ルターは、教科書が教えているほどには、反抗的じゃぁなかったみたい。
Young Man Luther 『青年ルター』p.222の第3パラグラフから。
ルターは、得意になって改革者の役割を果たしました。ルターがどうやって、自分を確かにさせる道を変えたのか、(ルターは、修道院の沈黙を選ぶことによって、ルターが世俗世界の指導者になる、という父親の願いを否定してきた)それを私どもは、素描したにすぎません。しかし、ハッキリしているのは、マルティンが父親から厳しく育てられたことによって、気の毒なほど悪くなっちゃった、悪い良心が、悪い良心の常として、自分が厳しくされたように、他者に対して厳しくできるチャンスを、今か今かと待ち構えていた、ということです。
悪い良心が怖いのは、これなんですね。ルターのようなひどい育ちをした人は、意識の上では、良い子育てをしようとすればするほど、結果的に子どもを身体的に、心理的に虐待している、ということが、非常によくあることですね。私が今まで関わった学校で、そういうケースがなかった学校はひとつもない、と言えるほど。しかも、その大人が、親ばかりではなく、月給をもらっている教員の場合も少なくない訳ですね。
悪い良心をホッタラカシにできないのは、餌食を探している点です。クリニカル・サイコロジストの大きな役割の一つは、その「悪い良心」から子どもを守ることなんですね。
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