眼のキラキラは、うつります。
お母さんが気前がいいと、その子どもも気前が良い。
気前の良さも、うつります。
大事なところが続きますね。
Young Man Luther 『青年ルター』p208の第4パラグラフから。
ルターはpassiva ラテン語の「受身形」 だとか、passivus ラテン語の「苦しみ」 だとかいう言葉をまさに使ったのが、ルターがラテン語を話す時ですが、このラテン語は、passive 「受け身になること」と翻訳することが、正しいとされているはずです。でもね、ドイツ語では、ルターは、passivisch、すなわち、「動的受動態」という言葉を使うことが多かったんですね。さしずめ、passific(英語にはない言葉を、エリクソンが、英語っぽく作ってみた言葉です) 「受け身になる」のようなものです。passive 受動態と active 能動態の古い文法上の違いは、実際には、erleben 経験することと、handeln 役割を果たすこと の差だと思うんですね。
ルターの受け身は、単なる受け身ではない。受け身になることを“選択する”ということです。
これは、心理臨床では、要の態度ですね。
宗教と心理臨床の近さです。
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