矢内原忠雄先生の晩年の小論の「子供について」があります。私が西村秀夫先生の「聖書を学ぶ会」に参加を許されて間もなく、そのコピーをいただいて、当時繰り返し読んだ覚えがあります。『矢内原忠雄全集』の何巻にあるのか、今日現在ではまだわかりません。
先日「子ども」(2014-10-11 )の詩を書きましたでしょ。それに、エリクソンが「放蕩息子」の譬えでしょ。西村先生からいただいた、矢内原先生の「子供について」を思い出したんですね。この文書で矢内原先生は、知的障害だとか身体障碍だとかのある子どもの世話を、唯物論や功利主義の立場から言えば、意味がないけれども、その世話をすることが実際に、家庭の中心になっている例を挙げてますでしょ。それで、その世話をすることが「人間というものの意味」や「社会というものの意味」を考える時に重要だ、という訳ですね。傾聴したいところでしょ。
ここに先日の「子ども」の詩では、疑問文になっていたことと答えが隠されていると私は考えます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます