私の定義を申し上げたいと思います。何の定義か? と言いますとね、超一流のインテリです。私の定義ですと、「外国語を3つ以上自由に話せて、自由に読める人」ですね。その定義に適う人は、私はすぐに思い出す人は、3人しかいません。3人しか知らないのは、もちろん、私がインテリの事情に疎いからでしょう。
その3人とは、1人は会ったことがある人、もう一人は会ったことはないけれども、再読する書物の著者、もう一人は、会ったこともなければ、その著書を読んだこともない人です。順番に申し上げれば、鴨さんこと、早稲田大学政治経済学部教授、東京大学法学部教授、鴨武彦先生、加藤周一さん、それから、語学の天才、野口英世です。あぁ、そういえば、政経の先輩で、早稲田文学部教授だった、文化人類学者の西江雅之先生も、語学の天才ですから、3カ国語じゃきかない言葉を手繰れる人でしたね。
その加藤周一さんが亡くなって、もうまる7年、8年目に入るんですね。亡くなったのが、2008年12月です。その4か月前、8月のインタヴューで、加藤周一さんは、パリの5月革命の標語、シャンジェ Changer la vie 「生き方を変えよう」について語っています(岩波現代文庫『私にとっての20世紀 付 最後のメッセージ』)。
このインタヴューの中で、いくつも着目すべき指摘を加藤周一さんはしています。そのいつくかを紹介して、皆様の考えを深めることにお役に立てればと考えます。
1つは歴史認識ですね、加藤さんはこういいます。
「明治維新以来の日本は、ずっと非人格化、非個人化、間化と言う代価を払って、経済的発展や軍事的な力を持つようになったのです。」
アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが、わがまま勝ってをやり出して、いっそう非人格化、非個人化、間化が進んでいる今、私どもはどこに希望を見出せばいいのでしょうか?
「なんとか人間らしさを世界の中に再生させることを意識しなければならない。…何が相手なのか、敵なのかを理解することが大事。」
ハッキリした敵は、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちです。しかし、問われていることが「生き方を変えよう」だとすれば、敵を見ながら、わが身を振り返り続けて、人間らしいヴィジョン、を心描いていることも必要ですね。
私は、そのヴィジョンには、平等、フェアが入ると考えます。
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