エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自由と接続詞

2015-07-01 07:15:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
精神疾患の総合デパートになった、いまの日本
  フロムによれば、愛着はお母さんに対するものから、お父さんに対するものへと発達し、この二つが統合するところに、子どもの愛着が健康になる秘密が隠されている...
 

 私か最も好きな思想家は、加藤周一さんです。その加藤周一さんのエッセイに、「自由と・また・平等」というものがあります。英(仏・独)訳されることを意識して、「Freedom and/or equaliy」の日本語訳をタイトルにしているので、こんな妙なタイトルになっいると思われます。これは、平凡社ライブラリー321『加藤周一コレクション5 現代日本の文化と社会』p333-347にあります。

 このエッセイの中で、加藤周一さんは、「基本的人権の中心は、個人の自由である」と明確に述べています。自由と言っても、精神的自由、経済的自由、人身の自由などかあるそうですね。日本人に保障されている精神的自由には、思想と良心の自由、信教の自由、学問の自由、集会・結社の自由、表現の自由があります、同様に、経済的自由には、居住移転の自由、職業選択の自由、外国移住と国籍離脱の自由があります。また同様に、人身の自由には、奴隷的拘束と苦役からの自由、不当な拘束からの自由があります。

 この自由の中で、最も根源的な自由は何でしょうか? それは、精神的自由、なかんずく思想と良心の自由と言えるでしょう。そもそも自由とは、「自分の本性に従って生きること」を意味するからです。思想と良心の自由がなければ、表現の自由も、集会・結社の自由もあり得ません。

 にもかかわらず、井上ひさしさんは、『あてになる国の作り方 フツー人の誇りと責任』(光文社文庫)p209に、「言論の自由はあらゆる自由の中の基本です」と言います。何故なんでしょうか?

 もちろん、井上ひさしが劇作家、作家として、言論人だったから、と言えるかもしれません。しかし、それだけではないのだと思います。今のように、財政赤字が1000兆円を超えようとしているのに、支払いのめども立たない2500億もかかる国立競技場を作ろうとしている国(きっと、得する奴がいるはずです)、大量の放射能を飛散した原発事故を起こしていながら、放射能汚染の実態を隠ぺいするだけではなく、原発を稼働させ、輸出しようとする国(きっと、大金を手にする野郎がいるはずです)、憲法で戦争はできないことになっているのに、その憲法に従うことが、政治家の義務なのに(立憲主義)、戦争が出来る国づくりをしようとしている国(必ず大儲けする輩がいる)、これほど「当てにならない国」、それが今の日本の、偽らざる現状です。この日本の国の実態を暴き、日本の市民に真実を知らせ、人間らしい暮らしが出来る国を作り上げる上で、言論の果たす役割が図り知れないくらい大事だからでしょう(お下品な言葉遣いがありましたことを、お詫びします)。

 個人のレベルでは、思想と良心の自由がなければ、その他の自由はあり得ません。しかし、よりよい社会、「当てになる国」を作ろうとする場合は、言論の自由がなければ、思想と良心の自由も脅かされてしまいます。ですから、いまこそ、言論の自由を大事にして、権力にある者の横暴、すなわち、金もうけのために、フツーの日本市民をダマクラカして、税金を巻き上げて、チョロマカシして、自分らの私腹を肥やそうとするアベシンちゃんと悪魔の仲間たちに対して、断固としてNOと言いつづけようではありませんか? そうして、いろいろな真実を報道し、その真実を「接続詞」を使って、考えて、組み立て、積み上げて、「考える人」になると同時に、人間らしい社会、当てになる国を作ってまいりましょうよ(『あてになる国の作り方 フツー人の誇りと責任』(光文社文庫)p265-)。

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