」の振舞いは,自分たちが創造主の御心で,初めから特別に創造されたかのようですし,自分たちがこの世に存在することや,自分たち一族郎党の掟、それに,自分たちの身勝手な神権政治とイメージを、天地創造よりも大切にするかのようです。このように,ひとりびとりの人間は,「聖書の神様と一心同体になる実感とその習慣がバラバラ」になってしまいます。

 

 

 聖書の神様と一心同体になることが,シャローム平和,自由,平等の根源です。

 しかし,聖書の神様の創造よりも,組織と組織の習慣,掟を人は大事にする時,聖書の神様と一心同体に成る実感とその習慣が,バラバラになってしまいます。

 見れば分かります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#あの歓び。  #ウソのない人生の恵み

2019-11-08 05:57:29 | エリクソンの発達臨床心理

 
#エディプスコンプレックス #鋭い神話的英知 #敵 が #仲間になる
 #純粋自己 #空なる神   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換......
 
  
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
  
 
identity and the life cycle  『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
 p.104のタイトルから。
 今朝は,タイトルの後の18行目から。
 
 
「1つも傷がないシャローム平和 対 希望を見失うこと と 持ち味が死んでること」
 
 一心同体に成る生き方の中で,森羅万象と全人類を大切にして,(訳注:新約聖書の中でパウロさんが語っているみたいに)生きていることの酸いにも甘いにも,自分をピッタリと合わせて生きてきた人だけが,7つの舞台の果実を次第に育てることができます。その果実に相応しい言葉に,シャローム平和,よりもいい言葉はありません。明確な定義がありませんから,シャローム平和のスピリットの目印を示しておきましょうね。 シャローム平和の目印は,聖書の神様の約束にただただ従って生きるはキリストを(生きている実感に従って思うままに)生きることと,聖書の神様のいのちが一巡して2人を一心同体にする主の道のパートナーになることを,(訳注:驚きと,圧倒的で静かな感激の中で),もろ手を挙げて受け容れることですし,自分にとって大切な人たちを,掛け替えのない仲間であり,聖書の神様のいのちが一巡する,掛け替えのないパートナーでなくてはならないことを,もろ手を挙げて受け容れることです。ですからねぇ,シャローム平和って,生みの親の願いとは真逆の真新しい願いですし,自分は際立った特別な存在でなくてはならないとする願いから自由になり,自分の人生を,聖書の神様の約束にただただ従って,生きるはキリストを(生きている実感に従って思うままに)生きることが聖書の神様の思し召しに応えることだ,という事実を,もろ手を挙げて受け容れることなんです。シャローム平和は,遠い時代の人でも,追い求めていることが違っても,男とも女とも仲良しになる仲間になる心の習慣(仲間になる意志)ですが,その仲間とは,人間らしい誇りと心からの優しさをもたらす聖書の神様の指針と目的と物語を作り出すもんです。様々な生き方全てが繋がっているから,人間のぶつかり合いに意味があることに気が付いたけれども,シャローム平和であるキリストの低き視座に立つことは,生きている実感や仲間の習慣を脅かすものに抗って,自分自身の生き方の誇りを守ってくれます。というのも,2つに分けるウソのない人生とは,唯一の神である聖書の神様のいのちを,唯一の真の賢さの源キリストのスピリットと分け合う恵みであることを,人間は分かっているからなんです。


 キリストは目には見えず,隠されています。
 しかし、その隠されているキリストのスピリットだけが,心から優しい聖書の神様のいのちが一巡する道になります。
 その道に気付かされたものの,圧倒的で静かな,あの歓び。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする