反抗的人間 Noとハッキリ言う≪市民的勇気≫先日このブログでご紹介しました、岡田尊司さんの『子どもが自立できる教育』の一節。「ヨーロッパの教育でとても重視されるもので、日本では軽んじられているものとして...
ジェームズとその兄弟の命の危険に対して、ブルース・ペリー教授らの対応は、断固としていると同時に、迅速でしたね。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.209、真ん中あたりから。
ジェームズのケースのおかげで、児童精神医学のおける重要な葛藤の1つの核心に私は正面から向き合うことが出来ました。その重要な葛藤の1つの核心とは、患者がその子どもであっても、その子どもは自分自身のケアや治療についての一番大事な決定をする立場ではないし、そのケースについての最初の情報提供者ですらない場合も多い、ということです。母親のマーレによれば、ジェームズは病気だと私どもは言われていました。だけれども、ジェームズが病気なのは、マーレがジェームズを病気になるように仕向けていたからです。ジェームズのケースは、「問題行動」のある「処遇困難な」子どものケースだと、分類されてきました。しかし、ジェームズは、現実には、勇敢で、不屈の精神があり、倫理的な子どもでしたね。しかも、ジェームズは普通は考えられないようなひどい状況におかれていたんですね。そのひどい状況とは、ジェームズが自分自身と兄弟とを救い出そうとするあらゆる試みが、「いけない行動」の証拠として分類されていた、そういう状況でした。
実に救いがたい地獄のような状況です。しかし、ジェームズは諦めませんでしたね。ブルース・ペリー教授が指摘するように、やっぱり、ジェームズは、現実には、勇敢で、不屈の精神があり、倫理的な子どもだったんですね。立派です。天晴でしょ。
私はここまでひどいケースは経験してませんけれども、親のせいで、あるいは、家族の病理の故に、心の病になっている子どもには、かなりのケースで出くわしています。児童精神医学の葛藤の核心は、そのまま、子どもの心理臨床の葛藤の核心でもありますね。
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