歩くことは、人生を歩くことに繋がっている不思議。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p43冒頭から。
子どもの中に湧き上がってくる内側からの力は、それぞれの文化的な「外側の世界」と関係するはずですし、関係を保ちつづけるはずですが、この子どもの心に湧いてくる力に関して、精神分析が強調してきたのは、「子どもの頃に」両親が子どもに対して「ダメでしょ」等と禁止することや、「こうしなさい」等と指図することは、子どもの心の中に取り込まれて、「超自我」の一部になっちゃう、ということなんですね。すなわち、この手の超自我は、内側に取り込まれてしまって、心から湧いてくる、本当の自分自身の声にも勝る声なんですよね。こうやって、「心」ができちゃうんですね。あるいはね、自我「理想」となって、ありもしない、着飾った自分を、恐る恐る、あるいは、自慢げに 見上げることになっちゃうんです。そして、大人に近づくにつれて、良い指導者やら「偉大な」リーダー達やらを見つけ出し、信用するようになっちゃうんですね。
エリクソンは、表面上、この部分をニュートラルに描いてはいます。しかし、私はここを、善くない方に傾くものとして、翻訳しました。「ダメでしょ」と言う禁止と「こうしなさい」と言う指図(命令)を前面にエリクソンが出しているからです。禁止と命令(指図)が多い場合にできる「良心」と言ったら、「悪い良心」(他罰的で自罰的な良心)と相場が決まってますしね。これは、あらゆる心の病、社会病理、アベシンちゃんのような「偉大な」おバカ宰相が人気が出来る背景になるので、「厳重注意!」なんですね。
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