ルターは、村八分のなる日の朝も、泰然自若としていました。確信があったからです。
Young Man Luther 『青年ルター』p200の第2パラグラフから。
ルターの一連の講義は、1週間に一度でしたが、2年コースに及びました。ルターは熱心な素人になるよりも、大学教授の仕事を選びました。ルターは自分の心の変化を注意深く記録し、編集上の忠実さを追求した時にのみ発見できる言葉によって、洞察を説明しました。「私はまだ十分にこれを理解している訳じゃぁない」とルターは聴衆に言いました。あるいは、「私が今日話したようには話したことはありませんでした」と。「私どもは書いたり読んだりする時には、いっそう上達するようにならなくてはなりません」と聴衆に言いました。
ルターは非常に熱心に、そして、誠実に仕事をしたんですね。しかもプロとしての仕事を目指しました。責任を感じていたからでしょう。ですから、使う言葉にも注意深く、ことばを慎重に選んだはずです。思い付きでポンポンいったり、ちょっと知っているだけのことを言って見るような、軽薄短小の大学(院)教授連と、比べ物になりませんでした。
これは、昔話ではありません。現在進行形の事実ですね。
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