根源的。日常生活の中では,ほとんど使いませんね。日常生活の中で使う言葉で似た言葉と言ったら,「根っからの」に近いかもしれませんね。でも,やっぱり「根源的」と「根っからの」では,似ているようで,全く別物,似て非なるもの,ですね。根源的,というのは,残念ながら,今のニッポンでは絶滅しているからかもしれません。エリクソンが,「根源的」とはどういう意味なのか,教えてくれているところです。英語の方が簡単に聞こえますが,おそらく,簡単に聞こえるだけで,ちゃんと理解するのには,それなりの時間と,思考の積み重ねが,やっぱり必要でしよう。英語では,ベーシック,basicなんですね。
今宵のエリクソンは,Toys and reasons. p.49.
私がここで描いて来たこと(訳注:赤ちゃんとお母さんの関わりで,理性的なピアジェまでもが,「滅び」や「復活」などと言った,実存的なことばで言い表さなくちゃならなくなってるところ)は,人間のスピリチュアルな欲求にとって根源的ですし,もっと一般的に申し上げれば,私どもが見て分かり,「理解する」ようになったことに,意味を与える実感にとって,根源的なばかりではなくて,その後の人生の中で,見通しの持てるこの世の中で安心していられる感じを取り戻すのに欠かせない,いつでも将来に希望を持って生きていくことにとっても,根源的なことなんです。
ですから,赤ちゃんの時に身に着ける信頼のことを「根源的信頼感」a sense of basic trustと,エリクソンは正確に呼んだんです。仁科弥生さんは,Toys and Reasons まで読んで,Childhood and Society を訳したわけではありませんし,心理学や,エリクソンのライフサイクル心理学の背景になっいるキリスト教もあまりご存知ないので,「基本的信頼」と誤訳してしまった訳ですね。仁科弥生さんは,a sense of basic trustのbasicをスピリチャルなベーシックのことを意味している,とはご存知なかったんですからね。
そこんところがサッパリ分からない鑪幹八郎さんは,「根源的」の意味が解かりませんから,最近出した翻訳本では,分からないことは割愛して,「信頼感」としか訳せません。でも,a sense of basic trustを鑪幹八郎さんのように「信頼感」とやってら,「基本的信頼感」よりも,もっと誤訳です。
人間が希望を持って生きる上で,根源的だからこそ,赤ちゃんが根源的信頼感を育めるような関わりをお母さんがすることが必要不可欠ですし,その関わりをお母さんができるような人間らしい晴れ晴れとした社会を作ることが,今何にもまして,必要なんですよね。
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