内村鑑三の多磨霊園にある墓には、「I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God」(私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そして、全ては神のために)との墓碑銘があると言います。上の写真がそれです。
昨日は、丸山眞男教授の著書『日本の思想』から、日本の組織が「タコツボ型」の組織であり、そのタコツボ型の組織の中で、「組織のために」、「会社のために」することが、実は、日本軍やナチスと同様の、ハンナ・アーレントの言葉で言えば「人類に対する犯罪」である、とご指摘しましたね。なぜなら、この「組織のために」、「会社のために」が、個人の無意識の抑圧と集団の無意識の抑圧を繰り返す中で、その抑圧圧力が高まるとともに、抑圧する心構えが狂信化するために、かえって、抑圧しない心構えが出来て、無意識の圧倒的な暴力、個人の運命など簡単に弄ぶほどの暴力を招くからなんですね。
昨日も触れましたが、この「組織のために」、「会社のために」は結局は、組織や会社のためになることが「自分の得になる」と信じているから、そうしている訳ですね。最近は、そのはずが、過労死や労災やハラスメントにあって、「こんなはずではなかった」という魔坂にぶつかることも少なくないようですが、基本は「自分のため」。つまり、会社が組織が、自分(の利益)という目的のための手段になっている訳ですね。言葉を換えれば、エゴイズム、自己中を実現したいがために、組織や会社を利用するわけですね。ですから、自分が得するためには、会社が、日本や社会に悪影響や放射能をバラまくことがあっても、自分が得する限りでは、その「人類に対する犯罪」も平気でできる。あくまで、「タコツボ型」の組織では、「社会は会社のため、会社は私のため」にあるはずのものだからです。「タコツボ型」の組織のメンバーの思想と行動のあり方が、あくまで内向き、文字通り、“自己中心” にまとまっていることが分かりますね。社会<組織<自分。
この逆が、まさに、内村鑑三の墓碑銘に記されていることが分かりますね。この「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そして、全ては神のために」を数学記号で示せば、「私<日本<世界<キリスト、全て<神」ということになるでしょ。目的は、キリストのため、社会のため。と同時に、キリストや社会のために役立つような自分のためでもある。目的と手段が、常に対話的、相補的でしょ。
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