#光の声 と #加藤周一さん
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Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
今朝からは,第4節「毎日礼拝の復権」の途中,P.116の第3パラグラフから。
毎日礼拝があまり役に立たないなどという様々な疑問全てに関して,1つだけ言わせてくださいね。私が申し上げたいことは,かつてないほど全人類を巻き込み,とても危ういバクチにもなるかもしれい見通しのない中で,今日の工業化した文明が試みている様々な生き方を探し出すこと,すなわち,人間の赤ちゃんの時期を,大人同士の関係の在り方と共に,毎日礼拝に改めてすることです。
鋭いですね。西村秀夫先生が,欧米を回ってきて,多くの若者が「人生の無意味 meaninglessness」を嘆いている事に心を痛めて帰国されたのが,1970年代は前半だったと聞いています。次男の泰さんが亡くなる前ですから、1970年か1971年でしょう。ちょうど、エリクソンのこの本がでた1970年と重なる時期です。
人間が機械の部品みたいに,工業化社会が進展し,いのちの全体性を発揮することが困難になった時代です。洋の東西を問わず,工業化社会では,「人生の無意味」が「時代の課題」になっていた頃でしょう。
その後の西村先生は,札幌の小山内美智子さんらと出会い,「札幌イチゴ会」の運動を展開する中が「生きる手応え」を見出すに至ります。
エリクソンは,赤ちゃんの頃を礼拝にする時,「キリストの恵みのお陰で生かされている人生が気高い歓びを滲み出す」ことを「発見」したのでした。
貴方はどうしますか?
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