アインシュタインも、コペルニクスやダーウィン、そして、フロイトと同様に、新しい見方を提示したが故に、ひどく非難されたのですね。それは、人々が、その専門家の見方を理論的に理解する力がなく、新しい見方に対して「ぼんやりとしたイメージ」しか持ちにくいからなのでしょうか?あるいはまた、「ぼんやりしたイメージ」しか持てないが故に、平安を乱されるからなのでしょうか?
それにしても、アインシュタインがそんな非難の中にあっても、平安と落ち着きのある顔をしていたのが、不思議ですね。
コペルニクスに関する1つの言葉、「めまいがする」という言葉。フロイトに倣えば、コペルニクスの太陽中心の世界に対する見方は、避けがたい科学的証拠を突きつけられて、「自分たち人間の住む地球は、一番身近なこの世の場でさえ、中心ではありません」と禁欲的に自ら告白することである、と、私どもは、これまでずーと見なしがちでした。この解釈が指摘していると感じられることは、自我が本質的に、この世の中を見る際に、一定程度の中心的な場を取る必要がある、ということです。しかしながら、コペルニクスは、自分の新しい理論を、(この世の中に対する)禁欲的な見方において、発展されたのでした。この見方をすれば、この見捨てられた地球に対して、少なくとも「心地よい」場を、新しい、しかも、決して禁欲的ではない、この世に対するイメージにおいて、もたらしてくれました。コペルニクスの著書『天球の回転について』の中で、彼が太陽に割り当てたのは「すべての物の中心のある王冠」でしたが、そこから「太陽は、あらゆるものに対して、同時に光を投げかけます」。古代の思想家に従って、彼は太陽には、神の体の性質があると見做しました。この神の性質は、目に見えるばかりではなく、また、「すべてを見通す」こともできましたから、宇宙のことを考える力と、宇宙を操縦する力がありました。それで、彼が発展されたヴィジョンは、(精神分析でしたら、このヴィジョンは、崇高な「最初の光景」と呼んでいいかもしれません)、地球と太陽と月の基本的なやり取りに関するものでした。そのやり取りのおかげで、地球は、1年に1度、新しい命で満たされるのでした。聖職者たちは、もちろん、コペルニクスが宇宙を論じる自由を、正しく評価することができませんでした。たとえば、ルターは、コペルニクスの見方を、反聖書的と、激しく非難しました。ヨシュアが太陽に対して「じっとしていなさい」と命じたではないのか? この聖書の記述は太陽が現に動いていたことを証明しないのか? しかし、コペルニクスのヴィジョンによって、私どもが思い出すのは、アインシュタインが「偉大な科学者の根っこにある気持ちは、『礼拝する人の気持ちに似ていますし、恋する人の気持ちに似ています』」と主張していることです。さしあたって、もちろん、必要不可欠であるのは、コペルニクスの中心的な命題は、預言のように広がり、新たにリアルに感じることに対する見方に対して、(証明可能な)事実である宇宙の状況をもたらした、ということです。しかしながら、彼はこうしながら、新しいこの世の秩序のために、圧倒的な歓びの要素と、見て見られる要素を主張しました。これらの要素は、私どもが、希望の感じにとって根源的であると仮定していることですが、彼がこう主張したのは、まさに、人間が、この宇宙の中で、実際に「めまいがする」と感じる、大きな危機のある時代だったのです。
コペルニクスが、太陽中心説(地動説)を発表したのは、人々が「めまいがする」と感じていた時代だった、というのは、不思議ではないでしょうか?コペルニクスの生きた時代は16世紀前半、ルターと同時代です。2人は10歳違いです。つまり、コペルニクスが生きた時代は、宗教改革の時代でした。それは、西洋にとって、激動の時代でしたから、人々が「めまいがする」と感じても、不思議ではない時代でした。そこでは、価値体系が激変したわけですから、日本が第2次世界大戦に敗れて、戦後に価値体系が激変したことに比べても、勝るとも劣らない時代だったと考えられるわけです。そこで、価値体系そのものではないけれども、証明可能な事実に基づく、宇宙に対する見方も新しくなったことは、偶然の一致なのでしょうか? しかも、この新しい見方に対して、コペルニクスが「圧倒的な歓び」と「見て見られる」ことを感じていたことは、実に不思議だと強く感じないわけがありませんね。
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