生真面目が好きな方には、陽気で楽しくは、不人気かもしれません。でも、陽気で楽しいは、うつるし、子どもを肯定することになるとは、何度でも言いたいことですね。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p51の3行目途中から。
ここではすぐに、形が決まった遊びという人間が作り出した偉業が、公平なルールと攻撃したい気持ちを組合わせたものですが、登場します。遊びは、ライフサイクルの発達の主たる傾向が、生涯を通して、広がれ、展開する、その仕方の好例なんですね。遊びが礼拝になる力は、モデルになる状況を作り出すことによって経験したことに折り合いをつけて、実験したり計画を立てたりすることによって、目の前の現実をコントロールする、人間の能力の子どもバージョンなんですね。
遊びのことを、これだけ要約的に、しかも、非常に実践的に、記した文書を、私は知りません。プラトンの「遊びは飛び跳ねること」、という定義は、詩的な表現として優れています。でも、エリクソンは、それを見事に臨床的に解題してくれている感じです。
このところは、私が心理臨床の仕事で、毎日毎日、お世話になっているところですね。
でも、礼拝と言ったら、お寺か教会にいかなくちゃぁ、と思うでしょ。それもいいかもしれません。でもね、無教会でなくても、礼拝にわざわざお寺や教会に行く必要がないんですね。礼拝とは、場所や儀式ではないからですね。本物の礼拝は、人間関係の中で、人間を超えるものに真実に向かい合うこと、すなわち、2人の人が顔を見合わせながら、人間を超える存在、サムシング・グレート something Great を「共に見る」ことだからですね。
不思議ですね。
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