激烈に見えるルター、実は控えめでしたね。
Young Man Luther 『青年ルター』p200の第1パラグラフ下から5行目途中から。
ルターが自分の深い後悔について、聖書の話の中で論じた時、ルターは次のように告白しただけでした、「私は、この≪本当の自分≫に達しました、などとはとても言えるものではありません」と。でもね、この日は、ヴォルムスで、神聖ローマ帝国皇帝に面会する日でしたが、今から歴史的な集会に参加するために出発するところだとは、一言も言いませんでした。
ルターは動揺していたから、聖書の話の中で、自分の後悔に触れて、ヴォルムスには触れなかったのでしょうか? いえいえ、真逆ですね。真実な≪真の関係≫の中では、自分がいかにチッポケな存在なのかを、いやと言うほど知らされます。ですから、「≪本当の自分≫に達しました」などとは、ゆめゆめ言えない。
ですけれども、その≪真の関係≫のなかで、そのチッポケな自分でも、価値を認めてくださる方と出会えるので、ことばにできない悦びがありますでしょ。ですから、普通なら非常な困難が予想できるところでも、善い見通しを心描いて、泰然自若としていたわけですね。
こうして、自分が破門される朝、日本的に言えば、自分が村八分にあう朝に、ルターは静かな朝を迎えていたのでした。
これは昔話ではありません、現在進行形のことです。
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