何にもまして、自分に忠実なことが大事。
p109の第2パラグラフ。
どんな技術を身に着けるのに必要なことは何かを、ずいぶんと議論してきました。これからは、人を大事にする技術にとってことさら重要な技術の性質について、論じることにしましょう。人を大事にする性質についてお話をしたことに従えば、人を大事にする中心になる条件は、「自己愛を止めにする」ことです。自己愛にオリエンテーションされてると、自分自身の中に経験がある時だけ、経験が本物だと感じる。しかし、世の中のことは、自分自身の中にリアリティがあるはずがありませんでしょ。ただ、自分にとって役立つことなのか、それとも、危険なことなのか、という視点から経験されるだけになっちゃう。自己愛の反対は、客観性。客観性とは、人や物事をありのままに、客観的に見る力のことです。また、客観的な絵を、自分が望んだ絵や、怖がったりした絵と区別することなんですね。
客観性が、人を大事にすることと結びつけるのは、なんか意外な感じがしませんか? 人を大事にすることは「主観的」だと勘違いしているからそう思うんですね。
この議論をきいて、先日の鈴木範久先生の番組「内村鑑三の面影をたずねて」(10月5日(日)5:00~教育テレビ)を思います。内村鑑三の主著『羅馬書の研究』が最後に紹介されました。そこで鈴木先生が紹介して下さったのは、その48講です。そのタイトルは「基督教道徳の第一」です。普通キリスト教といったら、その第一の徳目に「愛」がきますでしょ。内村は「基督教道徳と云えばすなわち『愛』とと人は云う。(中略)しかし、パウロが為す所は少しく普通の信者とは違う」と言っています(旧全集 第六巻, p504)。でもそれは第2であって、第1じゃぁない。第一に来るのは「謙遜」。今日のフロムの言葉て言えば、客観性です。自分の能力をありのままに評価することで、日本人が良く言う謙遜のように「自己卑下」のことでは、全くない。むしろ客観性。それが大事だというところが、実に愉快なところです。
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