エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ヨナの黄泉帰り

2014-05-29 09:13:00 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 ヨナは、秩序と律法の意識は強烈でしたが、誰だって嬉し泣きするに違いない≪真の関係≫を知らない人でした。いまの、たくさんな日本人も同じですね。今日は段落途中のp25のL13 However以下です。

 

 

 

 

 

ところが、ヨナは逃げようとしている時に、自分がクジラのお腹の中にいることに気づきます。これは、ヨナが、≪真の関係≫とあの連帯を見失っているために、誰からも相手にされず、何かに閉じ込められた感じがしていたことを、象徴したものです。神様はヨナを救い上げて(掬い上げて)、ヨナはニネベに行きます。ヨナはニネベ市民に生き方を説きます。それは神様がヨナに話した話し言葉が出来事になることでした。しかも、それは、ヨナがまさに恐れていたことでもありました。ニネベの人々は自分たちの罪を後悔して、それぞれの生き方を改めましたから、神様はニネベ市民を、お許しになり、町を滅ぼすことはしないことに決心します。ヨナは、無性に腹が立ち、大変失望します。ヨナは「自分が信じる正義」がなされることを、強く望んだのであって、「慈しみの業」など望みはしなかったのです。ヨナは、ヨナがお日様に当たるのを避けるために、神様があらかじめ育てていた一本の木を、ようやく見つけます。ところが、神様がその木を枯れさせた時、ヨナはがっかりして、神様に食って掛かります。神様はお答えになります。「あなただって、自分が耕すこともせず、育てもしない田圃でも、一夜にして眼の前に現れ、一夜にして消えたら、その田圃を惜しむでしょう。私がニネベを惜しまずにおくなんて、できませんよ。ニネベは大きな町ですし、12000人以上の人が住み、たくさんな牛がいるのです。彼らは右手と左手の区別さえできない人たちなんですよ」。神様がヨナに答えた答えは、象徴的によく考えなくてはなりませんね。神様はヨナに説明します。≪真の関係≫の神髄は、何かのために「損をする」ことですし、「何がが成長するのを助ける」ことだ、ということです。≪真の関係≫と「損すること」は切っても切れないものなのですね。≪真の関係≫は、自分が損しても係る相手のためですし、自分が損しても係るのは、その相手と≪真の関係≫だからなのです。

 

 

 

 

 

 実に明快です。≪真の関係≫とは、自分が損しても係る相手との関係です。それは神様と私どもひとりびとりの関係と、全く同じなのですね。

 

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