今晩は「主権」を考えます。でも、なるべく日常生活と結び付けて、ご一緒に考えたいと思います。
主権在民は、基本的人権の尊重と平和主義と共に、日本国憲法の3つの特色です。小学生でも、習うところでしょう(6年生で習うそうです)。
じゃぁ、「主権」って何のこと?
それについては、日本国憲法の前文に詳しいそうですね。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」(日本国憲法前文1項)
これを読むと、日本国憲法を制定したのは、私ども日本国民だということが分かります。そして、大事な主権は、
1)日本国民の代表者を選ぶこと
2)われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果を確保すること
3)わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保すること
4)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること
5)国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来することから、国政を代表者がそのように運営しているかをチェックし、それが叶わない場合(アベシンちゃんと悪魔の仲間たちのような、信託に応えない身勝手がある場合)は、抗議を、デモ、街頭演説、ビラ、手紙、メール、電話その他の手段で、表意、伝達すること
6)福利は国民がこれを享受すること
であることが、おおよそ分かります。
特に、「6)福利は国民がこれを享受すること」が不十分である場合も、5)の信託に国政が応えていないことになりますから、同様な抗議の声を挙げるとともに、福利が実現するためのあらゆる手段を講じることが大事になりますね。
たとえば、今日の子どもから高齢者までの貧困の根源的な原因は、国政の労働政策の貧困、中でも、非正規雇用という労働形態が、低賃金をもらたし、基本的人権を侵害し、福利を国民が享受する、根源的な障害になっていることです。いまや、その労働形態が、全労働者の4割になる状態です。国政が、国民の厳粛な信託をどれだけ裏切っているかが、この事実1つからでも、ハッキリ分かると、私は考えます。
もう1つ、「主権」は、もともとフランス語で souveraineté スヴィオレンティ、「最高権」、「最高の地位」という意味があるそうです。デンマークのオーデンセ市を訪れて、当地の福祉制度や行政制度についてお話を伺ったことがあります。担当の20台と思しき青年、オーデンセ市の職員は、当時私も20代でしたが、オーデンセ市民を「一番上」に、行政担当別に4〜5人いる市長を一番下にした概念図を示してくれました。この時の感動を忘れることはできませんね。「主権」とは「一番上」なのですから、概念図もオーデンセ市民が「一番上」になっています。「言ってること」と「やってること」が一致してますでしょ。
それに引き換え、日本では、市民を「一番下」に位置付ける概念図があるばかりではなくて、その市民を相手にしている「現場」を「一番下」のように言うことが、残念ながら普通になってますでしょ。それが「お役所仕事」の、最も根源的な、考え違いの源になってますよね。そんな考えだから、形ばかりの、アリバイ作り(「〇〇という福利をやってない訳ではない」というような)の「お役所仕事」が出来るんだと私は考えます。そういう発言や行動を見るたびに、私はオーデンセ市で体験した、あの感動を思い出す訳ですね。そして、その当人も一市民(シチズン 別に時計メーカーのことではありませんよ。主権者たる市民 の意味です)であることを忘れて、「一番上」の「市民」を「一番下」のように言い、また、行動する、その人の「大間違い」を考える訳です。
私どもは、主権をこのように考えて、主権者として、日々を、「最高の」日々を過ごしたいものですね。
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