教育は独立のためにあるのか?
鈴木範久先生によれば、内村鑑三が好きだった言葉の一つは「単独之幸福」であったと言いますね。内村らが札幌で作った教会は、「札幌独立基督教会」でした。教育においても、内村は「独立」を大事にしたと言います。現在の西新宿、角筈にあった「女子独立学校」は内村が直接かかわった最後の学校だそうですが、その目的は「自給独立の精神を具えたる平民女子の養成」だと言います。内村のとって、独立は非常に重要な人格的な特性でした。当時の内村にとっては、国からも宣教師からも独立していることが、ひときわ重要だったと言えるでしょう。「独立」は本物の教育をする上でも重要だと内村は考えていたとみて、間違いないでしょう。
今の日本の教育はどうでしょうか? 内村の弟子の1人、鈴木弼美先生が創設し、西村秀夫先生も関わった、山形県小国叶水の基督教独立学園のような実践や、金森俊朗さんのような実践もありますから、一概には言えないのかもしれませんね。でも、私が直接間接に関わった、公教育を素材に考えてみたいと思います。
子どもに対する態度を見ると、いろんな態度があるように見えます。しかし、教師が子どもに「正しい」ことを押し付けている場合が多いと感じます。それは以前にもこのコラムに書きましたね。子どもは「正しい」ことは大体知っています。それは科学的に正しいこと、というのではなくて、「人として正しいこと」はたいてい知っています。それはアンパンマンのように哲学的テーマを大事にしているアニメが、0, 1, 2才の子どもに人気があることからも、想像できますね。
子どもが求めているのは、「自分は価値がある」ということです。そして、それは「人格的独立」を基礎づけるものでしょ。でもね、「正しいこと」を押し付けられると、子どもはどう感じるでしょうか? 「正しい」ことを押し付けられると、子どもたちは緊張してます。不安に感じます。逆に≪陽気で楽しい≫感じに大人がしてると、俄然子どもはくつろぎます。楽しそうにしますね。それは≪陽気で楽しい≫と、子どもは「自分は価値がある」と感じるやすいからなんですね。
このように、日本の公教育は、概ね、子どもに対して次のようにメッセージしていると言えるでしょう。「あんたは自分一人で立つほど価値がない」。「長いものには巻かれて生きなさい」。
この間違ったメーセージは、訂正していくことが、今の公教育で何よりも大事ですね。
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