愛着障害の敵は、ウソとゴマカシです。今のニッポンに愛着障害がこれだけ溢れかえっているのは、大人がウソとゴマカシで溢れかえっていることに正比例してるだけなんですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.235の、第7パラグラフから。
死、破壊、悲しみは、苦しみには包括的な意味がない点で、常に正当化されなくてはなりません。全体を示す意味がないからこそ、デッチアゲ、ウソをつき、意味になさを満たそうとする勇気が湧いてくるわけです。
デッチアゲ、ウソをついてでも、意味を持ちたいと思うのが、人間です。意味を喪失した時代、いいえ、人殺しを組織的にやる戦争の意味など、ありませんから、その戦争の意味付けは、ウソと相場が決まっています。
でも、ウソとゴマカシでは、その意味はごまかしきれないのが真実ですから、意味のないことをしでかしたことには,シッカリと意味付けしておかなくちゃならないのも、また真実なんですね。
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