「ガリラヤの言い伝えと≪私≫という感じ」もそろそろ佳境。
p361第2パラグラフ。
したがって、短い結語が、イエスが実践しお薦めした戦闘的非暴力の永遠の意味について述べましょう。拙著『ガンディーの真理』では、私がインドを訪れた時、(アーメダバードの)町で、あるいは、インドにおいてガンディーが関わった最初の非暴力の冒険に参加した生き残りの人々の間で、いかに私がお客としてされかを報告しました。この雰囲気のおかげで、私はこの非暴力の出来事を心理学的に学ぶことができました。するとすぐに、このインドの預言者が、南アフリカで、新しい非暴力の、政治経済的行動原理を確立する際、彼自身のもともとの宗教的要素と、イエスが言ったこととやったことを、どの程度意識的に結びつけたかがハッキリしてきました。ガンディー自身の葛藤は、ある種の西洋的な超自我との戦いを含みながら、彼の非暴力の原理は、彼の受難に対する心構えに加えて、これまでのところですでに申し上げて来たとおり、敢えて危険を冒すことを含んでいたのでした。それはすなわち、 「自分たちの中にある『最良のもの』を、『最悪の』(と思える)敵に対して、意識的に、しかも、決然として投影し、非暴力的にその敵に悦んで対面すること」です。
エリクソンの面目躍如です。今回エリクソンが教えてくれた、非暴力の定義、すなわち、
「自分たちの中にある『最良のもの』を、『最悪の』(と思える)敵に対して、意識的に、しかも、決然として投影し、非暴力的にその敵に悦んで対面すること」
以上に優れたものは、私は寡聞にして知りません。
私どもは、この原理に従って、日々生活してまいりたいですね。
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