母なる神は、子どもを掛け値なしに大事にしてくれます。今の日本では、これ以上大事なことはないでしょう。
p61の5行目から。
人間の進化の次の段階は、私どもは徹底的な知識を持つ唯一の段階であり、推定することも、復元することもせずに済む段階なんですが、それは、父なる神の段階です。この段階では、母親は王位を奪われますし、父親が神様になります。これは宗教的な意味でもそうですし、社会的にもそうなんですね。父親が子を思う気持ちの性質は、要求し、方針と法を定めるものですし、息子に対して思う気持ちは、こういった求めに子どもが従順であることを求めるものでもあります。父親は、自分のことを大事にする息子を一番大事にします。そういう息子が最も従順ですし、自分の後継者、自分の財産の相続者として、最もふさわしいからです(この父性的な社会の発展は、私有財産の発達とパラレルです)。結果として、父性的社会は、階級社会ですし、兄弟の間の平等は、競争と競い合いに道を譲ります。インド文化、エジプト文化、ギリシャ文化、あるいは、ユダヤ・キリスト教、イスラム教のいずれを考えても、私どもは父なる世界の中にあります。その父なる世界には、父なる神々がおられて、1つの大事な神の国を治めるか、あるいは、全ての神々が追い出しを食ったけれども、1人の神、唯一神だけが存在します。
父なる神は、人々に様々なことを求めます。掛け値なしで存在を認めてくれる母なる神とは大違いですね。父なる神は、ですから、人々の競争を認めます。私有財産も父なる神が治める社会に成立する、というのも、おもしろいですね。古代文明~現在の社会に至るまで、多くの社会は、父なる神が治める社会です。
かたや我が日本。そのような父なる神が歴史上一度も治めることがなかった、極めて特殊な社会です。しかも、母なる神が認める掛け値なしの存在肯定の力も弱く、むしろ、激しい競争を認める社会でもあります。二重の特殊性が、日本社会にある、と言えるでしょう。
でもねこれが分かると、私どもの自己理解が進みますよね。
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